第7話 救済の少年
少年の突然の告白に、仮面の男は目を丸くした。少年の瞳からは、大粒の涙があふれて止まらなくなっていた。仮面の男はすっと手を伸ばし、その涙を指で拭う。そして少年に笑いかけながら、優しい声で言った。
「全部、知っていますよ。ナギ・ロータス君。」
ナギ、それは確かに少年の名前だった。
「………へ。」
「この一週間、古い友人を頼りに、君の過去について調べさせていただきました。一人で国境を渡り、この街までやってきたのですね。大変な長旅だったことでしょう。…よく頑張りましたね。」
仮面の男の手が、少年の頭の上にそっと乗せられた。少年は目をぎゅっと閉じて、頭を左右に激しく振る。
「ま…待てよ!そんなの聞いてない!…知ってるって、知ってるって、一体どこまで知ってるって言うんだよ!」
仮面の男は大きく頷いた。
「ナギ・ロータス君。出身は帝国。君のお父様は、かつての戦争で大きな戦績を残した軍人でした。しかし、戦争が終わった後も、君のお父様が家に帰ってくることは無かった。なぜなら、君のお母様が敵国である王国の出身だったから。」
少年は、ぐっと唇を嚙みしめて俯いた。
「貧しい生活が続く中、君のお母様は王国に逃げ出そうとしましたが、それは叶いませんでした。彼女は、長く続いた飢餓で衰弱してしまった。間もなくして彼女は命を落とし、その後すぐに、君は帝国の少年兵として軍隊に引き取られました。そこで君は殺しの術を教えられた。しかし、君は屋外訓練の最中に脱走し、一人で国境を越えてこの街までやってきた。」
少年は諦めとも驚嘆ともつかぬ声で、ははと笑った。
「どうしてだと思う?どうして、ここまで来たんだと思う?」
仮面の男は、その問い掛けに応えることが出来なかった。
「人を殺すのが嫌だったんだ。父さんたちが言ってることは、おかしいんじゃないかって、間違ってるんじゃないかって、怖くなったんだ。だから逃げてきた。…なのに、逃げてきたら余計に分からなくなった。国境を越えるとき、おれは死にかけたんだ。銃を持った大人に追いかけられて、「少年兵だ、敵国が攻めてきた」って。」
少年は、そっと胸元のナイフを握りしめた。それは、少年が軍隊に引き取られる前日に、家の台所で見つけたフルーツナイフだった。それを見た仮面の男が、少年に問いかけた。
「お母様とは、仲が良かったのですか。」
「…うん。母さんは、世界で一番優しい人だ。おれ、母さんと約束してたんだ。おれたちを捨てた父さんみたいには絶対にならないって。あんな人殺しにはならないって。…なのに、なのにおれ。」
込み上げるものを抑え込みながら、少年は絞り出すように言った。
「あんたを殺そうとしてた。あんたの話を聞くって嘘ついて、裏切って殺してやろうって思ってたんだ。…ずっと謝りたかったんだ。…ごめんなさい。あんた良い奴だったのに、殺そうとして、ごめんなさい。」
今にも少年が消えてしまいそうに見えて、仮面の男はとっさに彼を胸に抱いた。
「良いんですよ。」
その瞬間、少年の中で今まで抑え込まれていた感情が洪水のように溢れ出して、彼は赤子に帰ったように泣きじゃくった。少年が泣き止むまで、仮面の男が少年の傍を離れることは無かった。
「ナギ。…私も、君にお話したいことがあったのです。聞いていただけますか。」
少年は黙ってこくんと頷いた。
「私には血のつながっていない家族が居ます。殆どが、君とそこまで歳の変わらない子どもたちばかりです。…よろしければ、君も私たちと一緒に暮らしてみませんか。」
少年は、泣きはらした顔をぱっと上げる。しかし、すぐにその表情が曇る。
「いい、のか…本当に。だっておれ、帝国の出身で…。」
「怖いですか。」
俯いてしまった少年に、仮面の男は言った。
「そうですね。確かに、帝国からやってきた方は、君が初めてです。十年前の戦争もありましたし、「大丈夫だ」と言い切ってしまうのは無責任かもしれません。…では、君にだけ私の秘密をお話しましょうか。」
「ひみつ…?」
「ええ。この街の住民も、屋敷の子どもたちも知らない秘密です。」
仮面の男は人差し指を立てて、囁くよういに言った。
「私は訳あって出生を偽っていますが、本当は帝国の出身なのですよ。」
少年は叫んでしまいそうになって、そっと自分の口元に手を当てる。
「ですから、君は一人ではありません。それに私は、君のこれまでの過去について、何とかする術を持ち合わせています。もう君は、何も心配しなくて良い。」
言っていることが滅茶苦茶だ。しかし少年は、本当にこの男なら何とかしてしまいそうな気がしていた。
「あんた…一体何者なんだよ。」
「さあ、それは私にも分かりません。子どもたちや住人の方々は、私を教授と呼びます。私は、ただのしがない学者であり、子どもたちを預かる屋敷の主人なのではないでしょうか。」
「なんで疑問形なんだよ…。」
少年は仮面の男からこれ以上の情報を引き出すのは無駄だということを理解した。
「もう…分かったよ。どうせ他に行く当ても無いしな。おれ、お前を信じてみようと思う。」
「本当ですか!ああ!良かった!」
相変わらず男の顔は仮面で隠れて見えないが、少年は男が今どんな顔をしているのか、容易に想像することが出来た。
(無駄にキラキラしやがって。やりずらいな…もう。)
「ああ、しかし、これまでの盗みについては話が別ですからね。生きるためとは言え、住人の方々にも生活があるのですから。後で一緒に謝りに行くことだけは了承してください。」
「う…わ、分かった。おれ、ちゃんと謝る。ちゃんと、今までしてきたことと、向き合うよ。」
「よろしい。…では、帰りましょうか。私たちの家に。」
少年の前に、手袋をつけた白い手が差し出される。少年は頷いて、その手を取った。
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