第2話 足音

 訪問先である商店街の鍛冶屋に着くと、あの時の職人が作業をしているのが見えた。その傍らには、熱心に彼の仕事を見つめる青年の姿がある。風通しがいいように、店の正面は壁が無い作りになっていた。仮面の男はしばらくの間、店の外から黙って二人の姿を見つめていた。その視線に気づいた青年が、仮面の男に向かって手を振り、作業場に男を招き入れた。


 青年は近くの椅子に仮面の男を座らせる。青年は特に何を話すこともなく、にこにこしながら仮面の男を見つめていた。

「お仕事中にお邪魔してしまい申し訳ありません。ところで、あれから…。」

 仮面の男がそう言いかけた所で、職人が立ち上がる。

「少し、席を外す。話があるなら、そいつに頼む。」

 そう言い残すと、職人は煙草を咥えて店の外に行ってしまった。仮面の男は、茫然とその姿を見送る。

「アリ、私は何か気分を害すことをしてしまったのでしょうか。」

 アリと呼ばれた青年は首を左右に振って否定した。

「ううん、違うと思う。師匠はシャイなんだ。」

「なんと、そうだったのですね…。」

 アリは、鍛冶屋に来てからの数週間で、仮面の男でも気付けなかった職人のもう一つの顔に気付いていたようである。

「ここで働いてみてしばらく経ちますが、どうですか。」

「たのしい。」

「ああ、その言葉が聞けて本当に良かった。」

 安堵した声に、アリと呼ばれた青年は頷いた。彼は、かつて彼が屋敷で共に暮らしていた子どもたちの一人だった。当時から一人でモノづくりに没頭していた彼だからこそ、鍛冶屋の仕事を”楽しい”と言えるのだろう。

「勿論お仕事もたのしいけど、それだけじゃないよ。僕ね、お話苦手だから、ここに居ると楽なんだ。」

「そうでしたか。」

「うん。師匠も僕も、あんまりお喋りしないよ。でも、最近、師匠が褒めてくれるようになったんだ。今は、それがとっても嬉しい。」

 仮面の男ははっとして、店の外に居る職人の方を見た。どうやら、二人の会話は職人の耳にも届いていたらしい。仮面の男が居る場所からも、職人の耳が赤くなっているのが見えた。

「やはり、君に声を掛けて良かった。ありがとう、アリ。」

 仮面の男は、そう言って笑った。

「さて、私はそろそろ行きます。屋敷に帰ってから、昼食の用意をしなければ。」

「うん。」

 アリが頷いたのを確認すると、仮面の男は立ち上がる。歩き出そうと足を一歩踏み出すが、何かを思い出したらしく、アリの方を振り返って言った。

「アリ、何かあれば、いつでも屋敷に帰ってきてください。私たちは、いつでもあなたを歓迎しますからね。」

 その言葉にアリの顔がぱっと明るくなる。

「うん、そうするよ。教授、ありがと。…えっと、体には気を付けてね。」

「ありがとうございます。では、またいつか会いましょう。」


 職人とアリに別れを告げた後、仮面の男が向かったのは、商店街の角にひっそりと佇む本屋だった。男は、次々と子ども向けの絵本に手を伸ばす。気が付けば、積みあがった絵本はずっしりと重くなっていた。それを店主のもとに運び、代金を支払っていた男の耳に、空を切り裂くような悲鳴が聞こえてきた。悲鳴の主は言った。


「キャー!!!!!泥棒よ!!!!!泥棒が出たわァ!!!!!」


 仮面の男は店の外に身を乗り出して、辺りを見回す。一瞬、視界の端を小さい黒い影が横切った。男は走り出そうと足を踏み出したが、すぐに間に合わないことを悟り、大人しく店内に引き返した。仮面の男がこの街で盗みの現場を見るのは、随分と久しぶりのことだった。騒ぎが少し落ち着いてから、店の店主がぼんやり呟いた。


「最近ぶっそうになったなあ。あいつ、また懲りずに盗みをしてるのか。聞けば、教授さんとこの子どもと対して変わらない歳の男の子らしい。家も家族も、んだとさ。」


 店主は、盗人のことを良く知っているような口ぶりで言った。会計を終えて紙袋を受け取ろうと伸ばしていた男の手が、ぴたりと止まる。

「私も少し前から、盗みに関するご相談を受けておりました。しかし、そのような事情があったとは初耳です。」

 普段から街の住人と接触することが多い仮面の男にとって、住人の間で広がっている噂は大きな関心事だった。

「俺はさあ、俺たちの知らない所で何か嫌なことが起きてるんじゃないかって思ってならねんだ。俺たちの目に見えてないだけで、もう戦争は始まってるんじゃないかって思ってならねんだ。…ねえ、教授さん。」

 店主の言葉を聞いた瞬間、仮面の男は冷たい水を頭からかけられたような気分になった。いつもにこやかな彼だが、その瞬間だけは、笑顔を浮かべる余裕さえ無くなっていた。戦争、それは彼にとって一番の一つなのである。

「…えっとー、教授さん?」

 店主の呼びかけで、仮面の男はようやく我に返った。

「お、おっと、これは失礼しました。ちょっと、考え事をしていたもので。」

 ははは、と苦笑いを浮かべながら、仮面の男は店主の差し出す紙袋を受け取った。屋敷に帰る男の足取りは、どこか重たげだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る