第1章

帰る場所があればきっと

第1話 仮面の男

 仮面の男は、街の外れの大きな屋敷で、沢山の子どもたちと共に暮らしていた。子どもたちの多くは、幼くして両親を失い、行き場を失っている。仮面の男は、そんな子どもたちを預かる傍ら、街の商店街に働き手を紹介して生計を立てていた。彼が街に現れた当初は、誰もがその奇妙な男を気味悪がった。無理もない。顔の無い男が、毎晩名も知らぬ子どもを連れて帰ってくるのだから。近所の人間からしてみれば、それは大層不気味な光景だったに違いない。


 ある日、男の屋敷に彼の評判を聞きつけた一人の住民が訪れた。

 豆だらけの手、薄汚れた作業着。訪問者は、商店街で鍛冶屋を営む職人だった。仮面の男は、職人の依頼を聞くために、彼を屋敷の応接室に招き入れた。


 話は淡々と進められた。聞けば職人は、父である店主が体調を崩して以降、働き手を探し続けていたらしい。

「承りました。遅くとも来週中には、新たな方をご紹介できるかと存じます。…何か他に、話しておきたいことなどはございますか。」

 仮面の裏側で静かな微笑みをたたえながら、男は言った。

「…別に。」

 職人はぶっきらぼうにそれだけ言った。

「そうなのですね。」

 穏やかに返答する男の視線は、手元の資料に向けられている。そこには、ここ数か月間で辞めていった職人の数が記されていた。

(これまで辞めていった方が五人。一番長く続いた方でもニ週間ですか。…何も困っていない、ということは無いはずですね。)

 仮面の男は問いかける。

「これまで働いていた方々への印象は?」

 仮面の男の質問に、職人は唸り声をあげながら黙り込んでしまった。

(反応がいまいちですね。あまり、良い印象が無かったのでしょうか。いや、それとも他に理由が…?)

「失礼いたしました。少し質問を変えましょうか。最後に仕事先の方とお話されたのはいつですか?」

 職人の眉間に皺が寄る。

「…話した?」

 職人は聞き返す。

「ええ、ええ。」

 仮面の男が相槌を打つと、職人は呆れたように息を吐き出して言った。

「話すことなんて無い。仕事は見て覚えるもんだ。」

 それを聞いた仮面の男は腑に落ちたように、大きく一つ頷いた。

「なるほど、そういうことでしたか。ああ、今のはお気になさらず。引き留めてしまって申し訳ありません。今日はこのくらいにしておきましょう。では後日、改めてお伺いさせていただきます。」


 そして、仮面の男が鍛冶屋の職人に新たな働き手を紹介してから、数週間が経過した。鍛冶屋があの後どうなったのかを確認するために、仮面の男は鍛冶屋のある商店街を歩いていた。規則正しく、整った歩幅で歩く彼の右手には、小さな少女の手が握られている。大きなあくびを一つして、半開きの瞳のまま歩く少女の足取りはどこか頼りない。


「イア、眠いのなら家で留守番していても良かったのですよ。」

 その言葉に、少女はぷるぷると首を横に振ってみせる。最近は、ずっとこんな調子だ。仮面の男は、鼻から短く息を吐く。

「しかし、最近眠れていないのですよね。私は君を心配しているのですよ。」

「へーきだもん。」

 そう言って頭上の仮面頭を見上げる少女の表情は、どこか不満気だった。

「困りましたね。」

 仮面の男は、一度歩くのをやめて考え込んだ。そして、何かが閃いたらしく、ぱっと顔を上げた。

「ああ、分かりました。また、ママを探していたのですね。」

「ちがーう。」

 その言葉に、仮面の男はしょんぼりと肩を落とした。

「あ、あれ。そうなのですね。じゃあ、オバケが怖くて眠れない、とか。」

 少女は立ち止まり、仮面の男の右手をぎゅっと引っ張ると、ぶんぶんと首を横に振った。

「もっとちがーう!!!!」

 少女の叫びに、商店街を歩いていた住人が振り返る。思ってもみなかった少女の反応に、仮面の男は言葉を失う。

「教授ばか!ばかばか!イア、教授きらい!だいっきらい!」

 きらい、という言葉が、仮面の男の脳裏で何度もこだまする。仮面ごしでも分かるくらいに、その顔は真っ青になっていた。

 少女は繋いでいた手を振り払い、屋敷に向かって走り去っていく。その背中を見送りながら、仮面の男は、がっくりと膝から崩れ落ちた。

「ああ、イア。私は何か間違ってしまったのですね。…そんな、教えてくれたら、こんな失言…ああ、私は間違ってしまった。…もう、イアは返ってこない…ああ、私は何てことを。」

 商店街の道の真ん中で、痛む胸を押さえて膝をつく仮面の成人男性を、人々は横目で見ながら通り過ぎていく。

「あら教授さん。お嬢さんに振られちゃったのね。」

 ふふふ、と笑いながら近所に暮らす主婦は言った。


 ―そう、この街の住民にとって、これは日常の風景なのである。


 主婦の女性は仮面の男に近づいて、綿のハンカチを差し出した。

「ほら、これで涙を拭きなさいな。あんた仮面だから、涙出てるのか分かんないけど。」

「ああ、何と!お優しい方、ありがとうございます!」

 へこへこ頭を下げながら両手でハンカチを受け取る仮面の男に、主婦の女性は笑いかけた。

「良いのよ。あんたには、以前、うちの娘が世話になったからね。あたしだけじゃない、この街の人は皆あんたに感謝してるよ。まあ、確かにちょっと変だけどね。」

「いえ、そんな。私は、生かされている身ですから。」

 仮面の裏ではにかみながら、自信なさげに男はそう言った。

「あんたのよく言うそれ、あたしにはよく分からないよ。何か事情があるんだろうけど、あんたはもうちっと胸張りな、教授さん。ささ…この後も仕事なんだろうし、邪魔しちゃ悪いから、あたしはそろそろ行くよ。」

「はい、ありがとうございます。」

 服についた塵を払い、男は訪問先に向かって再び歩き出した。その背中に、主婦は言った。

「ああ、そうだ。たまに、お嬢さんと遊んでおやり。」

 仮面の男は、はっとして振り返り、女性に向かって深く頷いた。

(仕事の帰りに、本屋に寄ってイアが好きそうな絵本でも買っていきましょうか。)

 鍛冶屋に向かう仮面の男の足取りは、心なしか軽やかに見えた。

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