3話 勅命

「こんな狭い部屋は、あなたに窮屈で仕方ない。外へ飛び出て、思うがままに学び教えるべきです」


「私を誰だと思っているの。プランダ・ベッカー、ヴィッケルン大学院を主席で卒業した女よ。それをこんなな部屋で終わらせるつもりはないわ」


「ええ、それがいいでしょう」


「でもね――」


 自信はある。しかしそれだけでは生きていけない。


「実績が必要なの。認めてもらうために、認められることをしなくちゃならない。分かる、イザーク。私には『ちんけな部屋』が手放せないのよ」


 世界最高峰と名高い学園、ヴィッケルン高等大学院。その主席を取ってもなお足りない。人の心は動かせない。


 成人して早二年。人生の新人から中堅へと成長しつつあるプランダでも、それは理解していた。


 魔術士は王族や貴族とは違って実力主義だ。


 一般の家庭から最上の魔術士が生まれることもあれば、代々続く魔術士の家系から出来損ないが生まれることもある。血では紡ぎ得ない神秘。なればこそ、己が何をすべきか。


「まずは〈結晶化の魔術〉を蘇らせる。幸いにも氷や硬化の特性を持つ魔術が残っているわ。決して無理ではないはずよ」


 言い切るプランダは届いたばかりの資料を広げる。『中世界の魔力』――たしかそんな題名だったはずだ。神族が人間界を観察し考察を重ねた書物の中に、かつて繁栄を極めた魔術に関する言及がある。


 人間界の文字で記されていないため翻訳必須の読解になるが、生憎のところ翻訳作業には慣れている。神界の言語と似た系統の言語も習得済みだ。語彙さえどうにかできれば、決して無理な話ではない。


 いざ翻訳と意気込むプランダであったが、ふと視線を感じた。横のイザークがじいっと見つめていたのだ。昼近い陽を浴びた片眼鏡がきらりと光る。


 物静かな瞳は果たして何を思っているのか。幼馴染同然の付き合いではあるが、この時ばかりはプランダも得体が知れなかった。


「な、なによ、そんなに見つめて……」


「……いえ」


 そう短く答えると、イザークは改めてプランダの手元へと視線を落とす。


「……神族で思い出しましたが、今度、魔族がこの国を訪問するそうですよ」


「魔族が?」


 世界を構成する三つの大種族のうち一つ、魔族。その苛烈さはよく伝わっている。


 血と肉を何よりも愛し、争いの絶えない野蛮な種族であると。それが人間界に何の用だろうか。


 訝しむプランダの脳裏にある一つの答えがよぎる。


「っ、まさか国を乗っ取る気じゃ……!」


「いくら魔族でも、そこまで考えなしではないと思いますよ。……人間界は、ただでさえ神族の監視下にあるんです。そのような中で無体を強いるなど――」


「でも、あの魔族よ!? 何をするか分かったものじゃない!」


 思わず立ち上がるプランダ。それにイザークは呆れたような視線をよこすと、ふと息を吐いた。


「プランダ。あなた、魔族に会ったことがあるのですか?」


「……ない、けど」


「それなら、憶測で物事を語るのはやめなさい。あなたの『魔族像』を構成しているのは、周囲の人間による悪意と恐怖。主観と偏見にまみれた、学者らしくない見解です」


「でも、事実でしょう」


「確かに過去、そういう事例はありました。魔界では今も戦争が続いているそうですし、事実であることは間違いありません。しかし彼らが今、人間族我々に何かしていますか?」


「イザークは危機感がないのよ! これまで魔族が手を出してきていないからって、これからもそうだと言える?」


「それは隣国にも、神族にも言えることです」


「ほんっと口が達者ですこと……!」


 研究について尊敬すべき点はあるが、政治がらみとなるとであった。


 プランダもイザークも、つい最近成人を迎えたばかりのヒヨッコだ。政治に関与するほどの大きな力は持っていない。しかし来るべき時が来たら、何よりも真っ先にイザークが立ち塞がるだろう――そう感じて止まなかった。


「とにかく、魔族が来ることは決定しています。それにあたって我々もできることをしなければ」


「無論、配置決めだ」


 扉を開けて入ってきたのは、ヒゲを蓄えた壮年だ。後ろには数人の研究員も連れている。


「お父さん」


「今は室長と呼びなさい、プランダ・ベッカー」


 魔術研究室室長は苦笑とともに言う。


「ごめんなさい、室長。それでみんなそろってどうしたの。少し早い食事にでも行っていたのかしら」


「レオナルト陛下より勅令があってな。魔界の王がシュティーア王国を訪問することは知っているか?」


「先程、私が説明を」


 イザークが口を挟む。それに室長は満足気に頷いて、


「魔族王の訪問の際、我が国の誇る竜騎士隊が護衛にあたる。それに我々も合流することになった」


 言葉を失った。


「どうして……どうして魔族なんかの護衛に!?」


「魔族は我々よりも遥かに魔術に詳しい。見聞を広げるという意味でも、お前たちにとって価値のあるものになるだろう」


「そ、それはどうですけど……」


 魔術の分野において、魔族が先んずるのは明らかなことであった。


 人間界と魔界とでは、そもそも魔力の含有量が異なるという。人間界は少なく、魔界は多い。ゆえに魔術の発見も遅く、発展は緩慢であった。


 見聞は確かに広がるだろう。しかし――拳を握るプランダに、強い叱咤の声が降り注ぐ。


「お上の決定だ。従いなさい」


 そう言われればプランダは黙るより他なく、ただただ手の平に爪を食い込ませていた。

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