5話 あなたとも

 とうとう訪れた会談の時。ガチガチに緊張したプランダが会話などできるはずがなく、ただ王妃の前の席に腰を下ろすだけで精一杯だった。


 そんなプランダの様子を見かねてか、王妃は妙案とばかりに最悪の提案を口にした。


「すみませんが皆さん、席を外してくださらない? こんなに大勢に囲まれたら、きっと緊張してしまうわ」


(違う、逆、逆! 逆だ、王妃様!)


 王妃様と二人きりの方が緊張するのだが。


 叫び出しそうになるのを抑えて、必死に父へと視線を送る。案の定応える声はなく、「ごゆっくり」と研究員を引き連れて部屋を出て行ってしまった。


 いくら室外に控えているとはいえ、あまりにも無防備ではないか。万一にもプランダに王妃を害する意志があったら、国際問題に発展するだろう。


 必死に引き留めようとするが、イザークがそれに応えるはずもなく。彼もまた、父と同様に部屋を出て行ってしまった。王妃と二人きりの部屋で落ち着けるはずがなく、淹れたばかりの茶を含む。


 あまりの熱さに舌が悲鳴を上げたが、気に留める余裕すらなかった。


「もしかしてあの子が好きなの?」


 ごふ、と思わずお茶を噴き出す。せっかくイザークが淹れてくれたお茶が台無しだ。


「王妃殿下」


「はい。……ええと、プランダさん? ベッカーさんの方がよろしいかしら」


「プランダで構いません。『ベッカー』は私の父でもありますので」


 悪びれた様子は微塵もなく、にこにことこちらを見つめる王妃。


 プランダは口元を拭いて、乱れたカップを置いた。


「イザークはただの幼馴染です。好きとか嫌いとか、そういうのは――」


「あら、本当に?」


 そう尋ねる王妃の瞳はまっすぐで、心の内まで探られるような感覚を覚える。居心地が悪くて視線を逸らすと、不意に机の向こうから小さな笑い声が聞こえてきた。


「うふふ、からかってごめんなさいね。恋バナ――でしたっけ。こうやってお話しするの、夢だったの」


「……したことないんですか、恋バナ」


「わたくしの家は代々男性が多くて。同年代の女の子はいなかったのよ」


 プランダとて色恋話の経験が豊富とは言い難かった。何せ学院時代は勉強漬け、その前も偏見の激しい田舎に住んでいたから、魔術士は『魔術士』というだけで疎まれるところがあった。そんな状態で、健全な思春期を過ごせるはずがない。


 しかし、である。プランダには意地があった。箱入り娘に『常識』で負けてなるものかと。経験の量に遅れを取ってなるものかと。


 うずうずとし出した腰を落ち着けて、気丈に声を張る。


「ま、まあ、あいつイザークは幼馴染ですし、もう色恋の域は超えているんですよ。とっくのとっくに飽きましたね、あんな根暗」


「あら、随分な言い草ですこと」


「それより、王妃様の話を聞かせてくださいよ」


「わたくしの?」


 ぱちくりと、長い睫毛まつげに縁どられた瞳が瞬く。


「そう言われても……本当に、話せることはありませんの。陛下は――エリオット国王陛下とは、恋愛結婚ではないから。政略結婚、と言えば分かりやすいかしら」


「うへぇ」


「ふふ」


 『思わず』の反応に『思わず』で返す王妃。この時ばかりは、年相応の表情を見ることができた気がした。


「でもね、嫌いなわけじゃないの。陛下は悪い人ではないし。ただ……そうね、だけなの。それにほら、彼、とても若く見えるでしょう? 昔なんてヒトの心が分からないような子だったから苦労してね。今は『夫』というよりも『子供』みたいな印象なの」


「子供……」


「おかしいでしょう? あの子の方が長く生きているはずなのにね」


 魔界の大国、ビヨルグ大帝国が帝王エリオット・バーンステン。


 彼は見るからに若そうだった。多く見積もって十五かそこら。しかしながら、目前の女性はといえば、まとうドレスやプランダの倍近くはある背丈のこともあって、随分と大人びて見える。


「エリオット王って、今おいくつなんですか?」


「実はわたくしも知らないの。十八は超えるはずよ、わたくしより長く生きているはずだから」


「……王妃様、十八?」


「ええ」


「うっそ、同い年!?」


 つい荒げてしまった声を両手で覆う。しかし既に出てしまった声は戻らず、くすくすと王妃の肩を揺らした。


「驚いた? 魔族って長生きだと思われているんですってね。でも実は、ほとんど百歳くらいで死んでしまうの」


「うそ……二百年生きるって本に書いてあったのに……」


「長くて百年。それがわたくしたち魔族の寿命。物言わぬ文字と生の声、どちらを信じる?」


 そう問われると黙るより他なく、


「困らせてごめんなさいね。でもね、本当に人間族と魔族は近しい種族なの。ほんの少し身体が大きかったり耳が尖っていたり、それだけ。それだけなの。だから……怖がらないでほしいわ」


 まさかと思わず鼻で笑いそうになった。


 誰が怖がるというのか。神族に追われ、極寒の辺境に住み着き、暴力にものを言わせる野蛮な種族を、誰が。


「王妃様は、人間と友好な関係を築きたいと……そう思っているんですね」


「あら、あなたともよ?」


「私と?」


「ええ。わたくしは王妃ではあるけれど、その前に一人の女の子よ。同年代の子と仲良くしたいと思うのは、普通のことではなくて?」


 閉口するプランダに対して、ロヴィーナ王妃は上機嫌だ。


 静寂が二人の間に流れる。


 答えを待たれているような、そんな居心地の悪さを覚える。


 プランダの視線はおのずと下がっていった。

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