侑花とリシアともう一人の魔女
それは唐突だった。
聞き慣れない、耳障りで野太い声。
「お前、リシアだな」
「はい?」
学校の帰り道、突然目の前に現れたおっさん。
侑花は無礼にも、『お前』呼ばわりされ、あっけに取られていた。
もちろん、侑花にこんなおっさんの知り合いはいない。侑花の基準でいう『おっさん』とは、学校の先生や、親戚の叔父様方だ。なので、目の前で自分を睨み付けている『おっさん』は、怪しいことこの上ない。不審者そのものと言ってもいいだろう。
「ど、どちら様で……?」
侑花は、通学鞄を胸に後退りした。
背後はブロック塀。目の前には怪しいおっさん。
逃げ場はなさそうだった。
ちょいちょい。侑花。侑花。
リシアが小声で囁いた。もちろん侑花の頭の中で。
「な、何? 今、色々大変なんだけど」
侑花は『おっさん』から視線を外さず、小声で応じた。別に小声でなくともいいのだが、まぁ、気持ちの問題だ。
えーとだね。体、貸して欲しいのだよ。
「え? 何で? バレたらまずんいじゃないの?」
他の人間に、リシアの存在がバレたらまずい。とても面倒なことになる。
この時代に魔女だなんて、侑花には説明出来ないし、リシアとて厄介ごとはご免だろう。
──だが。
大丈夫。
「ん?」
なぜかリシアは自信たっぷりだ。
「どゆこと?」
えーとだね。多分同業者みたいなのだよ。
「え?」
侑花の頭の中では『同業者』、という単語だけがグルグルと回っていた。
──同業者? ええと?
リシアと『同業者』。それはつまり──。
「魔女、なの?」
そ。魔女、だね。
侑花は、おっさんをまじまじと見つめた。
どう見ても『魔女』には見えなかった。
「どう見ても
んー、それはまぁ、精神構造の問題かな。そもそも、あまり性別って意識しないのだよ、あたし達は。
「へぇ……」
そこで感心されても。って、おっと! 前見て前!
「え? 何を……! ぎゃーー!」
侑花は、目の前まで迫っていた火の球を、サイドステップで咄嗟に避けた。
後ろにあったブロック塀が派手な炸裂音と共に砕け散り、瓦礫と埃が容赦なく侑花に降りかかる。
「ごほごほ……って、何すんのよ! 危ないじゃない!」
「ほう……。今の攻撃を避けるとは。リシアよ、まだまだ衰えていないようだな」
絶対何か勘違いしている。侑花は頭を抱えそうになった。
おおー! 侑花、あんた凄い反射神経だね。
「何を悠長な。今替わる。ただし!」
何?
「私の体がかすり傷一つ負う毎に、あんたのビデオライブラリが一つ消える」
……む。条件が厳しくないですか?
「いいから、早くなんとかして!」
はいはい。どれ、仕方ない──。
リシアの言葉が終わると同時に、侑花が纏っていた雰囲気が一変した。
侑花の茶褐色の瞳が、すうっと蒼く染まる。
次いで、瞳孔が縦に伸び、薄い輝きを帯びた。
凶暴にして静謐。
有限にして無限。
相反する属性を同居させた、圧倒的な力がその場を支配した。
「で、あんたは誰? あたしに何の用?」
侑花=リシアは、抱えていた鞄を後ろに放り投げた。
ああっ! 私の鞄! 鞄! 鞄!
「ごめんごめん。ちょっと邪魔で」
邪魔ーっ? 今邪魔ってゆったな!
「いやその、ええと、コトバノアヤ、だっけ? なのだよ」
何適当に誤魔化してんのよ!
話が前に進まなくなった。
「あー。ちょっと取り込み中になるから、しばらく遮断するね」
え? ちょっと、リシア──。
リシアは軽くため息をつき、ゆったりと『おっさん』に向き直った。
「宿主とは仲良くやっているようだな?」
「まぁね。それよか、あんた誰? 何であたしを知っている?」
リシアは、相手を睨み付けた。
だが怯まない。
「ふん……。よもや忘れたとは言わせんぞ?」
「あいにく、記憶力は良い方なんだけどね。どうしてもあんたの『特徴』が思い出せない。プロテクトがかかってるのかな?」
「『祝福』か?」
「『祝福』は『呪い』と常に隣り合わせ。ということは、あんたは『呪い』の方かな?」
「……何とでも言うがいい」
苦虫をかみ潰したような顔、とはきっとこんな顔に違いない。
おっさんは渋面になった。
「私は『前のお前』を知っている。『前』は──そう、八百年程前か。これでも思い出さないか?」
リシアは一瞬考え、ポンと手を打った。明らかに相手を馬鹿にしている、そんな仕草だ。
「ああ。そういえばいたね。ええと、ルニアだっけか。ずいぶん老けたね」
リシアは口元をつまらなそうに歪め、後ろ頭に手を組んだ。
「この体のことか? 苦労したのだぞ?」
「……消したね?」
リシアの目がすっと窄まる。一瞬だが、瞳の奥に凶暴な光が宿った。
「邪魔だからな」
対するおっさん=ルニアは、苦々しい顔のまま、そう吐き捨てた。
「人間の意思など、私には邪魔だ。それに、私はお前に復讐する権利がある」
「復讐? そんな権利はないよ。神様にだってない。それは、この世界を否定することと同義だよ」
リシアはルニアに背を向け、侑花の鞄を拾い上げた。
「どこへ行く?」
「帰る」
「このまま逃がすと思うか?」
ルニアが手を突き出す。
周囲の空間から火炎が吹き出し、渦を巻いた。
だがリシアは冷静に、冷たく言い放った。
「それは止めておいた方がいい」
「お前の言うことなど──」
「──って、もう遅いか」
「何?」
火炎はみるみる小さくなり、跡形もなく消滅した。
「ど──」
ルニアの顔に驚きの色が浮かぶ。
「どういうことだ? 力が……?」
「ルニア、あんたは世界を否定した。だから今度はあんたが世界に拒絶される。宿主の意思を消し、力を行使した時点でね」
リシアが、冷徹な表情をルニアに向ける。
ルニアの表情は、それとは対照的だ。
「馬鹿な! 八百年前と同じことをしただけだぞ! あり得ない!」
激高するルニアを見つめ、リシアは諭すような口調で告げた。淡々と。そしてその後どうなるのかを。
「世界はね、常に変化する。そんなことも忘れたの? あたし達は『祝福』と『呪い』を受けた身。最も世界の根源に近いのだよ」
「そんな事を今更……!」
「もうすぐ抑止力が動き出す。選択肢は二つ。おっさんの精神体を戻すか──あんたが消えるか」
リシアの蒼い目には、もう何の感情も宿っていない。
怒りも悲しみもない。
ただ世界の
形ある物はその形に縛られる。
形のない物はその意思に縛られる。
リシアの蒼い目が見る世界は、そんな不自由な世界だ。
「私は消えん。お前に復讐を……」
「ああ、もう一つあったね」
リシアは人差し指を一本、ルニアに突き出した。
「何の真似だ?」
「あたしがあんたを吸収する。それでそのおっさんは元に戻る」
「何だと?」
「大丈夫。苦しみはないよ。世界に拒絶されるよりはマシ。ほら——」
「何を言って……ぐ……おぉぉ!」
突如、目の前のルニアが苦しみ出した。四肢が何ものかに絡め取られたように伸び、宙に浮く。
そして、ルニアの腕が、足が、体全体が、空間に引きずり込まれ、消失していく。
「──生きながら命を絶たれるなんて壮絶だね」
ルニアはもう言葉を発することも出来ない。既に体の半分が消えていた。
「でもね。あたしはそんなの見たくない」
リシアは手を突き出し、掌を広げた。蒼い目が力強い光を帯びた。
「──世の理を統べるモノよ、我が言葉に応えよ」
そしてリシアが声を張る。
「──来い!」
その一言で、全ては終わった。
*
「侑花ー? いいよ」
何? 終わった?
「終わった。体、返すね」
あ、うん。
侑花の目の前には、おっさんが一人、横たわっていた。
「……リシア?」
はいはい?
「この人、生きてるの?」
生きてるよ、多分。
「きゅ、救急車呼んだ方がいいかな?」
そだねぇ。その方がいいかな?
「一一〇番だっけ?」
それは警察でしょう?
「一一五番だっけ?」
……それ、電報だよ。侑花はそこのおっさんを助けたいの? 死なせたいの?
その後、侑花はなんとか一一九番に連絡を入れ、その場を後にした。
あーあ。
「何? どしたの?」
いや、昔の馴染みだったんだけどね。
「あのおじさんが?」
いや……中の魔女が。
「ああ。そう言えば、どうなったの?」
ん? ああ、帰ったよ。
「帰った?」
そ。
*
その後。
侑花はこの件について何度か話題にしたが、リシアがそれに応じることはなかった。
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