第6話 告白
一日目
少年は約束通り仮面の男のための入り口を作り、約束の時間が来るのを待っていた。準備に一日を費やしてしまったので、当然盗みをしている余裕も無かった少年は、酷く腹を空かせていた。
(遅いな…あいつ。)
約束の時間になっても現れない仮面の男に、少年は苛立ちを募らせる。騙されていたのは、自分の方だったのではないか、そんな邪推が脳裏を過った。空腹で唸る腹を抑えながら、惨めな気分になって、近くにあった空き缶をがむしゃらに放り投げる。床に転がった空き缶がカラカラと音を立てたころ、懐かしい匂いが少年の鼻孔をくすぐった。胸の奥に仕舞いこんでいた記憶の断片が、一斉に彼の頭の中を駆け巡っていく。少年は思い出した。それは、いつか祖国で食べたミートパイの匂いだった。少年がはっとして入り口に目をやると、そこには湯気の立つミートパイを持って佇む仮面の男の姿があった。
「お待たせしてしまい申し訳ありません。…いやあ、恥ずかしながら普段厨房に立たないもので、かなり手こずってしまいました。」
話しかけても反応が無い少年を見て、仮面の男は慌てて付け足した。
「ああ、味が心配ですか?その点はご安心ください!普段料理をしない私でも、これの作り方だけは完璧に覚えているのですよ!」
仮面の男は自信満々な態度でそう言った。
「…さあ、冷めてしまう前に、どうぞ召し上がれ。」
ミートパイが載せられたトレーが、そっと少年の前に差し出される。焼き過ぎたパイ生地の端は所々黒くなっていて、表面も凸凹だった。お世辞にも美味しそうとは言えないそれを見て、少年はふっと噴き出した。
「ぷっ…くふふ!あはははっ!へったくそなミートパイ!」
仮面の男は、真っ青になって”はあっ”と息を吸い込む。
「そんなに酷かったですか!?…つ、作り直してきましょうか?」
少年は笑いを押し殺すのに必死で、すぐに返事することが出来なかったので、代わりに首を左右に振る仕草で男の提案を断った。
「いいっていいって。食べ物を粗末にしたら駄目なんだ、母さんが悲しむから。」
「そうでしたか。」
仮面の隙間から、ふふふと声を漏らして笑う男の声を聞いて、少年は冷静さを取り戻す。
(違う違う、おれはこいつを騙すんだろ?裏切って絶望させてやるんだろ?)
少年はぷいっと顔を背けると、ぶっきらぼうに吐き捨てる。
「何見てんだよ、用が済んだならさっさと出て行けよ。言ったろ、おれはまだお前を信じたわけじゃないんだ。分かったら、大人しく明日も飯を持ってこい。」
「ええ。勿論ですとも。良い機会です、私も新たな料理に挑戦してみましょう。」
その場を後にしようと少年に背を向けた仮面の男の足がぴたりと止まる。
「おっと、私としたことがすっかり忘れていました。…さあ、こちらをどうぞ。」
仮面の男は少年に大きな籠を手渡す。中を覗くと、そこには保存食がぎっしり詰め込まれていた。
「…すげー。」
少年は思わず感嘆の声を上げる。
「夕飯だけでは、育ち盛りの君は物足りないでしょうから、明日の朝はそこに入っているものを食べてください。」
「…お前、おれのこと本当に誰にも言ってないんだよな?」
「ええ、言っていませんとも。お約束したではありませんか。あなたに信用してもらうために、二週間あなたに食料を提供し、秘密を誰にも話さない、と。私は、本当にあなたとお話がしたいだけなのです。」
(いつかきっと、そんなことを言っていられなくなる日が来るに決まってる。)
少年は、そうやって自分自身に言い聞かせた。
しかし、次の日も、その次の日も、さらにその次の日も…仮面の男は少年との約束を守り続けた。いつも同じ時間に訪れては、温かい食事と次の日の朝食を手にやってきた。その度に少年は、「いつか裏切ってやる」と心に決める。しかし、6日目を迎えてもなお、少年は仮面の男への裏切りを実行できずにいた。
七日目
七日目も、少年は盗みをせずに、仮面の男が料理を持ってくるのを大人しく待っていた。その日は特にやることも無くて、少年は久方ぶりに穏やかな午後の時間を過ごすことが出来ていた。少年は、仮面の男が最初に持ってきたミートパイのことを思い出していた。男の言う通り、形はまずまずだが、味は上出来だった。それ以降も色々な料理が持ち込まれたが、あれ以上の夕飯にはもう巡り合えそうになかった。
少年は、ねぐらの中で大の字に寝転がり、穴の開いたトタンの天井を見上げる。その日の空は曇り模様で、今にも雨が降り出しそうだ。
(あいつ、料理しないって言ってたな。独り身じゃないのか、いや、良い服を着ていたし、貴族の生まれなのか。でも、こんな辺鄙な所に貴族の連中が住むわけないよな。)
少年は、あの奇妙な男の正体が気になり始めていた。その時、彼の額に、ぽつと冷たいものが当たる。
「ひゃっ!…水滴か!くそ、降ってきやがった!」
少年は仕方なく、ゴミ捨て場から拾ってきた平たい板をトタンの上に重ねて雨をしのぐことにした。薄暗くなったねぐらの中は、湿気でじとじとして居心地が悪い。
(生きてくのって、大変だ。また次の居場所を作らないと。でも…また、街の住人に追いかけ回されたらやだな。)
少年の眼差しは、積み上げられた缶詰の山に向けられている。以前暮らしていたねぐらから今のねぐらに移る際、いつも盗みをしていた店の店主に見つかって、町中を逃げ回る羽目になったことを思い出した。
(この街に居られるのも、あと数週間ってところか。)
「おれだって、普通に生きていたかったさ。」
少年は、胸元のナイフを握りしめる。
「…何だか今日はもう、何も考えたくないな。」
そう言ってその場に蹲ると、全ての現実から目を背けるように、硬く目を閉じてそのまま眠ってしまった。
再び目覚めると、辺りはすっかり暗くなっていた。目を覚ますと、傍らにオムライスが乗った皿が置かれていた。
「おはようございます。と言っても夜ですけれど。」
まだ意識がはっきりとしない少年に向かって仮面の男が話しかける。
(何だか、いつもよりこいつの顔が良く見える気がするな…。)
きょろきょろと辺りを見渡すと、部屋の隅でランプの炎が揺れているのが見えた。その様子を見た仮面の男が言った。
「ランプが気になりますか。夜中暗いままでは心細いだろうと思って、屋敷の倉庫から持ち出してきたのです。魔法仕掛けですから、夜になれば勝手に明かりが灯ります。火のように見えますが、燃え移ることは無いのでご安心ください。」
「……余計なこと、しやがって。」
少年は力なく言った。仮面の男はいつものように、ふふふと笑った。
「今後しばらくは、雨が降っても大丈夫なように、建物にも手を加えておきました。それから、中の掃除もしてあります。」
「…な!」
少年はばっと飛び起きて辺りを見渡す。じめじめして気持ち悪かった地面には、藁が敷かれている。少年が眠っている場所には麻布が重ねられており、ご丁寧に毛布まで用意されていた。積みあがっていた缶詰の山は跡形もなく消えていて、代わりに何冊かの絵本が置かれていた。
「…なんだ、これ。」
「気に入りましたか?」
少年は俯き黙りこんだ。そして、自分の胸に渦巻く感情の正体を知った。それは、これまで仮面の男を疑い続けた自分への罪悪感だった。沈黙の果てに、仮面の男がぽつりと少年に語り掛けた。
「知っていましたか。この先一週間は、悪天候が続くらしいですよ。季節の変わり目に訪れる嵐、という奴です。これから夏が来るのでしょうね。」
その言葉を聞いて、少年は全てを察した。この男は、嵐の中であっても、変わらず約束を果たすつもりで居たのだ。ずっと黙っていた少年が、ようやく口を開いた。
(もう、言ってしまおう。全部こいつに打ち明けて、おれはこいつに殺されるんだ。最高のハッピーエンドだ。もう、誰も殺さず、誰からも奪わずに済むんだから。)
「あのさ、おれ。…おれ、帝国から来たんだ。少年兵なんだ。また戦争が始まるんだ。おれは、その時の為に軍で人殺しを教わったんだ。おれ、あんたの敵なんだ。」
少年は優しく微笑んでいた。淡いランプの光が、少年の頬を伝う涙を照らした。
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