貧巫女、縁切り榎へゆく
日記を始めたせいでエッセイを書く機会がめっきり減った。占いの結果などはこちらに書くべきだったかもしれない。まあいいか。占いで言われたことなどは少し古い話になるが、織り交ぜて書こう。
まず、私に板橋の縁切り神社を勧めてくれたのは占い師のBさんだった。通称「縁切り榎」という小さな神社で、小さすぎて社務所がない無人の神社である。
最寄りは都営三田線の板橋本町。プロのメンヘラは都営線の乗車運賃がフリーなので、ちょっとありがたい。
京都の有名な縁切り寺よりシンプルなシステムで、縁を切りたい相手の名前を書いた絵馬を奉納すると縁切りが叶うらしい。
絵馬は一枚千円で、木札の根付とシールの三点セット。
シールはただの記念品ではない。絵馬に書いた内容を他人に見られないよう、このシールを貼って隠すのだ。現代的……まあ狭い神社だから、確かに見ようとしなくても目に入ってしまう。「DV家族との縁を切りたい」みたいなセンシティブな絵馬も多いだろうから、私みたいな呑気な参拝者への気遣いにもなってるかもしれない。
この絵馬はご近所の飲食店や商店街有志の方から買い求める。特に「絵馬あります」という目印などはないようで、時間や曜日のタイミングが悪いと手に入らないかもしれない。
私は神社のすぐ隣にあるお蕎麦屋さんを頼ったが、絵馬だけ貰うのでは悪いので、新蕎麦なのだか新商品なのだかよくわからないが、季節限定商品っぽい「桜蕎麦」を注文し、食べてから絵馬を求めた。
蕎麦を注文したのは、私の育ちが良いから。だけではなく、ちゃんと私なりの理由がある。
この食事は、ご先祖様と氷川神社の神様、神棚にいるはずのマクゴナガル神社の神様、いつも優しいハグリッド神社の神様、そしてすぐそばにおわす榎の神様、そしてそしていつも一緒にいる感じのする貧乏神チャン、みーーんなに振る舞うためのお供え物だ。
私は貧乏神チャンを福の神チャンにジョブチェンさせることをまだ諦めていない。色々あったけど、やはり貧乏神チャンには少なからず良いところがあるはず。完全な悪でもなければタチの悪い怨霊でもない。と、この辺りは自分の感覚を信じて良いと判断した。
例えば占い師Aさんは、私に占い師Bさんを紹介してくれたありがた~い方であるが、彼女は初めて私の鑑定をした際、貧乏神チャンらしき何かを視た、かもしれない。
実は、現在でもAさんが視たものが何なのかはわかっておらず、そこまで意味のわからない抽象的なものを感じ取るのは稀らしい。(通常は多少のヴィジョンが視えるのに、私のときは感覚的にしかわからなかったとのこと)
後日、それは私の貧乏神チャンではないか? と尋ねたところ「もしかしてご挨拶してくれたのかな? 光栄です!」というリアクション。やっぱり貧乏神チャン、はちゃめちゃに悪いものではないのだと思う。
Aさんが感じ取った何かにはまるで悪意などなく、汚くもないし、不吉なものでもない。ただそこにあるだけの無害な物質だったそうだ。
一方、Bさんにはちょっとお祓いのようなことをしてもらったが、Bさんが祓ったのは生きた女性の情念、嫉妬やわだかわりのようなもの。
そいつとも意外と長い付き合いであったらしいが、その場でキレイキレイしてもらったため、今の私はめっちゃ身軽だ。
ちなみに私、ご先祖様のディフェンスは強めらしい。末代なのにメンゴメンゴと神棚に向かいテヘペロする日々を送っているが、このようなエピソードからもわかる通り、Bさんはガチガチのガチである。
Bさんには貧乏神チャンの話はさほどしなかったが、以前のエッセイで綴った「ブレーキ」については鋭く指摘された。
幸せになろうとするとき、チャンスに手が届いたとき、無意識にブレーキをかけて自分を幸せから遠ざける癖があることを、Bさんはごく自然に私の中に見出したようである。
以前知り合いの方から言われたのとまったく同じ「ブレーキ」という言葉を使ったのでとても驚いた。
そして「さすがにたかだか数時間の鑑定ではそのブレーキを取ってあげられないから」と言って勧められたのが、くだんの「縁切り榎」である。
私はそれ以来ずっと、今日の午後電車に揺られて板橋へ行く道すがらも、絵馬に何と書こうか悩んだ。
世間話のときは「貧乏と縁を切りに行くんだよ」などと言った。それは嘘ではないけれど、本質的なところからは少し遠い。
もしも魔法のランプやナメック星のドラゴンボールで願いが叶えられるなら、私は「生涯病気に悩まなくて良い健康な人間になりたい」「ムシ恐怖症を治したい」と願うことを決めている。残りひとつはクリリンにやってもいいし、ジーニーを自由にするのでも良い。
けれど縁切り榎に「病気が良くなりますように」と願ったところで多分五割も叶わない。罹ってしまったもんはもう、神様の専門外だ。プログラマーに「ここから再生するアニメーションなんだけど、もっと綺麗に動くようにして」とお願いするくらい管轄が違うと思っている。
まして自分でも正体のわからない「貧乏神チャン」や「ブレーキ」を取ってくれなどと言えない。
Aさんはかつて「あなたは欲しいものを手に入れられる人だけど、どうやって何を得るのかがぼんやりしていてはダメ。まず何が欲しいかを明確にして、自分がそれを手に入れるステップを具体的に思い浮かべるように」とアドバイスしてくれた。
私はそれに則り、神様への長い長い具体的なプレゼンとプランニングをもって祈願とすることにした。
神様にはここで、私と貧乏との縁を切ってもらう。
でも、その代わり私は御縁や人との繋がりを大切にして疎かにしないし、神様がもたらしてくれたチャンスをいかせるようにいつも準備をしておく。
心と体がちゃんと動くならば、私はしっかり真面目に働くことができるから、ご先祖様のことも神様のことも大切にするし、貧乏との縁を遠ざけてくれたら、お礼にまたお蕎麦やお茶やクリスピークリームドーナツやしろたえのチーズケーキをお供えします。貧乏神チャンともうまくやります。
という感じでお蕎麦を頂いた。長い。「いただきます」があまりにも長すぎ。いくら蕎麦が長いからって、傍から見ればさぞ不審だったことだろう。
まあそういうの気にしないけど~。あれよ、日本国憲法で保障されている、信仰の自由ぞ。
絵馬にも大体そのようなことを書いた。自力で頑張るところは頑張りますので、ご先祖様共々よろしくね! みたいな。
明日からの私と、私と袖振り合った人々と、ご先祖様と、一階の事故物件からフーフー私のこと冷やかしてる人と、私のことを幸せにしてくれるみんなみんな幸せになると良いよね~。
と、結局最後まで日記のノリで書いてしまった。
もうエッセイ書けねえな。
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