カントの朗読#14 姉のような
ディーゼルとルイスが宿舎を飛び出していくのを皆が見送ったあと、椅子に座って呆然とするユナリヤ以外のカルチェスの面々はすでに今夜からの襲撃に備えての準備を始めていた。
「当分、門扉は早くから締めた方が良いかもしれんな」
「それがよいだろう。だが、お館様にはどう説明したものか…」
「今日からは見張り台にはふたりで泊まることとしよう。フーガ。悪いが鉄砲を何丁か借りることはできるかね」
「えぇ、早速準備致します」
「南門と東門からはいつでも逃げられるようにしておいた方がいいな」
「逃げる場所は市庁舎を借りるとしよう」
2、3人同士の会話も総勢30名ともなれば増幅し合い、まるで昼間の雑踏のざわめきのように騒がしいものとなっていた。時に男たちが任務や遠征から返った日は、このような騒がしい夜だったかもしれない。
だが、今日に限っては明るく力強い活気ある夜ではなく、剣呑とした緊張をはらんだ重苦しい雰囲気をまとっていた。
「お嬢様。しばらくの間、お屋敷と屋敷内に我々が警護に立ちます。何か異変があればすぐにお呼び下さい」
従者のひとりがそう言うのをユナリヤは無表情で聞くと、
「…貴方たちに任せるわ」
それだけを告げ、早々に宿舎をあとに屋敷へと戻っていった。
部屋に戻り、寝間着に着替えたはいいものの、ユナリヤはベッドに入る気がせず、ひとりぽつんと椅子に座って窓から覗く大きく明るい月をぼんやりと眺めていた。
ふと視線を落とすと、カルチェスの男たちがランタンを持って、庭を巡回する姿が目に入った。
「あの子たちは大丈夫なのかしら」
ユナリヤはそう呟いた。
ふいにドアを小さくノックする音が聞こえた。
「…ッ!?」
ユナリヤはその音に思わず身を固くすると、さっと机に置いていた銀製のペーパーナイフを手に取った。着替えたばかりの寝間着の背中に冷たいものがひとつ流れた。
「お嬢様。ジョリスでございます。もうおやすみでしょうか」
扉の向こうから聞こえる聴き慣れた声に、ユナリヤはほっと胸を撫でおろした。
「ジョリス…」
ユナリヤは手に取ったペーパーナイフをそっと机に戻すと、「入っていいわ」と扉に向かって声をかけた。
「お休みのところを申し訳ございませんお嬢様」
扉が静かに開くと、しずしずとジョリスが部屋へと入ってきた。その声は固く、いやに緊張してたものに思えた。
「お嬢様、先ほどは出過ぎた事を申し上げたこと、お許し下さいませ」
ユナリヤが「どうしたの」と尋ねる前に、ジョリスは足下に膝をついて深々と頭を下げた。
「ヴィアレット家のためとはいえ、あのような年若い少年に酷なことを申しました。私は冷酷な女です。お許し下さい」
灯りの下によればジョリスの表情は随分と沈痛な色に染まっており、目元には涙のあとがくっきりと流れていた。
「いえ、私がもっとしっかりとしていればよかったわ。貴女はヴィアレットの為を思って進言してくれたのにね」
そう言ってユナリヤはジョリスの手をとった。
思えば彼女もまた辛かったに違いなかった。それを慮ってやれなかったことをユナリヤは後悔していた。優しく思いやりのある女性で、街の人々からの評判もすこぶるよかった。
ユナリヤにとって、カルチェスの男たちは護衛であると同時に良き遊び相手なら、ジョリスは姉のような存在でもあった。実の姉たちとの仲も決して悪くはないが、なにぶん幼い頃から趣味や嗜好が変わっているために孤立しがちなユナリヤのそばには、いつとなく彼女がいてくれていた。
また当然、カルチェスのメンバーとも決して関わりのないわけがなく、むしろ、護衛や任務といった怪我や病気が絶えない仕事に就く彼らを、最もよく見ていたのは彼女だった。
「彼らなら大丈夫よ。ルナも加勢に行ってくれたみたいだしね」
ジョリスは伏せた顔をあげた。灰色の瞳からひとしずくの涙が頬を伝った。
「さぁ、私はもう休むとするわ。私の自慢の傭兵たちを明日は元気に迎えなくてはね」
ユナリヤはジョリスの手を離すと、それまでまんじりともできなかった天蓋付きのベッドへと潜り込んだ。
「ジョリス、灯りを消してちょうだい」
「はい、お嬢様」
ジョリスは部屋の灯りを消すと、ユナリヤに「おやすみなさいませ」と言い、扉を閉めた。
「そう。明日になれば、ね」
ユナリヤは夢の世界へと落ちていった。
ヴィアレット家豆知識
ユナリヤの部屋
=広さは20畳程度。ローマ風の天井と、薄紫色の漆喰の壁が特徴的。隣には、書庫と絵画を納める部屋があり、暇な日はそこに籠もることが楽しみ。
フーガ
=左手が義手。なかにはナイフが仕込まれており、襲われた際の武器になる。
ジョリス
=元々は大陸からスペインへと渡ってきた商人の娘。とある流行病により家族を失い、ヴィアレット家に保護された。カルチェスの為の武器や情報を集める仕事も担っている。
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