侑花とリシア、そしてもう一人の魔女

「にゃあ」


 昼下がりの公園。

 散歩中の侑花の足下で、何かの鳴き声がした。

 

「わわわ、何なに?」

 そこのクロネコじゃない、かな?

「クロネコ?」

 

 侑花が視線を下げる。

 足下には、確かにクロネコがいた。

 漆黒で、太陽光さえ吸い込んでしまいそうな、闇の色。

 

 は、適度な距離を保ったまま、飛びかかるでもなく、じっと侑花を見つめていた。何かの威嚇行動かも知れない。

 だが対する侑花は、そんな事は気にしない。

 どこからともなく猫じゃらしを取り出し、クロネコの前でひらひらと振って見せる。


「おお! かわいーではないか〜! ほらほらおいで〜」


 一瞬、ビクッと体を震わせたものの、相変わらず距離を保ったままのクロネコ。何かを我慢しているようだが。

 はて? と侑花は首を傾げ、次いで不適な笑みを浮かべた。

 こんな無反応なネコは中々いない。攻略のしがいがあると思ったに違いない。

 

「ほほう。これは私に対する挑戦だね? かわいい顔してやるなお主」


 実は侑花、無類の猫好きだ。家では飼えないので、公園などで猫を見つけ、スキンスップを欠かさない。

 

 うーん……。


 頭の中で、リシアが意味ありげに唸った。


「ん? どしたの?」

 いやね。その猫は、その、使い魔だよ?

「は?」

 だから、つ〜か〜い〜ま〜。使い魔。誰のだろうねぇ。

「使い魔って言うと、魔女の」

 人間に使い魔はいないでしょ?

「いや、それはそうだけど」


 相変わらず、侑花の目の前でじっとしているクロネコ。リシアはを使い魔だと言う。

 さてどうしたものか。

 

「使い魔ってことはさ」

 うん?

「その辺に魔女がいるってことだよね?」

 そだね。

「そだねって、気にならないの?」


 侑花は、先日の魔女バトルを思い出した。

 

「ほら、魔女同士だとケンカになるんじゃ……」

 ……侑花は魔女を何だと思ってるの? あたしらは四六時中ケンカしてるわけじゃないよ?

「そうなんだ」

 でもまぁ、相手次第、かな。

「……やっぱり」

 

 好戦的だ、と侑花が言いかけた時。

 

「ああ、そこにいたか」


 と、侑花と同い年くらい、背格好も同じくらいの男子が歩み寄ってきた。


「ジャニスが心配するから探してみれば。だから僕は、大丈夫だって言ったじゃないか」


 その男子は、侑花の目の前で独り言を始めた。


「え? 魔女? この女の子が?」


 男子は侑花を見た。


「九百年ぶり? そりゃ随分長いね。え? こっちの方が長い? へぇー」


 侑花そっちのけだった。

 

「ねぇリシア」

 何?

「私らも、傍目からだとこんな感じなのかな」

 そだねぇ。

「うーん……」


 公園の真ん中でネコに睨まれ、動くに動けない侑花。そして侑花の目の前で独り言を続ける男の子。

 どこか、何かおかしい。


「あのー」

 侑花は、思い切って男子に話しかけてみた。

「はい?」

「いえ、えーと何て言うのか、魔女がいるんですか?」

「うん、いるよ。そっちもいるでしょ?」

 

 あまりに自然な会話だった。内容がちょっとおかしいが。

 

「……リシア、リシア」

 はいよ。

「はいよって……。魔女同士って、どうやって会話するの? やっぱり体貸すのかな?」

 そっちの方が早いけど。でも直接やりとりも出来るよ。

「テレパシーみたいな?」

 そそ。でもそれやると、自分の会話なのかあたしらの会話なのか、侑花が混乱するよ?

「うーん」

 気になる?

「うーん」


 侑花が迷っていると、今度は男子から話しかけてきた。


「ええと、立ち話も何だから、ベンチに座りません?」


 と手で、広場の端に設置してある木製のベンチを指し示した。


 おお! 侑花、これナンパじゃないの!

「違うでしょ! この場合は!」


 侑花が大声で抗議した。

 怪訝そうな表情の男子。


「違う?」

「ああ、いやこっちの話。そうね、ここで話すと色々とややこしいし」

「助かるよ。こっちも中の人が話したがってる。九百年ぶりくらいなんだってさ」

「魔女が?」

「そう」


 そんな事を言い合いつつ、侑花と男の子は公園のベンチに座った。

 

「まず自己紹介。いつまでも僕のことをなんて呼べばいいのか、分からないままじゃ面倒でしょ?」

「……そりゃそうね」

「僕は、高梨祐一たかなし ゆういち。高二。呼ぶのは上でも下でも」

「まぁ、普通は苗字だわね。私は 神坂侑花こうさか ゆか。同じく高二」

「じゃ、侑花さん」

「おいこら、いきなり下の名かい」

「いいじゃん。『魔女を宿す者』同士だし」

「……ま、いっか。じゃ祐一君、何であんたは私を尾けてた?」

「……気付いてましたか」

「そりゃ、このネコ見ればね」


 侑花は、あくびをして体全体で伸びをするクロネコを眺めつつ、一向に近づいてこないクロネコを見つつそう言った。


「言い切るね。根拠は?」

「この界隈で、私が知らないネコはいない。自慢じゃないけど、ネコには好かれるのよね。でもこのクロネコは違った。無愛想に睨むだけ。リシアから──ああ、私が『宿してる』魔女ね。彼女からヒントもらった。『使い魔』だって。それなら答えは一つ。あんたが、このクロネコを私にけしかけた」

「けしかけたとは、随分だなぁ」


 祐一は、肩を竦めた。


「ジャニスがさ、侑花の中のリシアに用があるって言うからさ」

「ジャニスね、そっちの魔女の名前は。えーと、リシアに用がある? この魔女また何かしたの?」

 ちょっと侑花、それはあんまりでは?

「リシアは黙ってて。私はこいつから説明を受ける権利があるのよ」

「『こいつ』とはあんまりじゃない?」

 

 祐一が細かな事で抗議した。もちろん侑花は無視。


「とにかく説明が先。いい?」


 侑花は高圧的に、祐一に詰め寄った。


「う……ええと、僕じゃ説明が面倒だから、替わる?」


 侑花は一瞬迷った。

 祐一の声のまま女性の口調で話されても、あまり気持ちのいいものではないと思ったからだ。

 

「そうね。ここは魔女同士で話してもらった方がいいと思う」

「ちょっと待ってね」


 祐一は、何やらゴニョゴニョとつぶやいた。ジャニスと交渉しているようだ。

 

「……話はついた。面倒だから直接やりとりするってさ」

「直接? 変身でもするの?」

「違うよ。思念を直接飛ばし合って会話するらしいよ」


 ──リシアがさっき言ってた、テレパシーみたいなヤツね。


「じゃこっちも──リシア、いい?」

 いいも悪いも。侑花が混乱しなきゃそれで。

「ということでOK」

「……そっか、傍から見ると、僕らはそう見えるんだね」

「そ。道端とかでぶつぶつ独り言。近寄りがたいわけよ」

「なるほどねー」


 したり顔で頷く祐一。自分の状況を改めて理解したようだ。


「で、そろそろいいかな?」

「いいわよ」


 その言葉をきっけに、魔女達の『会話』がスタートした。


<で、ジャニスはあたしに何の用?>

<ボクが最後にリシアを見たのは、今から九百年くらい前かなぁ>


 ジャニスは、自分のことをボクと呼んだ。宿主が男性だからなのかも知れない。

 

<九百年かぁ。短いような長いような>

<そうだね。って、世間話をしたくてリシアを探してたんじゃないんだ>

<へ?>

<実はね。ちょっと込み入った話になるんだけど……>

<へぇ……>


 魔女同士の密談が始まり、侑花は頭の中でどっちが喋っているのか分からなくなった。


 ──確かに、これは混乱する……。

 

「侑花さん? どうしたの?」


 祐一が訊ねるが、侑花返事をしない。


「侑花さん?」

「は? ええと? 今は、私侑花だよね」

「他に誰が?」

「うーん。頭の中で別な会話が進むと、割と混乱するね」

「僕も初めはそうだったよ。まぁ、慣れだね」

「慣れ……」


 侑花はそう言ったきり黙り込んだ。

 侑花が『慣れ』るまではしばらくかかりそうだった。

 

「ま、いいや。話が終わるまでのんびりしてよう」


 祐一はそう言うと、手を頭の後ろで組み、空を眺めた。雲がアンパンに見えた。


「そういや腹減ったなー」


<……と言うわけなんだ>

<そっか。じゃぁそれは『依頼』だね?>

<うん。そう取ってもらって構わないよ>

<見返りは?>

<そこは、ほら。ボクらの仲でしょ?>

<……貸し一つね>

<……了解>


 魔女同士の話が終わったようだ。

 

 侑花、終わったよ?

「ふま? にゃにが終わった?」

 いや『魔女同士の話』が。

「……ああ!」

 ね? 混乱したでしょ?

「うーん。そうね。これは慣れないと、頭がおかしくなりそう」

 慣れると色々便利なんだけどね。

「へぇー、どんな風に?」


 侑花がリシアに問いかけると、祐一がベンチを立ち、広場の中央に立った。

 

「思念回路を切り離せるから、こんなことが出来る」


 そう言うと、祐一は手を天にかざした。


「ジャニス、いいよー」


 その声に呼応するように、鳩が大量に舞い降りてきた。

 

「わわわ。何コレ!」

「ジャニスが魔法を使ったのさ。いちいち体とか腕とか切り替えなくて済むから便利だよ?」


 と、祐一は笑いながら言った。

 

「……うーん。確かに便利か? どう思う?」

 は? あたし? 別にあたしはどっちでも。魔法なんてそうそう使う機会ないし。

「そうだよねぇ」

 あ、でも。

「ん?」

 今ジャニスから『依頼』を受けた。その時は、侑花が『慣れて』おいてもらったほうが手っ取り早い。

「依頼? 何の?」

 魔女のお仕事です。

「仕事……報酬は?」

 あたしと同じこと言うね、侑花は。

「人間ボランティア精神だけじゃ生きていけない。それ相応の見返りを求める!」

 じゃ、それは祐一に言って。ご飯でも奢ってもらえば?

「おお! リシア、ナイスアイデア! おーい祐一!」


 完全に呼び捨てになっていた。

 

「何?」

「今、リシアがジャニスから『依頼』とやらと受けた」

「みたいだね」

「仕事をするからには、それに見合った報酬が必要。そうでしょ?」

「ん? ジャニスはそんなこと言ってないけど?」

「私とあんたの間でのこと。私がジャニスから報酬を受け取れない以上、私は祐一から受け取るしかない」

「……? 理屈が通っているような、そうでもないような……」

「同じ『魔女を宿す者』同士でしょ? 理屈はなくても理由がある。と言う事で、私は食事を所望する!」

「それって……僕にご飯を奢れと?」

「そう」

「いや、別にいいけどさ。他の人に見られたら、それ『デート』に見えない?」

「は! ……む……?」


 侑花は黙り込んだ。

 何か別な妙案はないか。

 色々考えているらしい。

 

「提案」

「はいよ」

「まず、祐一と私は学校が違う。で、学校がある街も違う。それなら、お互いの生活圏が被らない場所でご飯を奢ってもらう。これでどうだ!」


 あくまでご飯にこだわる侑花。

 

「……まぁ、侑花さんがそれでいいって言うなら、それで」

「良し決まり。『依頼』完遂後、速やかに私にご飯を奢ること。連絡先は……」

「ああ、それは大丈夫。ジャニスとリシアが直に連絡取れるから」

「おお、案外便利な。じゃ問題なしだね」

「……僕の財布の中身が問題だよ……」

「何か言った?」

「……いいえ、何でもありません」


 こうして、侑花は祐一からご飯を奢られることになった。

 

「ところでさ」

「何?」

「さっき、この界隈のネコの話、したよね? あれは何で?」

「ああ……それはね」


 侑花はネコ好きだ。ネコと見るや駆け寄って抱きしめる。そして餌付けを欠かさない。つまり、侑花を見て寄ってこなければ、それは新参者だ。

 

「なるほど……」

「と言うわけで、そのコの名前は?」

「ん? ジャニスの『使い魔』の方?」

「そ!」


 祐一は、侑花の力一杯で満面の笑顔に気圧された。

 

「……えーと、シロ」

「は?」

「シロって言うんだコイツ」

「クロネコなのにシロ?」


 一瞬の間が開いた。

 

「あはははっ! 面白い! シロ~待て〜~」


 その後しばらくの間、ジャニスの『使い魔』の『シロ』は、侑花に追い回されることになった。

 

<……リシア>

<……ゴメン。侑花って、あんな感じなのよ>


 こうして、新たに魔女と、ご飯と遊び相手を確保した侑花だった。 

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