4話 魔族、襲来
粛然たる雰囲気の中、玉座の間の扉が開かれる。数多の兵士の壁に囲まれた赤絨毯を踏み荒らすのは十にも満たない
魔族。極めて過酷な環境と混沌の中に根を張る種族。長らく日の目を見ることが叶わなかった彼等が、ようやく人間界との合流を果たした。
人間界と魔界の因縁は、もう何百年も前に
戦があったのだ。
生き証人は死に絶え、世代を交代した今となっても、心の内に打ち込まれた歴史の楔が外れるはずがなく、重苦しい空気が辺りを包み込む。
プランダは面を上げることすらできなかった。
「よくぞ参られました、エリオット王」
「こちらこそ。訪問をお許しいただきましてありがとうございます」
シュティーア王国国王、レオナルト。権威の髭の奥から発せられる声は、さながら戦場に響く戦笛のごとく。それに応えるのは、まだ青い声だった。
(あれが魔界の王、エリオット・バーンステン? ただの優男じゃない)
魔界の大国、ビヨルグ大帝国を治めるただ一人の男。黒髪にハチミツ色の瞳、服は黒を基調とした細やかな作り。魔族の象徴であるツノを飾る宝石は、小ぶりながらも輝いて見えた。
玉座から降りて来たレオナルト陛下が魔族王と強い握手を交わす。人間族と魔族、深い霧の壁に隔たれた二種族による歴史的瞬間であった。
「長旅でお疲れでしょう。部屋を用意してあります、どうぞ休まれてください」
「お気遣いは大変ありがたいのですが、我が国の食糧事情は一刻を争います。先に視察の方を」
「そうですか。ええ、もちろん。今すぐにでも出立しましょう」
陛下は部下へ出立の指示を出し、一方のエリオット王も、傍に控えていた魔族へと声を掛ける。銀髪の男は近衛兵隊の隊長、それから赤髪の女が王妃殿下。三人の後ろに続く数人が近衛兵。
何てことはない、人間界とほとんど変わらない配置だ。
それを最も離れた位置で眺めていたプランダは、こっそりと隣のイザークへ訪ねる。
「食料事情って……どういうこと?」
「プランダは何も知らないのですね」
曰く、魔界は天候に恵まれず、長く雪が降り続いているのだという。
陽の目を見ることができるのは、一年の中でたった二ヶ月 。それが毎年のように続くというのだから、農作物はおろかきっと牧畜も厳しいだろう。
そのような環境で、はたしてどのように生きてきたというのか。共食いを辞さないという噂は、やはり本当なのかもしれない。
「あらあら、みなさん小さいのね」
思わず息を飲む。声を掛けてきたのは魔界の王が妻、ロヴィーナ王妃殿下であった。一般の人間を『小さい』と愛でて喜ぶに相応しく、その背丈はプランダの一・五倍はある。人間族の大男をも超えるだろう。
呆気に取られるプランダの前で、研究室の面々が最敬礼を取る。プランダも慌てて拳と拳を突き合わせた。
厳格を極める雰囲気の中で、感情を押し殺す父の声が響く。
「我々はシュティーア王国所属魔術研究室……人間界へ御滞在の三日間、僭越ながら王妃殿下の護衛を務めさせていただきます」
「あらあら、そんなに畏まらないでくださいな。ロヴィーナと、みなさんそう及びください」
真っ赤な髪と揃いの訪問着を揺らして、女性は笑う。
「みなさんが魔術研究室の構成員ですか。話は伺っておりますわ。これから数日の間、世話を掛けますね」
「勿体なきお言葉」
「では早速、研究室を見せていただいてもよろしくて?」
「もちろんでございます。今すぐにでも案内できますが、本当に休息は取らなくてもよろしいのですか?」
室長に連れられてロヴィーナ王妃が進み始める。
行き慣れた通路を見慣れぬ巨女が歩く景色は、どうにもちぐはぐに見えた。
『王宮』と呼ぶだけあって建物自体は必要以上に大きく設計されているが、それをものともせず、あまつさえさながら手狭な建物にすら見せてしまうロヴィーナ王妃の大きさといったら。
獣人の一部にも、人間族と比べると大柄な者がいるが、はたして王妃と並べるかどうか。
『大柄』といえば、己より背の高い女を妻にしたがらない男がいるが、魔界王は気にならなかったのだろうか。
王妃の歩く景色にも慣れ、下世話な話題にすらプランダの脳が飛躍し始めたその時、ようやく『接待室』へと到着した。
「まあ、小さくて可愛らしいお部屋ね!」
カビ臭い部屋に高貴な人が踏み入れた例など、きっと片手で数えられるほどだろう。そのうちの一つが他国、しかも魔界の王妃だというのだから、過去の賢者が知れば腰を抜かすかもしれない。
賢者はもちろん、今世の室長や研究員も想定をしていなかった異常事態。まさか客人を迎える用意が整っているはずがなく、ロヴィーナ王妃を出迎えたのは案の定ぐちゃぐちゃに散らかった部屋だった。
片付けに奔走する研究員。その様子を見て「陛下の部屋みたい」と笑う王妃。部屋を最も占領し、最も汚していたプランダはといえば、内心舌を出しながら茶の用意を始めた。
ようやく部屋の荒れ模様が収まってきて、埃のひどくない窓際に机と椅子を用意することができた。ニコニコ面を崩さない王妃を招いて、ようやく腰を落ち着ける。
「ここではどんな研究をしていらっしゃるの?」
「基礎から応用まで、本当に様々でございます。最近では――そうですね、そこのプランダが」
「私!?」
ぎょっとして振り向くと、そこにはニコニコと、悪意の欠片もなさそうな笑みを向ける父がいた。
「あの子は古代魔術の研究をしておりまして。成果こそ芳しくないものの、我々にさまざまな刺激を与えてくれるのですよ」
「まあ、古代の? きっと夫と話が合うわ。ねえ、ぜひわたくしにも教えてくださらない?」
「え、えと……」
どう答えたらよいか、おどおどと父を窺う。しかし他でもない提案者が助けてくれるはずがなく、それどころか会談の席を整える始末だ。
すると背後から手が伸びてきた。イザークだ。
「後はやります。席に着いて」
こっそりと耳に吹き込まれて、唯一の救いであった茶器を奪われる。
余計なことを。イザークを睨みつける。肩を竦めた彼はプランダの背を押すと、さっさと湯を注ぐ作業に戻った。
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