カントの朗読#12 狩り

カント「ここで申しますGhoul(屍鬼)というのは、元はアラブに伝わる怪物『al ghûl 』に似ているとあります。伝承によれば、彼らは何にでも変身する力を持ち、人を襲い、時に腐肉をも漁る者たちのようです。ただし、この物語でのGhoulは理性はほとんどなく、ただ食欲を満たすために這い回るゾンビのような存在でございます」


***


 ルナの言葉に皆口をつぐんでいました。

「そ、そんな。あのお優しい伯爵様たちが…」

 それまで押し黙って立ち尽くしていたルイスはその場に膝をついてそう言いました。

 ほんのひととき前まであれほど和気藹々わきあいあいと朗らかだった空気は一変し、暗い水底のような重苦しい雰囲気に満ちていました。

 とにかく脅威を取り除くため、皆を鼓舞しなくてはと思い、

「時は一刻を争うわね。早々にその屍鬼というものを退治しなくてはならないわ」

 私は椅子に掛けたままでしたが、できる限り力強くそう宣言しました。

 いつもなら、私の言葉に皆が呼応してすぐさま動いてくれるだろうと思っていました。

 しかし、私の期待通りに事は運びませんでした。

「お嬢様。事はそう単純ではございません」

 それどころか、私のそばに控えていたジョリスは冷静な口調でこう返しました。

 そして、彼女に続いてディーゼルがぶっきらぼうに言いました。

「お嬢。俺たちは雇われの身とはいえヴィアレットの傭兵だ。金も寝床も食事もさることながら、お嬢のためなら命なんぞ惜しいとは思わんさ。お嬢だけじゃねぇ、お屋形様、奥方様、お嬢のお転婆な姉上様もだ。これまでも、これからもな」

「だが、俺たちはこのマドリードの市民の為に命を張る義理がねぇんだ。分かるかい?」

 ディーゼルの言葉には皆が無言でした。ですが、その顔は苦渋に満ちながらも肯定の様相を見せていました。なおもディーゼルは続けます。

「そこの女吸血鬼は言ったな。屍鬼は人を襲い、街を徘徊する死体であると…」

「ふん…」

 ルナはその鋭い眼差しに不機嫌そうに鼻を鳴らすばかりでした。

「そんな化け物と戦うんだ。ひとりやふたりは死ぬかもしれん。だけど、そいつは何のために死ぬんだ?お嬢。俺たちは十字軍でも祓魔師でもねぇ。俺たちの命はヴィアレットの繁栄のためなんだよ」

「ディーゼルの申すとおりでございます。カルチェスにできるのは、ヴィアレットに害する魑魅魍魎からこのお屋敷の方々を護ること。それだけにございます」

 そうきっぱりと言い切るジョリスの目は真剣そのものでした。また、彼女は続けてこうも言いました。

「また、聞けばその化け物はルイス君を狙ってここにやってくるとのこと。私の判断と致しましては、カルチェス所属ルイス・アモートを即刻お屋敷から放逐すべきと存じます」

 ルイスは青ざめた顔でジョリスを見上げました。

「ジョリス!貴女はいつからそんなに心ない人になったの!」

 私は思わず立ち上がって彼女を責め立てました。ですが、私よりも大人の彼女は毅然と私の前に立っていました。

「お嬢…いえ、ユナリヤお嬢様。ジョリスの申すとおりでございます」

 カルチェスのリズが私のそばに膝をついて静かに言いました。

 いつもの気安い言葉も消え、この時は口調も従者らしい正しいものでした。

「ヴィアレット家に害する存在はなおのこと、それらを引き寄せる要因は取り除かねばなりません」

「貴方たちはそんなに情の無い人間ではないと思うわ」

「お嬢様。情の問題ではございません。我らの契約はヴィアレット家の安全を保ち、守ること。それだけにございます。例えこの先このマドリードが廃墟となろうとも、それはあずかり知らぬこと。すぐさまこの地を離れ、安全な国へとお連れするだけにございます」

 それは私が教会の式典に出たときと同じような厳かかつ真摯な口調と態度でした。

あたりを見回してもその態度はカルチェスに身を置く30名余りの男女全員も同じでした。

 私は彼らのその忠誠心に感動するものもありながら、どうすればよいか分からなくなっていました。

「友よ。その者たちの言うことは筋が通っておる」

 それまで押し黙っていたルナが口を開きました。その声は、どこか優しい儚げなものに聞こえました。

「従者とはそういうものだ。主に仕え、守る。それが仕事だ」

「逆もまたしかり。主、主たらざれば、すなわち臣、これ臣ならず。これほどに仕える従者たちに、友よ、貴様はどう応える?」

 ルナの言葉に重たい沈黙が私たちを取り巻きました。

「なぁに、単純なことさ」

 ですが、しばらくしてその沈黙を打ち破る軽薄なそれでいて何でも無いと感じさせるような言葉が投げられました。

「ディーゼルさん…」

 ルイスが戸惑ってディーゼルを見つめていると、つかつかとルイスの元へ歩み寄って突如首根っこを掴んで立たせると、入り口の方へと引きずっていきました。

「どこに行く気だ。ディジー」

 カルチェスの男がひとり彼の背に向かって言いました。

「決まってるだろ」

 ディーゼルは私たちに向かって振り向くと、にやりと不敵な笑顔を見せました。

「狩りさ。吸血鬼狩りだ」

 ですが、私たちが彼のそんな顔を見たのは後にも先にもこの時だけだったと思います。


***


カント「ここからはユナリアお嬢様がカルチェスの方々からお聴きになられた事の顛末を物語としてお書きになったものでございます。そのため、登場人物は三人称となります」


***


ヴィアレット家豆知識


ディーゼル・レッドアイ(Deysel Redeye)=偽名。

小説内では名前として書かれているが、誤訳である。

通称は赫眼せきがんのディーゼル。

ポルトガルではネブリナ(霧)と呼ばれ、とある仕事に就いていた。

当時の異名は「狩人ネブリナ」「魔女狩りのネブリナ」


北椿玄武=日本から傭兵として大陸へと渡ってきた武士。

代々魔力に対して感知する能力が高く、人並み外れた膂力を持つ。

後年、とあるきっかけでその正体が判明する。


ジョリス=大陸東の方の出身。

東洋系の顔をしており、黒髪を物珍しい目で見られるがマドリードの市民に慕われている。

本名は「銀」


鋼弾封瓦(ハダン・フーガ)=元イラン王国兵士。

元々はヴィアレット家の傭兵としてマドリードにやってきたが、暴動により負傷したため、ジョリスの商館で働くようになった。

銃の名手であり、またある戦法の発案者でもある。


ルカ・アルベルティ=ベネティアからエニグマに師事するためマドリードへと訪れた学生。

ヴィアレット家とは繋がりを持っておらず、ユナリヤとは同学という立場である。

後年、子どものいないエニグマ・イリインスキーの養子となる。イリインスキー家とアルベルティ家は親戚筋として、以後ヴィアレット家のなかで頭角を現わすようになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る