リシアの過去
ドアを開けろ!
何をしている! 蹴破るぞ!
乱暴に扉を叩く拳の音。そして怒号。時折混ざる、重そうな金属音。
足音や声の数から、五~六人だろうか。
明らかに殺意を持った気配が、目の前の扉から発せられている。
村の中心部からちょっと離れた一軒家。
そこには、どこにでもいる家族が、平和に暮らしている、はずだった。
今、まさに破られんとするドアの前には、おびえた表情の少女が、ただただ立ち立ち尽くしていた。
大きな荷物を背負い、外套を纏い、腰には護身用の短剣を差している。旅へでも出るつもりなのだろうか。
だが、利発そうな整った顔立ちは、扉一枚隔てた怒号に耐えかね、今にも泣き出しそうだ。
大丈夫なのだよ、チェイニー。
「そうは言っても……私、こんなに大声でわめき散らされるのって、怖くて……」
音、消す?
「でも、それって魔法でしょ? リシア?」
まぁ、そうなのですが。
「今ここで魔法使うと、余計に事態を悪化させない? それでも大丈夫って言える?」
むー。確かにそうなのですが。
「ホントに大丈夫かなぁ……」
傍目には、少女——チェイニーが、独り言を続けているようにしか見えない。
だが実際は、チェイニーが身に宿す魔女、リシアと会話しているのだ。
「お父さん達、ちゃんと隣町に着いたかなぁ」
それこそ大丈夫なのだよ。あたしがちゃんと見届けたし。
「使い魔で、でしょ?」
うん、まぁ、そこは信用してもらうしかない訳でして。
「リシアって、自信ない時、急に敬語使い出すよね?」
む……。
図星なようだ。
「とにかく、問題は目の前って事よね?」
チェイニーは、相変わらず騒々しいドアに目を向けた。
「開けるのだ! そこに『魔女』がいることは分かっている! 素直に差し出せば、命までは取らん!」
一際大きくドアが叩かれ、大声が家の中に響き渡る。
命までは取らない? 魔女は死なないからね。だから嘘だね。
「それって、私が死ぬってこと?」
このままだと。でも、そんなことあたしがさせない。
リシアは、それにもう一言付け加えた。
だから、安心して欲しい。そのために、色々準備したのだよ。
「そう、よね」
わずかでも勇気付けられたチェイニーは、おびえた表情を捨て、ドアを睨み付けた。
——と。
急に喧噪が止んだ。
静寂が、チェイニーを包み込む。
感じるのは、冷たい雰囲気。見えない圧迫感のような、得体の知れないモノ。
「リシア……これって……」
うん。結界。先手を打たれた。
「
……うん。でも、ちょっと想定外なのだよ。
「え?」
動きが早すぎる。いくら
「そっか……」
ごめん。
「ううん」
チェイニーは頭を振った。
「後で言えなくなったら嫌だから、今言っておくね。——ありがとう」
うん? どして?
「お父さんやお母さんと弟。町の外に出かけるように仕向けた事。ありがとね、リシア」
チェイニーの両親と弟は、昨日、隣町の叔母の家に出かけていた。
もちろん、リシアの魔法で色々細工されての事だ。そうでなければ、チェイニーだけ家に残るなど、許されなかっただろう。
でも、あたし達の『避難』は間に合わないかも。
「それでも、何とかするんでしょ?」
リシアは、チェイニーの中で、暖かな信頼を感じ取った。
うん。そこは任せて欲しいのだよ。
「うん、任せた」
どんなことをしてもチェイニーは護るよ。だからちょっと体借りる。いい?
「うん」
その言葉に呼応するかのように、
「さて……」
リシア=チェイニーは、窓に目を向けた。
魔女の目に映る、空間で昏く揺らぐ光の膜。
結界だ。
「やっぱり、結界が張られてる」
それって、外に出られないってこと?
「そだね。出口は……」
玄関のドアを一瞥。
もう、怒鳴り声も、金属音も聞こえない。
ただただ、木製のドアがリシアとチェイニーを、外界から隔てていた。
「先手を打ったつもりかな?」
どういうこと?
「この家全体が結界に覆われてる。作戦の第二段階に入ったのかも」
第二段階?
「あたしを実体化させて、『見よ、魔女がいるぞ』って、捕縛する口実を作ろうとしてるのかも」
見られたら、でしょ?
「そ。見られたらね」
で、どうするの?
「決まってるよ」
え?
「結界を破る」
リシアは、手を天にかざした。
<失せよ! 我に仇成す、括りつけられしモノよ!>
キシ、という薄いガラスが歪むような音がし、リシア達を圧迫していた『雰囲気』のようなものが、突縁消失した。
「——よし、と。結界は消した。とりあえず、外に出るね」
うん。
リシアが腕を軽く振ると、彼女の姿形が揺らぎ、その場から音もなく掻き消えた。
*
リシアは、村外れの小高い丘の上にいた。
一瞬でここまで転移したのだ。
「さて、ここまでくれば大丈夫。体返す」
うん。
瞳の色が戻る。
リシアは引っ込み、体が本来の主であるチェイニーの元へ戻った。
「で、どうしようか」
そだねぇ。
「逃げるにしても、徒歩じゃ限界があるし……」
リシアは答えない。
いつもなら、飄々とした言葉で軽口を叩く相手が、今は沈黙を貫いている。
「リシア?」
え? うん。
「どうしたの?」
いや、何でもないのだよ?
「嘘ね」
チェイニーは、リシアの言葉を『嘘』と断じた。
「リシアが考え事するなんて、あんまりないし、大抵は何か悪い事が起きる前兆だし」
何か酷い言われような気がするのは?
「さぁ、言いなさい! あんたが抱えてる隠し事を!」
いや、別に隠してはいないのだよ?
「私に嘘つく気なの?」
魔女として、リシアにはチェイニーに状況を説明する義務がある。
たとえチェイニーが、それに納得しなくてもだ。
魔女狩り。これはチェイニーも知ってると思う。
「うん」
あたしは魔女だから、何もせずに、ホイっと首を差し出す気はない。
「それは私も一緒」
魔女狩り。
教会が主導し、異端を排除する。
その定義は曖昧で、正当な判断での執行だけではなく、程度の低い政治的な判断も含まれる。
その者が異端であろうとなかろうと、教会の判断で『魔女狩り』は執行される。
リシアもチェイニーも、魔女に関わった者として、教会の定義する『異端者』なのだ。
「まぁ、リシアが私の中にいるって事で、覚悟はしてたけど」
でも、チェイニーはあたしが守るよ。
「ありがとう、リシア」
──と。
突如チェイニーの目の前の空気が渦を巻き、視界が黒く染まった。
まずっ!
「リシア?」
いち早く異変に気づいたリシアは、チェイニーから強引に体を奪い、前方に多重結界を張る。
リシア?
「チェイニー、ゴメン。相手が悪いかも」
え?
リシアが結界を解き放つと、そこには、年端もいかない少女が立っていた。
だが、少女にしては服装が豪奢だ。しかし、表情に生気がない。まるで操り人形のようだ。
「見つけたぞ、リシア」
「……ルニア。あんたか、裏切り者は」
リシアは、苦々しい表情で、その名前を口にした。
ルニアと呼ばれた少女は、ニタリと嗤う。
「裏切る? 私がか? 人聞きの悪い」
「人聞き? 魔女のくせに人間気取り?」
「お前とてそうだろう?」
「あんたと一緒にしないで欲しいのだよ。あたしは、ちゃんと『ルール』は守ってるよ」
「ふん。その下らない『ルール』など、我らには不要だ」
「だから『魔女狩り』なんてのが起きる。いい加減、目を覚ますのだよ?」
「は! 私を『説得』する気か!」
ルニアは眉一つ動かさず、リシアの『説得』を一笑に付した。
嘲笑、と言ってもいい。
「無駄な事だ、リシア。私は既に『手に入れた』。もう恐れる事などない」
「まさかあんた……」
リシアの目が大きく見開かれる。
「そうだ。察しの通り。私は、教会と取引をした」
「──見逃してもらう代わりに『魔女』を差し出す。そういうことだね?」
「ふん。恨むのなら、この」
ルニアは、自分を指し示した。
「この女を恨むが良い。教会関係者の娘として生まれたこの人間を」
少女の片目から、涙がこぼれた。
ルニアの感情が乏しいのは、少女のせめてもの抵抗なのかも知れない。
「私とて、同胞を裏切るのは辛い」
その言葉とは裏腹に、ルニアは笑みを浮かべた。嫌らしい笑みだ。
「……教会側の人間として『魔女』が生き残る。しかも、その女の子の意思は思うがまま。吐き気がするよ」
「何とでも言うがいい。それと、ここで戦っても無意味だ。我々に勝ち負けはない。分かっているだろう?」
「ああ、そうだね。でも、チェイニーは渡さないよ」
「残念だがそうはいかない。お前は逃げることは許されない。そうだろう? 『チェイニー』?」
急に話を振られたチェイニーは、リシアの中で、感情を震わせた。
最悪の事態が、彼女の中で感情を揺さぶる。
そんな馬鹿な。
今チェイニーがここにいるのは、リシアが先を見越して行動したからだ。
時間をかけて実行した結果だ。
——だから安心なはずだ。
嘘。私の家族は、この村にはいないはず……。
「チェイニー……」
ね、リシア、大丈夫だよね?
「ゴメン、相手を甘く見てた。多分、チェイニーのお父さんとお母さん達は、このバカの監視下にある」
え……?
「でも、何とかする」
リシアは、決然とルニアに向き直った。
「ルニア。取引だ」
「今更何を取引すると言うのだ?」
ルニアは、相変わらず無表情で嘲笑う。
「今、あたしが『暴走』したら、あんたも消える」
「ああ……そういうことか。だが、人間の一家ごときのために、そこまでの『代償』をお前は支払うのか?」
「約束したからね」
「ふん……」
ルニアは、鼻で嗤った。
「……教会の人間が『魔女の力』を使えばそれは『神の力』。そうでない人間が使えば『魔女』だ。滑稽だと思わないか?」
「そうだね」
「仮に『チェイニー』が助かっても、私は他の『魔女』を見つけるだけだぞ?」
「分かってる」
「偽善なのだぞ?」
「分かってる。でも『魔女』を宿した人間を殺しても『魔女』は死なない。『神』が人間を殺すんだ。こんなバカな事はない」
「そうさ。バカな事だよ。教会という組織がどういう意思で動いているのか。そもそも神とは何なのか。本質など誰も知らん。『魔女』など勝手な思い込みだ」
「それを知ってて、疑わしきは罰せよと、同胞を火炙りにするあんたは……」
リシアの言葉が止まった。
「ルニア、あんたまさか……!」
ルニアは何も言わない。ただ薄く昏い笑みを浮かべるのみだ。
「そっか……」
リシアは目を瞑った。
「チェイニー」
な、何?
「これからあたしは、凄く残酷な事を伝えないといけない」
え……?
「確かに、チェイニーの両親は、ルニア、というより教会の監視下にある。ここまでは間違いない。ただね、チェイニー」
リシアは一旦言葉を句切った。何かを躊躇っているような、そんな間だ。
リシア?
「さっき、あたしが『このバカの監視下にある』って言ったよね?」
う、うん……。
「ルニアは、それに否定も肯定もしなかった。そして、教会のバカさ加減を口にした」
チェイニーには、リシアが何を言おうとしているのか、理解が追いつかない。
いや。
理解しようとしない。出来ない。
肯定すれば、それはチェイニーにとって、最悪の事態に直面する。
リシア……、それってどういう……?
「ゴメン。これ以上は……あたしの口からは……それは……」
それは絶望。
理不尽さ。無力感。
全てにおいての否定。
リシア……嘘、だよね?
その問いに、リシアは答えない。
それが、チェイニーの置かれた状況を如実に表しているとしても。
リシアの目が、怒りの炎を伴い、ルニアに向けられた。
「……既にこの世にはいない。そうだね、ルニア?」
対するルニアは、それがどうした、と言わんばかりに、呪詛を口にした。
「『魔女狩り』は、家族にまで手が及ぶことはない。だがなリシア。お前がいたおかげで、お前の宿主の両親も『魔女狩り』の対象となった。だから私は、教会に監視を命じた。後のことは、お前に教える義務はない」
リシアは、静かな声でチェイニーに告げた。
「チェイニーのお父さんとお母さん、そして弟も。もう生きてはいない」
そんな!
「ゴメン、あたしがいたせいだ……」
……何でこんなことに……何で……お父さんやお母さんには関係ないじゃない!
「教会が『魔女の一族』と『認定』したんだ。そこにいるルニアがあたしを見つけたから」
そんな……私はどうしたらいいの……。
「チェイニー……」
周囲に沈黙が訪れた。誰一人言葉を発しない。
ただ、ルニアだけが、口元だけで嗤う。
表情に感情は表れない。
不自然に口元だけが歪む。
……したら……るの……?
「え?」
教えてリシア。どうしたら私は死ねるの? もう帰る家もない。行くあてもない。お父さんもお母さんも、弟もいない。リシアの助けを借りて生き延びても何もない……。
「チェイニー……」
何で人間が人間を殺すの? 魔女は死なないって分かってるんでしょう? なんで人を救う筈の教会が人を貶めるの?
「簡単だ」
ルニアが二人の会話に『割り込んだ』。
「さっきも言ったが、教会側の人間が『力』を持てば、それは『神の力』だ。それと同じ『力』を、ただの人間が持っていては都合が悪いからだ」
そんな、それだけのことで……?
「それだけのこと? 神と人を同列に扱うのだぞ? 異端として扱われてもおかしくはないだろう?」
お父さんもお母さんも、私みたいに『魔女』を持っていないのに?
「その娘が『魔女』だからな。弟にだって『魔女』が憑いているかも知れん。これは神の尊厳に関わることだ──バカバカしい理屈だがな」
その尊厳のために大勢の人が死ぬの? なら神様って何? 一体何を救うの?
「救うだと?」
ルニアはさらに口元を歪め、続けた。
「神なぞいない。いるのは『魔女』と呼ばれる存在だけだ。人間の都合で『神』と『それ以外』に分類されているに過ぎん。お前は後者だ。『神』以外の『魔女』を宿した人間がいること自体が問題なのだよ──それとも、お前も家族の後を追うか?」
「ルニアァー!」
リシアが叫び、雷光が周囲を覆った。
「ふん、こんな脅しなど効かんぞ?」
「分かってる」
「『暴走』しても無意味だぞ? ただ我々が消えるだけだ。残されたその娘は救われない」
「分かってる」
「その娘を救うのは『死』のみだ。それすらも奪うのか?」
「それ以上言うなあッ!」
一筋の雷がルニアに襲いかかる。だがそれはルニアに届かず、寸前で霧散した。
「これ以上、何も言うなっ!」
「ふん……。その娘が死を選ぶと言うのなら、私はその手伝いをしてやろう。『神』による救済をな」
「救済だって?」
「それ以外に何と呼べば良いのだ? 『神』が人を滅する。殺人ではないのだよ」
……もういい。
「チェイニー?」
……神とか魔女とか、そんなのはもう、どうだっていい。私はこの世界に、一秒だっていたくない。だってそうでしょう? 毎週毎週、ちゃんんと礼拝して、感謝と許しを捧げてきた神様が、お父さんたちを殺したんだよ? それなら、人間は何に祈ればいいの?
「チェイニー……」
リシア、力を貸して。私を殺して。そして祈って。せめて魂くらいは、お父さんたちの所に行きますようにって──いえ、祈っても無駄なのね。それすらも出来ない。こんな世界、誰が、誰が──。
「チェイ……」
もういいの。リシアは悪くない。でも、私は憎む。呪う。リシアを私に
直後、リシアの体が蒼い炎に包まれた。
「チェイニー!」
何だ、簡単なんだ。
「簡単じゃないよ! 直ぐ消して! 死んじゃうよ!」
いいの。私は死にたいの。消えたいの。それにほら、ちっとも苦しくない。これがきっと──。
「それが魂の救済だ」
ルニアが、嘲りを含んだ口調で言葉を紡ぐ。
「人間は神に救いを求めるが、実際に救われた者などいない。神は神ではない。それが分かった瞬間、人は存在意義を失う。それが救済だ」
チェイニーの体が燃える。髪が燃える。服が燃える。
足が体重を支えきれなくなり、跪いた。
「チェイニー、今消す!」
リシアがまだ動く両手を天にかざす。光の輪がいくつも生じ、チェイニーの体を包んだ。
「くっ……!」
リシアに苦悶の表情が浮かぶ。
「消えるものかよ」
「そんな事は知ってる!」
「人間自らの魂の火だ。我々に消せるものではない」
「黙れっ!」
「──かつて存在した神々は、自らに似せて人間を創った。その時、人間が奢らないよう、自分を超えてしまわないよう、ある仕掛けを組み込んだのだ。フェイルセーフだよ。それを自力で発動させた人間を見たのは初めてだがな」
「そんな事は分かってる……だけどっ!」
「その娘の魂の火、つまり神の業火だ。我々ごときが消せるわけがない」
リシア=チェイニーの形が崩れだした。
炎の色が、蒼く変化していく。そして、崩れた体は輝きつつ、空間に消えていく。
その変化は、リシアにも影響を与えていた。
徐々に思考が薄れ、リシアが『リシア』を保てなくなって来ている。
「リシア。お前ももう限界だろう」
「く、な、何を」
「お前をこの世界に繋ぎ止めている娘の魂が消えた時、お前も消える。手間が省けたな」
……リシア。
「チェイニー?」
リシアは生きて。
「チェイニー!」
生きて、伝えて。生きる素晴らしさを。人間って凄い力を持っているってことを。
「嫌だよ、チェイニー! 今からでも遅くない。火を消して!」
『次の人』がいい人だといいね。
チェイニーは『リシア』を『押し出した』。
「何!」
ルニアは気色ばんだ。
「そんなバカな! 人間が『魔女』の力を上回るだと!」
あり得ない?
「そうだ! あり得ない! 人間より根源に近い我々の力を、
そう? でも、あなたの宿主も、私と同じみたいね。
「何だと……ぐああっ! 何だ、これはっ!」
ルニアの宿主たる少女。
教会の関係者の娘として生まれ、ルニアを宿した少女。
体を奪われ、辛うじて、感情だけを繋ぎ止めていた少女。
その彼女が、ルニア共々、炎に包まれた。リシア=チェイニーと同じ蒼い火だ。
「貴様っ! 何をしたっ!」
簡単なことよ。そうでしょう?
「ぐ、ぐあああーーっ!」
ルニアが少女から『押し出された』。
──ルニア、私は貴女に呪いをかけたわ。
何、だと?
──貴女は、これから八百年、誰にも宿ることは出来ない。
バカな! そんな事は、世界の
──世界の理? 貴方たち魔女が、この世界の全てを知っていると思ってる?
……私達はその世界から生まれたのだ。理の中から生じたのだ。知らぬことなどない!
──まぁいいわ。それは八百年後になれば分かる。それまで、闇の中で過ごす。それが私がかけた呪い。
……。
──リシア。
何?
──リシアには祝福を。
チェイニー……。
──でも、一つだけ謝らなきゃ。
何を謝るの?
──世界の理のせいで、ルニアと八百年後に再会することになる。でも、大丈夫。その時は、きっといい人と巡り会う。私が私の存在をかけて約束する。
──チェイニー……。
蒼い炎は渦を巻き、拡がっていく。だが少女たち以外、何も燃やすことはない。
彼女らの魂の炎だ。
そして、祝福と呪いの炎だ。
──じゃあね、リシア。バイバイ──『侑花』によろしくね。
リシアの視界が真っ白になり、暗転した。
*
「チェイニーっ!」
な! ななな、何よいきなり!
日曜の午前二時。いつもの侑花なら爆睡している時間帯だ。
リシア=侑花は、寝汗びっしょりだった。
もー。どうしたのよリシア。まだ起きるには早いし! しかも勝手に私の体使ってるし!
「あ……いや、ゴメン」
とりあえず、体返して。
「え? ああ、うん」
眠気はすっかり吹き飛んでいた。このままリビングに行ったら、侑花の両親はさぞ驚くことだろう。
「あーあ、折角の日曜なのになー」
ゴメン……
「いいんじゃない。たまには。それよかどうしたの、変な夢でも見た?」
や、夢と言うか、何と言うか。
「それにチェイニーって、誰?」
あたし、そんなこと言った?
「言った言った。おかげで、目がばっちり覚めた」
あー、ゴメン……。
「? 何か変だね? やたらと素直と言うか、何と言うか」
うん。
「ほらー。どしたのさリシアって、あれ?」
ん? 侑花?
「いや、何か目から」
目?
「涙が……」
涙が、侑花の頬を伝った。
「どうしたんだろう……泣きたい気分でもないのに」
侑花……
「違うの。何だか、凄く嬉しい気分なの。何だろう、涙が止まらない」
チェイニー……。
──侑花によろしくね。
伝わったよ、チェイニー。
*
その日。
侑花の早起き(?)は、数年に一度あるかないかの珍事だと言われ、どこか悪いのでは、とオロオロする両親を見つつ。
「なーんかさ」
何?
「幸せっぽい」
……うん。
オロオロする父、家庭の医学を読み出す母。
それをダイニングテーブルの上で、両手を頬に添え、ニコニコと幸せそうに眺めている侑花だった。
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