カントの朗読#9 しばしの休憩

 1時間ほどの朗読が続き、時刻はすでに夜10時を過ぎていました。

「皆さま、カントの朗読は少しばかり休憩を挟みたいと思います。明日の夕方頃、お食事のあとにまた再開させて頂きたいと思います。ご静聴ありがとうございました」

 カントが深々とした礼のあと、ラウンジからは一斉に拍手が鳴り響きました。それと同時にほの暗かった部屋にライトが灯ると、ぱらぱらと席を立って夜の仕事に戻る者、その場に残って友人同士で先ほどの話の感想を交換し合う者と分かれました。聞き耳を立ててみると、やはり話す内容は朗読に関することでした。

「面白かったねー」

「ユナリヤ様ってやっぱりご主人様のご血縁だよね」

「Calcesって本家の方々のよね。その頃からあったんだ」

 普段なら部屋に戻っている時間帯の少年少女たちは少し非日常的な雰囲気も手伝って、わいわいと楽しそうに感想を言い合っているようでした。

「皆さんもう部屋に戻る時間ですよ」

 パンパンと棗は手を叩くのと同時に、瑠璃や柚月もテーブルをまわって部屋に戻るよう促していました。

「ほらほら!もう瑠璃たちは寝ないと明日に響くよ!」

「また明日聴けるから今日はもうおやすみだよ」

 目が爛々と冴えてしまった少年少女たちはどこか名残惜しさも残しつつ、素直に従ってラウンジを後にして行きました。

「お嬢様、お坊ちゃま。お茶をお持ちしました」

 そんな彼ら彼女たちの様子を眺めていると、雪が夜のお茶と軽食を準備してくれたので、私たちはそれらを済ませて部屋に戻ることにしました。

「あら、なんだか初めて飲む味ね」

 淡いブラウン色のお茶を一口啜ってみると、いつもとは違う味わいが口の中に広がりました

鴛鴦茶えんおうちゃでございます。珈琲と紅茶をブレンドしたもので、香港でよく飲まれているものです」

 雪に教えられて、ようやく私たちは合点がいきました。それは紅茶と思えば紅茶となり、珈琲と思えば珈琲となるといったもので、摩訶不思議な味に惑わされるような、調和というよりもむしろ混沌といった表現がしっくりとくるような気持ちでした。

「お口に合われませんでしょうか」

 雪は私たちの反応を見て、少しうつむき気味に心配そうにそう言いましたが、私は手を振って答えました。

「いえ、美味しいわ。でも不思議な味だから、どう表現していいか迷うわね」

「うん。ミルクティーのようなのに、珈琲の苦味も感じられるね。でも美味しいよ」

 お兄様も美味しそうにゆっくりと味わう様子に雪もようやくほっとしたようでした。

「ご主人様。ご静聴ありがとうございました」

 タイミングを見計らっていたのか、雪がお茶を出し終わった後にすぐカントが挨拶へと訪れました。

「カントお疲れさま」

「上手だったわ。引き込まれたわね」

 私たちは彼女に再びパチパチと小さく拍手をすると、カントはカーテシ―のポーズで恭しく礼を返しました。


 ゆなとゆずるが部屋に戻ったあとカントは霧島や「アプリオリ」とともにテーブルを片付けていた。テーブルクロスや椅子を連携しながらテキパキと直しつつ、3人は軽い雑談をしていた。

「いやぁ、それにしても何か聞き覚えのある名前がいくつも出てきて出来過ぎな話だったな。玄武はそのまんまの名前で出てきて笑った」

「Tiene razón(その通りです)霧島様」

 霧島の軽口にカントはにっこりと笑いながら答えた。

「ん?」

「ヴィアレット家に仕えられている方々の多くは、勃興の頃から一族に召し抱えられた方々の末裔にあたります。例えば、ユナリヤ様とご同学にあられたルカ=アルベルティ様は、マイスター…ベネディット様とキッカ様の血縁にあられます」

「あぁ、やっぱりそうなんだね。まさかこんなところでご先祖様の名前を聞くなんて」

 「アプリオリ」は数百年を超えて繋がる血脈に嬉しそうに目を細めた。

「ってことは、エニグマって化学者は…」

 霧島が口を挟むと、カントはそれに継いで答えた。

「Si。エニグマ様はイリインスキー家のはじまりの方となります。執事になられたのは正確には彼の養子のようですが」

「あんたたちはこの頃から師弟の関係だったんだな」

 霧島の言葉に「アプリオリ」は照れを隠すように口元を緩めた。

「そういえば、アレンスカヤって出てきたけどやっぱり…?」

「アルテミス様は…」

 カントは途中で言いつぐむと、『アプリオリ』を見つめたまましばらくの間動きを止めた。PCが高速で計算するときに鳴る、キュイキュイという音が静かに聞こえた。

「カント?」

 「アプリオリ」はカントの不可解なフリーズに怪訝な顔をしたが、すぐに彼女は動きを再開すると、首を小さく振った。

「No. シルヴィア様とアルテミス様のご関係は不明です」

「そうなんだね…」

 この後、しばらく3人は無言のまま残りのテーブルを片付け、最後のテーブルクロスをたたみ終わると、霧島は大きく伸びをして言った。

「よっし。これで終わりだな。お疲れさん」

「マイスター、霧島様、本日もお疲れ様でございました。私は最後に見回りをございますので先にお休み下さい」

 カントがそうふたりに深々と礼をすると、先に「アプリオリ」が答えた。

「カントもお疲れさま。僕は先に部屋に戻るよ。君も早く休むんだよ」

「Si。承知いたしました」

 「アプリオリ」の労いにカントが恭しく返答を返すと、

「んじゃ。俺も戻るとしますかね」

 次いで霧島がラウンジを出よう一歩踏み出すとカントが一言彼を呼び止めた。

「霧島様…」

「んー?」

「ディーゼル様とアルテミス様。おふたりは…」

 霧島はカントの言葉を手で制して言った。

「いいさ。俺は知ってる」

 カントは目を伏せて何も答えなかった。


ヴィアレット豆知識

→カントはヴィアレットに関する情報にアクセスすることができるが、秘匿事項に関しては口外できないようにロックがかかるようになっている。

ただし、秘匿事項に関係する人物は除く。

→封瓦は露五、レミリアはレム、ジョイスはジャンの祖先にあたる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る