第8話 ぼくらの家

 ある日の朝、ナギは誰かが自分の部屋の扉を叩く音で目を覚ます。ナギは聞こえないふりをして、ブランケットの中に潜り込んだ。そんな抵抗も虚しく、ドアは開け放たれる。

「ナギ、まだ寝てるのか。もう朝食の時間だぞ。」

 大人びた口調で彼に語り掛けるのは、屋敷で最年長のマイルだった。彼に諭されて、ナギは渋々ベッドから半身を起き上らせた。不機嫌そうな寝起きの顔を見たマイルは、ははっと爽やかに笑う。

「酷い寝ぐせだな、角が生えてるぞ、ナギ。鏡があったら見せてやりたいよ。」

「…へ、そうなのか?」

「皆の前で恥ずかしい思いをしたくないなら、寝ぐせ直してから出てきた方が良いかもな、あははっ!」

 マイルは堪えきれないといった様子で笑いだす。

「な!お前!おれのこと馬鹿にしてるだろ!」

 むっとした表情のナギに、マイルは言った。

「冗談だよ、冗談。僕は先にいつもの所で待ってるからさ、支度が終わったらおいで。あと、間もなく朝食の配膳が終わっちゃうから急げよ。」

 ナギは、マイルに言われた通りに支度を済ませると、大慌てで食堂に駆け込んだ。

(やっば、誰も居ないや。…間に合わなかったかな。)

 きょろきょろと落ち着きなく辺りを見回すナギを見かねて、厨房に居たおばあさんが彼に声をかける。

「ナギ坊や、また寝坊したのかい?」

「あ…えっと。…うん。」

「懲りないねえ。ほら、これが今日の分の朝食さ、持っていきな。」

「ありがと、おばあさん。…えっと、あのトレーは?」

 そう言って、ナギは厨房の中に残されたトレーを指さした。彼以外にももう一人、寝坊した子どもが居るようだった。

「ああ、あれはね、イアお嬢さんの分さ。」

(イア…見かけたことはないけど、名前だけなら聞いたことあるな。確か、あの子の部屋って、おれの部屋の近くだったような。)

「そうだ!おばあさん、おれ、イアって子の分も持ってくよ!」

 ナギは、弾けるような笑顔でそう言った。

「気持ちはありがたいけれど、それはやめておいた方が…。」

 おばあさんはナギを引き留めようとするが、彼はおばあさんの返事を待たずに、イアの分の朝食を自分のトレーに載せて走り去ってしまった。

「ちょ、ちょっと!ナギ坊やー!イアお嬢さんは教授さん以外には…!」

 おばあさんがそうやってナギの背中に呼びかけるも、返事はない。食堂を出て廊下を覗き込むが、もうそこに彼の姿は無かった。

「困ったねえ…何もなければいいけど。」


 その頃、マイルは約束の場所で一人、書斎から持ち出した本を読んで彼が来るのを待っていた。二人はいつも、中庭の木陰の下にあるテーブルで朝食をとる。歳が近い友人を持って居なかったマイルにとって、その時間は本当に特別なものだった。しかし、ナギはいつまで経っても現れない。ナギのことが心配になったマイルは、彼を探す為に屋敷の中に入っていった。

(まさか彼、まだ寝ているんじゃないだろうな。)

 そう思った彼は、真っ先に彼の自室に向かった。しかし、そこに彼の姿は無い。

「あれ…おかしいな。どこに行ったんだろう。すれ違ったかな。」

(もしかしたら、ナギは食堂に向かおうとしていて、その時にすれ違ったのかもしれない。)

 マイルがナギの部屋を出て、食堂に向かおうとしたとき、廊下の向こう側から何やら楽しそうな笑い声が聞こえてきた。見れば、廊下沿いに並ぶ部屋の中で、一室だけ扉が薄っすら開かれていた。笑い声はそこから聞こえているようだ。マイルは、その笑い声に吸い込まれるように、部屋に向かって近づいていく。

(あれ、ここって…イアの部屋?)

 マイルはドアノブに手をかけて、部屋の中を覗き込む。そこには、楽しそうにお喋りするイアとナギの姿があった。

「…おい、ナギ。」

 窓から強く風が吹き抜けると、ドアはぎいっと音を立てて開かれた。ドアの向こう側で茫然と立ち尽くすマイルに、ナギは無邪気な笑顔で手を振っていた。窓から差し込む太陽に照らされて、白い歯が光っている。彼は誰よりも太陽が似合う人だった。

「おお!マイルじゃないか!迎えに来てくれたんだな!」

「…あ、うん。」

 マイルは、ナギとイアを交互に見る。イアの瞳と目があった瞬間、心臓が刺すように拍動した。マイルは動揺していた。彼の記憶が正しければ、イアは教授以外の人間と会話が出来ないはずだった。

「おいマイル、どうしたんだよ。」

「…えっと。」

 困惑するマイルをよそに、ナギはいつもと変わらない調子だった。彼は、いつもマイルに話しかけるのと同じように、イアに話しかけている。

「イア、こいつ、おれの友達のマイルって言うんだ。すっげー頭良いんだぜ!」

「ちょ、ちょっとよせよ、ナギ。よく聞くんだ、彼女は…。」

「何だよ、いいじゃんか。良いよな、イア。おれたち、三人で友達になろうぜ。」

(そんな滅茶苦茶な…。)

 マイルは、恐る恐るイアの方を見る。機嫌を損ねて怒られたらどうしよう、教授に失望されたらどうしよう、心配性のマイルの頭の中はそんな考えで一杯だった。突然、ベッドの上に座っていたイアがばっと立ち上がる。マイルはその瞬間、足がすくむような感じがした。イアは、とマイルのもとに近づき、じっと彼の真っ黒い瞳を見つめた。

「…わたし、イア。」

「あ、うん。知ってるよ。僕が来るよりずっと前から、ここに居るんだよね。」

「あなた、マイル?ナギのともだち?」

 マイルは頷いた。イアの瞳がキラキラと光る。

「イア、マイルとナギのともだち、なってもいい?」

「ぼ、僕たちで、良かったら。」

 マイルは、少しはにかみながらそう言った。イアの顔がぱあっと明るくなる。その様子を見ていたナギが、二人の元に駆け寄る。その手には、二人分の朝食が乗ったトレーがあった。

「おっし!そうと決まったら、今日は三人で朝飯を食おうぜ!もう冷めちまったけどな!」

「くおうぜー!イア、ナギとマイルと、くおうぜするー!」

(く、くおうぜするって、滅茶苦茶な。)

「ナギ、彼女に汚い言葉を教えたら教授が悲しむよ。」

「細かいことは気にするなって、ほら、行くぞ!」

 ナギはトレーを片手に持つと、もう片方の手でマイルの腕を掴んで走り出す。マイルは、朝食が落ちたらどうするんだ、と言いかけて止めた。何だかもう、そんなことはどうでもよくなってしまったのだ。

(詳しいことは、後で教授に話せばいい。あの人ならきっと、全部笑って許してくれるのだから。)

 そんなことを考えながら、マイルは窓の外を見る。そこには、嵐が過ぎ去った後の青空が、どこまでも果てしなく広がっていた。そして、裏庭から聞こえてくる蝉の声が、この街に夏の訪れを知らせるのだった。


 ―帰る場所があればきっと fin.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

デモンと魔女の呪い 金剛司 @52_98031

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ