2話 女の身は利点と成り得るか

 衛兵の苦笑を横目に、そうっと仕事場への扉を開ける。


 ここは『シュティーア王国所属魔術研究室』。


 王宮所属の魔術士、その一部が在籍する。この場所では既存の魔術はもちろんのこと、新たな魔術の開発を行う。


 この場所にはプランダの他に十人ほどの魔術士が在籍しているが、今は不在のようだ。


 これ幸いと部屋へ踏み込もうとしたその時――。


「おやプランダ、今日も来ないのかと思いましたよ」


 思わず跳ね上がる。背後から聞こえてきたのは落ち着いた声だった。ギギギと油の切れた荷馬車のような音と共に振り返ると、見慣れた顔がある。


 片眼鏡を掛けた優男――イザーク・フォン・ブランケンハイム。プランダの同僚にあたる男だ。


「い、イザーク……」


「こんにちは、プランダ。随分と遅い出勤でしたね」


「し、仕方ないじゃない。だって昨日は――」


「遅くまで論文を読んでいた? それとも翻訳?」


 淡々と先回りをしながら、イザークは研究室の扉を開け放つ。ツンと漂う薬草の香りはすっかり嗅ぎ慣れたものだ。何なら実家でも嗅いでいる。


「ええ、そうよ。お察しの通り論文を読んでいたのよ。文句ある?」


「学生気分もほどほどにしてくださいと言いたいところですが……あなたを見ていると、こっちが悪いように感じてきますね」


 遅刻ギリギリに研究所に飛び込んだことはプランダの落ち度だ。しかしそこまで言われる筋合いはないと憤ると、イザークは乾いた笑みを漏らした。


「ともあれ、向上心があることはよいことです。そのまま励んでください」


「先輩風を吹かせないでもらえるかしら、優等生さん。あなたの方が先に研究室に出入りしていたとはいえ今は同僚。上も下もないわ」


 イザークはプランダの幼馴染でありながら、一足先に研究所に勧誘されていた。


 国随一の教育機関である国営の魔術学院を卒業し、その後はそのまま王宮の研究所へと収容された。魔術士として理想的な人生を、順風満帆に歩む彼。


 対するプランダはといえば、ひどく泥臭い人生であった。


 魔術士界は未だに性差別が激しい。様々な研究と題材を受け入れているはずの学院ですら、前時代的な価値観を振りかざしている。それを完膚なきまで叩き折るには、己の力を見せつけるしかなかった。


 家系という土台がありこそすれ、努力は評価して然るべきだと自負している。


 努力の量もその結果も、決してイザークには劣らない。そう胸に強く思っているにも関わらず、プランダにはただ一つ、どうしても勝てないものがあった。


「同僚でいたいなら、ぜひとも同僚として恥じない行動を心掛けてほしいですね」


 それが、口論である。


「ふん。行動一つで上下が決まるなんて、魔術士界も大したことないのね。実力主義という噂は、いったいどこから生まれたのかしら?」


「行動も実力のうち。虚勢を張ってもいずれバレるでしょう、それと一緒です。……というか、実力でのし上がって来たあなたがそれを言ってはいけないのでは?」


「あっ」


 イザークはじっとりと、もの申したげにプランダを見つめていたが、やがてこほん、と一つ咳払いをした。


「そういえばプランダ、あなた宛てに荷物が届いていますよ」


「荷物?」


 イザークの指差す方向、そこには研究室員共用の机がある。


 うず高く書類や本が積まれたそこにちょこんと、不似合な小包が置いてあった。達筆に描かれた宛名は確かにプランダを示している。


「ツィンクス魔術特育校より――ああ、ようやく届いたのね!」


「何ですか、それ」


「資料。写生を頼んでいたのよ。信じられる、たった三十ページの写字だけで一か月と九日も掛かったのよ!?」


 封を開けて、束ねられた紙を取り出す。片面に字を宿す紙が三十枚、それから送付状。過不足はなさそうだ。


「あの国は最近忙しいですから。それよりも、何の資料を取り寄せたのですか」


「魔力の結晶化」


 プランダは既に腰を落ち着けていたイザークに体当たりをして、椅子を奪い取る。二人の重みを一身に受けた椅子は悲鳴を上げた。


「魔力の結晶化技術が進めば、人間界でも強力な魔術が使えるはずだわ。だって魔力を溜めておけるんだもの。それに生活だって便利になる。たとえば一瞬で火がつくかまどとかね」


「……ふむ、確かにそんな技術があれば鍛冶や給仕も捗るでしょうね」


「もちろんお風呂もよ」


「利便性に富んだ研究であることには同意しますが、一点。強力な魔術など、今の時代に必要ないでしょう。過剰武装です。勢力均衡が乱れます」


 シュティーア王国の属するヴェルトラオム島には、合計六つの大小様々な国が存在する。


 長年に渡って争いを続けてきた六か国が、今日において太平の世を築いているのは、まぎれもなく先代の戦果であり、同時に、勢力の均衡ゆえであった。


 平穏を掻き乱す恐れのある品、それが『魔力の結晶化』という技術だった。


「技術を復活させた暁には独占をしない。場合によっては私が直々に教鞭をる。――これで解決にならないかしら」


 要は技術を、そして技術を持つ魔術士を抱き込ませなければよいのだ。


 昨今における人間界では竜や火薬を用いた兵器が一般化しているとはいえ、魔術師が沽券を落としたわけではない。まだまだプランダを始めとした魔術士には価値がある。


 家に囚われたイザークとは違い、プランダは自由だ。


 両親が国軍に所属していてもなお周囲の目は冷たく、むしろ大人しく家庭にこもることを未だに勧められる。


 幸いにも父が賛成をしてくれているから『研究室所属』という名誉を拝命したわけで、たとえそれが潰えたとしても、彼女には、王宮から放り出されても生活する自信があった。


「……あなたはここには向きませんよ、プランダ」


 不意にイザークが呟く。肩をぴったりとくっつけて、窮屈そうに痩躯を折り曲げた彼は、片眼鏡の奥で静かに笑った。

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