空を求めて

陶木すう

 昔、人々は地上に住んでいた。そこにも太陽と空があったらしい。

 今、私が建物を出ると、頭上には透き通った空と太陽が見えるが、それはパネルと、地球外から受け取るエネルギーを変換して光を発する機器でできている。その見かけは、かつて地上にいたときに見えていた恒星を模している。

 数百年前、太陽が少しずつ衰えるに従い、地球はさまざまな影響を受け始めた。

 一番最初の深刻な影響は、太陽光の低下による食物の不作だった。このことは昔から予測されていたため、人類は太陽光の代わりになるものを求め、昔ながらのエネルギー……、石油や原子力発電より安価で効率良く、宇宙のブレーザーからエネルギーを取り出すことに成功した。そのエネルギーを代替太陽光として、最初は、大都市と大型農場に大型機器が設置された。そして十数年後には、より安価に作成できるようになった。とある技術者が考案した、日常にあるものを使った気球型の疑似太陽の作成方法は画期的で、あらゆる土地が新しい太陽の光に覆われるようになった。

 しかし問題は解決しなかった。食物の不作は続いた。人々は皮膚癌と血液の病気が増え始めていることに気づいた。やがて皮膚の疾患と損傷、それに付随する体の衰えや血液の病気が死因の大半を占めるようになる。衰えた太陽は有害な光をより強く発するようになっていたのだ。植物と動物もその影響を免れなかった。

 人々は太陽光を遮断する建物や地下室を作るようになった。

 そして三百年ほど前、東南アジアのとある新しい都市が、地下で生活する都市計画を立て実行したのをきっかけに、他の都市も徐々に地下に移り始めた。屋外で防護服を着て、汚染された表の土壌に触れて生活するより、地下で生活する方が安全だ。

 それから人々は長い時間をかけて完全に地下へと移っていった。

 最初それぞれの都市は孤立しており、他の都市に行くためには地上に出る必要があったが、地下網は全世界に伸びていき、どこへ行くのも地下網を通れば済むようになった。

 今や、世界は繋がり、人々が地上から地下へ移ってから幾世代か経ち、地上で生きていた頃を実際に知る世代もいなくなった。


 私は地下と地上と変わらないと聞いていた。

「ねぇ、太陽を見てみたくない?」

 私は杏に声を掛けた。

 記録に残る太陽、青い空を見てみたくなったのだ。青い空は再現されているが、本当に同じものなのか。

 祖父は太陽光技師だったため、古い防護服や工具が家にある。

 杏は同意して、二人で物置から防護服を引っ張り出した。防護服を着てヘルメットを着けると少し息苦しい上にぶかぶかだったが、なんとか着ていられなくもない。

 私たちは古い送電塔に向かった。昔は外部のブレーザーから、生活に必要なエネルギーを受け取るのにたくさんの塔が必要だった。今はそのような大型の建物をいくつも建てる必要はなくなり、ほとんど使われていない。小さい頃、子どもたちは老朽化した送電塔にこっそり忍び込んで遊んだものだ。

 私と杏は、昔こじ開けたフェンスの穴をくぐって送電塔をのぼっていった。小さいときには上に行こうと思わなかった。主に送電塔の事務室に落書きをしたり、古い机や冷蔵庫で遊んでいただけだった。上に進んでもどこまでも階段があるだけだからだ。ずっと上には地上に出る扉があるが、上方は汚染されているとも聞いていた。ブレーザーから太陽を取り込み、それを人口太陽にたくさんの送電塔を使って送る……、その塔を整備する、たくさんの太陽光技師たちは防護服を着て、汚染された塔の上方までのぼっていたらしい。

 いくらか階段を上ったところで扉があった。扉に鍵が掛けてあり、私はがっかりした。それもそうだ、立ち入りは禁止されている。ところが杏が諦めなかった。鍵を壊そうと言う。私たちはいったん家に帰ると、工具を取り出してきて、四苦八苦しながら鍵を壊した。

「開いたよ!」

 杏は興奮して叫んだ。私たちはさらに上にのぼった。建てられて三百年、少なくともここ百年は誰ものぼったことがないのだろう。階段は埃がたまり、空気はよくなかった。壁は湿って大きな染みができているところもあり、ヒビの入ったところもあった。いつか取り壊されるのかもしれないと私は思った。

 上へ、上へ。筋肉痛になりそうだ。私と杏は笑った。どれくらい上ったのかも分からない。ぐるぐる同じところを回っているような気さえする。時計から時間が経ってることは分かるが、本当に上にのぼっているのか疑わしく思える。同じところをずっと回っているだけだったりして、と言い、それが妙におかしくて笑った。笑い出すと止まらない。二人きりで、二人の話し声と笑い声しかしない。そのことがまたおかしくて、私たちは笑い、それから疲れてしばらく座り込んで休んだ。防護服なんて着ていられない。私たちは防護服のジャケットを脱いで腰に結んだ。

 それからしばらく進むと、また扉があった。『防護服着用』と赤い文字で書いてある。思わず私は笑った。

「なんだ、下から着てくる必要なかったんだ」

 私たちはバカみたいに笑ってしまった。だってだいぶん息苦しかったからだ。それから改めて防護服とヘルメットを着けて、ふたたび鍵を壊して扉を開いた。

 扉は冷え切っていた。分厚い手袋をつけていても分かる。錆びた扉はなかなか開かず、二人で押した。蝶番がギシギシ言う。

 そしてゆっくりと扉が開いていく……、その先は地上のはずだ。

 太陽、青い空……、きっと私たちが普段見ているものと同じものが見えるはずだ。人々は地上から見える恒星と大気のデザインを再現したのだから。その意味では、最初から分かっていることをただ、確かめるための冒険だった。写真に写った光景が同じかどうか確かめるようなものだ。VRの体験と同じかどうか、お金を投じて確かめるようなものだ。

 しかし、そこは真っ暗だった。遠くに、まるで小さなライトのような光が点々と散らばっている。星だ。そのなかに一つ、ひときわ大きな赤い星があった。

「……夜?」

「ううん、今はたぶん昼のはず……」

 私たちは頭上に広がる本物の『空』を見上げた。

 地下に入るとき、人は地上の時間も再現した。地下で昼であれば地上も昼のはずだ。しかしあたりは凍えそうなほど寒い。扉から顔を出しているだけで、体が凍りつきそうだった。

 太陽はすでに光を失い、赤色の恒星になっていたのだ。

 私たちは気づかず、しばらく、私たちの知る、夜空に似た空を、体が凍えるまで見つめていた。

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空を求めて 陶木すう @plumpot

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