18:思わぬ申し出
「――出来ましたよ」
――声に促されて、ゆっくりと目を開く。
目を開くと目の前には鏡がある。鏡に映し出されたのは、化粧を施された私だった。
その身に纏っているのは黒衣のドレス。お腹の刻印だけは晒し、私という存在を飾り立てている。
ドレスとは言いつつも、まったく重さを感じるようなことはない。面積自体はそこまで広くなくて、二の腕までだったり、太股までの長さだったりだ。
その代わりにレースのように透けたジャケットやスカートには美しい柄が刻まれていて、散らされた黒い宝石のようなものが光を反射している。
「どうかしら? 気に入って貰えると良いのだけど」
「……ちょっと気後れするぐらいかな」
私の着付けを手伝っていたライカはニコニコと微笑んでいる。その周囲にいる黄立の蝶妃たちもご満悦といった様子だ。
これは私が黒揚羽の女王としての正装、その試作品だ。その一つが完成したということで、確認のために試着をしているところだ。
「これを着なきゃいけないの……?」
「貴方は女王だもの、ちゃんと着飾らないと。勿論、戦闘にも耐えられるように作り上げられているから戦装束でもあるわよ。そのジャケットやスカートに貴方の鱗粉を加工して加えているの」
「……あぁ、だから馴染みがある感じなんだね」
ジャケットやスカートに触れながら感触を確かめながら呟く。
だから服を着ている筈なのに重みすら感じないのかもしれない。まるでドレスそのものが自分の一部のようだ。
「私たちの鱗粉は使ったらなくなってしまうから、アユミの鱗粉は研究し甲斐のある素材だったわね。ふふふ……」
ライカが微笑みながらも妖しい雰囲気を放っている。また鱗粉を要求されては堪ったものではないと、私は軽く咳払いをして誤魔化す。
「それで、どうかしら?」
ライカがそう声をかけた先にはイユ、ヨツバちゃん、マリアちゃんが待っていた。
声をかけられた三人はそれぞれの反応で感想を言ってくれる。
「綺麗だわ、アユミちゃん」
「本当です! 凄く似合ってますよ!」
「……わ、私もそう思います……」
イユは私の姿を見るなり、ほぅ、と息を吐き出しながらそう言ってくれた。
ヨツバちゃんとマリアちゃんの反応も悪くないことが救いだろうか。正直言って立派な装束すぎて気後れしちゃいそうなんだけれど……。
「良かったわ。それで、動いても違和感はないかしら?」
「特に気になるところはないよ。まるで身体の一部に感じる程だね」
「あら、そんなに褒めても何も出ないわよ?」
喉を鳴らすようにライカはそう笑った。
そんな穏やかな空気が広がっていた時だった。試着室のドアがノックされ、ライカがそちらに顔を向ける。
「あら? 何かしら?」
「失礼します、ライカ様。キョウ様から伝言が届きました」
「キョウちゃんから?」
中に入って来た蝶妃からの報告にライカは首を傾げている。心当たりがなさそうだ。
「それから、もしアユミ様が共にいられる場合は一緒にお伝えして欲しいと」
「私も?」
「はい。女王の皆様方に招集がかけられています」
「あらあら、何かあったのかしら? そういうことなら行きましょうか、アユミちゃん」
「えっ、このまま?」
ライカは私の手を取り、そのまま部屋を出て行こうとする。これ、まだ試着の筈だったんだけれど……。
「いいじゃない、どうせ他の女王たちにも見せてあげましょう?」
「えぇ……」
満面の笑みを浮かべるライカを強く否定する理由も見つからず、私はそのままライカに引き摺られるまま連れていかれるのだった。
* * *
ライカが向かったのは、前にトワに連れられて集まったテラスだった。
そこにはトワ、キョウ、ヒミコの三人が既に集まっていた。トワはいつも通りだけれど、キョウとヒミコはどこか疲れた様子だ。
「……おう、来たか二人とも」
「何かあったの? 随分と疲れた様子だけれど……」
「またトワから突拍子もない話を聞かされたので、話し合いが必要だと判断しました」
「はぁ?」
「あらあら」
キョウが疲れたように深い溜息を吐くので、私とライカは思わず顔を見合わせてしまう。
トワ、また変なことを言い出したの? 今度は何を言い出したのかと、私もジト目を向けてしまう。
「トワちゃん? 今度はどんなことを言い出したの?」
ライカが問いかけると、トワは一つ頷いてからあっさりと言い放った。
「――紋白から黒揚羽に〝決闘〟の申し込みをしたい」
「――はい?」
真っ先に素っ頓狂な声を上げたのはライカだった。目をぱちくりと開き、トワを見つめている。
ライカの反応も当然だろう。それだけ彼女の言い出したことが突拍子もないことだったから。
「……ねぇ、トワちゃん。どういうことなの? 貴方、この前と言ってることと矛盾してることはわかってるわよね?」
「うん」
「〝決闘〟――蝶妃たちの移籍をかけた奪い合い。その決闘を執り行うためには女王間での同意が必要だけれど……」
ライカの言葉に私は内心頷いてしまう。キョウの授業で蝶妃が派閥を移る際の例も勉強したからだ。
ここで問題になるのは、決闘をする際に誰が移籍するという話になるのだけれど……。
「決闘者は――アユミ自身を指定している」
「はぁ?」
「ほら見ろ。こういう反応になるのはわかりきってただろうがよ。たかが蝶妃がまだ周知が済んでねぇとはいえ、女王に喧嘩を売るってことか? トワ、お前はそれを許すって言うのか?」
苛立ったように髪を無造作に掻き混ぜながらヒミコがそう言った。
確かにヒミコの言うように、トワの言っていることはおかしな話だ。それはこの前に決めた方針とは真逆の行動とも言える。
「それはアユミ次第」
そう言ってトワは私を見た。……その目を見て、私は何故か納得してしまった。
この騒動の原因となったのは人物に心当たりが浮かんでしまったからだ。むしろ、彼女以外にこんな提案はして来ないだろう。
「トワ。もし私が決闘で私が勝ったら、その子は黒揚羽の蝶妃になるってこと?」
「そうだね」
「……私が負けたら紋白に戻れってこと?」
「そうなる」
「それでいいの?」
問いを重ねると、トワは目を細めるように笑った。
その笑みを見て、私は拳を強く握ってしまった。大きく息を吐き出して堪えないと、トワに掴みかかってしまいそうだった。
トワが考えていることが手に取るようにわかる。――この女、ただ面白いとしか思っていない、と。
「普通、蝶妃が女王に決闘を挑むなんて普通であれば許されない。前例のない決闘だから、もっと条件をつけても良い」
「……たとえば?」
「アユミが気に入った蝶妃を紋白から引き抜いていい、とか?」
……本当に、この女は。
小首を傾げて、何でもないように言い放ったトワ。そんな彼女への罵倒を堪えるために歯を噛み締めすぎて、鈍い音が口の中に響き渡ってしまった。
「要らない。自分の意志で私の下に来ない人なんて邪魔なだけ」
「そう。なら、他に私が出来ることであれば叶えてあげるよ?」
「なら、貸しにしておく。いつか返しなさい。私が返して欲しいと思った時に」
「――いいね、それは面白そう」
そう返答するのもわかっていた。わかりやすくて、でもだからこそ気に入らない。
紋白の蝶妃たちのトワへの忠誠心は高い。それなのにトワは面白いという理由で蝶妃を切り捨てるような真似をする。
それを許せないと思っても、これは紋白の問題だ。既に私は口を挟む権利を失っているのだから何も言えない。
「おい、良いのか? アユミ。こんな申し出は蹴ってもいいんだぞ?」
「でも、私はまだ女王としての周知が済んでないから。それなら力を示すのには良い機会だと思う」
「お前、武器を使ったら壊すだろうが」
「大丈夫、素手はある」
「お前なぁ……」
「……ですが、アユミの言うように力を示すというのなら良い機会かもしれません。だから私としてはアユミの意志次第だと思っていました」
「……チッ、アユミが良いって言うなら私がとやかく言うことでもねぇな」
キョウが取り成すようにそう言うと、面倒くさそうにヒミコが深く溜め息を吐いた。
「今更、紋白なんかに戻らないでくれよな。今のアユミの性質が失われるなんてごめんだぞ?」
「わかってる。私も負けるつもりはないよ」
ヒミコにそう答えながらも、既に私は別のことへと意識を持って行かれていた。
脳裏に浮かぶのは彼女の顔だ。もう関係ないと切り捨てたはずなのに、それでも切れない縁を持つあの子。
「トワ、私に決闘を申し込んだ蝶妃の名前は?」
私が問いかけると、トワは薄らと笑みを浮かべながらその名を告げた。
「――
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