侑花とリシア1
ねーねー、侑花。
ある休日。侑花が自室でベッドに寝転がり、窓から風でゆっくり流される雲を眺めて呆けていると、リシアが語りかけてきた。
語りかけてきたと言っても、侑花の精神内での出来事なので、どうにも妙な感触がある。
「んー。なにさ」
なにさ、じゃなくて。いい加減あたしのこと、『あんた』とかじゃなくて、ちゃんと名前で呼んで欲しいのだよ。
リシアが、侑花の頭の中でボヤいた。
もちろん侑花は、そんなボヤきを右から左に聞き流した(これも妙な感触だが)。
えー? 聞き流すの?
「や、面倒だし。あんたはあんただし」
うーん。
リシアは、何やら困ったように言い淀んだ。
このままだと、あたし、名前ごと消えちゃうよ?
「へ?」
侑花がベッドから跳ね起きた。
衝撃の事実だ。
「それ、どゆこと?」
あたしはほら、侑花の脳内──ええと、精神内に存在するわけだから、侑花のイメージがダイレクトにあたしにフィードバックされるのだよ。つまり、侑花があたしをちゃんと名前で呼んでくれないと……。
「呼ばないと?」
リシアは、一旦、間を置いた。
さも重大な事を宣言するぞ。
そういいたげな
あたしの存在自体が消えちゃう可能性がある。
「そ、そなの?」
そうなのだよー。だから、ね?
侑花は、うーん、と首を捻った。
「むー。ま、まぁ、そういうことなら」
そうなんですよー。だからね? ね?
リシアは、煮え切らない侑花に食い下がった。
「んー、名前かぁ」
侑花がリシアの存在をはっきりと自覚したのは、五〜六年前だ。小学校中学年。ちょうど物心がつき始めた頃で、微妙なお年頃でもある。
初めは自分の頭がおかしいのか? などと疑っていたが、そうでもないと確信が持てたのは、つい最近だったりする。
そのせいか、照れくさいというか、どうにも今更感があった。
なので。
「面倒だなぁ」
えー? 面倒……?
「だって、話しかければ答えるでしょ?」
そりゃそうなのですが……。
「だから何で、時々敬語が混ざるの?」
消えちゃうのだよ? それでもいいの?
確かに、リシアが消えてしまうのは、何となく寂しい。
毎日起こしてくれる時間もいい加減だが、おかげで遅刻知らずだ。
色々便利な魔法で助けてもらったりもした。
──いやいや。
侑花は頭を振った。
──そんな利害関係だけじゃないけど……。
ボヤーっと頭の中に、意識を集中すると、何やら困り果てている「リシア」が見えたような気がした。
そう仰らずに、ねー?
「うーん」
だがどうにも、名前を呼ぶのに抵抗がある。今までは、いちいち名前を呼ばずとも『あんた』とか『ねぇ』で済んでいた。それがなぜ
「ねぇ、何か私に隠し事してない?」
か、隠し事?
「そ。あんたの頼み事聞いて、良いことがあった試しがない」
えー……?
「メリットとデメリット。そこをはっきりさせないと。違う?」
うー……。
リシアが黙り込んだ。
侑花はそれを「隠し事があること」そして、自分にとって「デメリットが大きい」と判断した。
「ちゃんと話してくれないと、今回の話はなし。一切聞かなかったこにする」
えー、そんなー。
リシアの、今にも泣きそうな声が頭の中に響いた。ご丁寧にエコーが効いていた。
侑花にとって、そんなに悪い話ではないのだよー。
「悪い?」
あ、いや。今のなし。ちゃんとメリットがあります!
「じゃ、正直に言って」
うー……。
リシアはしばし逡巡した後、ゆっくりと言葉を吐き出した。
んーとだね。
「ん?」
今はまだ言えない。言えば、侑花が確実に不幸になる。色々手順とか準備が必要。そう、きちんと段階を踏まないと、全てがうまくいかない。だから、今はあたしを信じて欲しい。
「……ん?」
口調が、いつもリシアのくだけた口調ではない。諭すような、真剣味のある言葉。
侑花は自分の中で、リシアの存在を初めて『形』として意識した。
途端。
──え? これは……一体?
リシアの姿が、侑花の精神内で鮮明に浮かび上がった。
長い金色の髪。蒼い目。深い藍色のマント。清潔そうなシャツとゆったりめのスカート。すらりとした白く長い足に、ちょっとくたびれた茶色い革のブーツ。
そんな出で立ちの女性が、侑花の目の前にいる。
──これが、リシア……?
リシアは、自分に向けられた意識、つまり侑花に、ゆっくりと目を向ける。
そこには、何か強い意志が宿っている。
もちろんこれは侑花の主観であり、精神内での出来事だ。
夢、と言ってもあながち外れではない。
──綺麗な目。
リシアの蒼い目は鮮やかで、吸い込まれそうな深みがある。
侑花は、その目にしばし魅入っていた。
おーい。侑花ー?
「ふぁ? はい? 何?」
突然、現実に引き戻された。
お願いなのだよ〜。
リシアは、いつもの人を食ったような口調で、侑花に懇願した。
──このギャップはなんだろう?
侑花は頭に鈍い痛みを感じつつ、この『リシアのお願い』は、受け入れざるを得ない、と直観した。
「分かった、分かったから。名前、呼べばいいんでしょ?」
そうそ! それでこそ、我が宿主!
侑花は軽く咳払いし、その『名前』を口にした。
「リシア」
もしリシアが実体を持っていたなら、きっと喜色満面の笑みを浮かべていただろう。
はいはい〜。侑花様。それでいいのです。
「だから何で敬語? 何で様付けなの?」
何となくです(ニコニコ)。
侑花は眉根にしわを寄せた。
「なぁんかさぁ、こう、何て言うのかな、こんな時」
んーと。そだねぇ……釈然としない?
「そう、それ」
いいねぇ、侑花。侑花は素直だね。
「何で?」
褒めてるんだよ?
「んー。でも何か、釈然としない」
まぁ、人生なんて、釈然としなかったり、不条理だったり、色々都合があったりで、好きなようには生きられないのだよ。
「都合って何?」
う……お答えできません。すみません……。
*
とにかく。
色んな事情があるにせよ、立場は、圧倒的に侑花が有利なのは確かなようだ。
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