08:無垢なる白の女王

「アユミさん! 無事だったんですね!」


 私が拠点に戻ると、ヨツバちゃんが勢い良く飛び込んできた。

 ヨツバちゃんを受け止めるけれど、まだ私の身体はソルジャーアントの体液で汚れている。彼女にも汚れがついてしまっているのだけれど、気にしないのだろうか。


「本当に……良かった……! 私、何も出来なくて……!」

「……別に良いよ。離れてくれる? ヨツバちゃんが汚れちゃうから」

「あっ、ご、ごめんなさい!」


 私がそう言うとパッと離れるヨツバちゃん。その際に後ろにいたトワ様とレイカに気付いて、まるで睨み付けるような視線を向けた。

 普通、候補生がこんな態度を蝶妃に取るだなんて許されない。それでもヨツバちゃんは二人を、特にレイカを睨んでいるようだった。


「ヨツバちゃんこそ、怪我はない?」

「私は大丈夫です!」

「そう。何もされてないなら良かった。出てきたくても出て来られなかったんでしょう? あの子たちに邪魔されてたから」


 そう言いながら私は目を逸らし続けている他の候補生たちに視線を向けた。

 その中で、他の候補生たちにも距離を置かれているのが紋白の候補生たちだ。彼女たちは今にも死んでしまいそうな程に顔色が悪い。


「私はただ外に出られないように邪魔されてただけですけど! この人たちはアユミさんを犠牲にして自分が生き延びれば良いって! こんなことが許されるんですか!?」

「許されるんじゃないの? 天下の紋白様だもの。ねぇ、レイカ」


 私は皮肉げな笑みを浮かべてレイカへとそう声をかける。すると、レイカは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


「……詳しく状況を教えて頂戴。紋白の子たちが何をしたと?」

「巣の破壊に成功したと報告が来た後、溢れ出したソルジャーアントが拠点へと雪崩れ込んできた。状況は苦しく、犠牲者が数名出て戦線の維持に破綻が見えていた。そこでレイカの腰巾着をしていたあの子たちが私に犠牲になれと、私を残して門を閉ざして囮にした。これで理解出来るかしら?」

「……その報告に嘘偽りは?」

「私も証言します! 私はアユミさんだけを戦わせるのはおかしいと言ったのに、あの人たちはアユミさんを囮にしました! 私だって身動きが封じられて助けにいけなかったんです……!」

「この様子なら、紋白以外の反抗的な派閥の子も囮に使おうって考えてたんじゃないかしら? 私が死んでたら次はヨツバちゃんだったかしらね?」

「……そう。報告は理解したわ」


 レイカは静かに息を吐きながら頷き、その視線を黙り込んだままの紋白の候補生へと向けた。

 そして何か口を開こうとしたけれど、それを遮るようにトワ様が手を掲げてレイカを止める。


「トワ様……?」


 レイカを止めたトワ様はそのまま候補生たちの方へと近づいていく。

 手を伸ばせば届くという距離まで近づき、トワ様は紋白の候補生たちへと声をかけた。



「――貴方たち、何故生きているの?」



 それは心の底から不思議そうに、ただ思った疑問を口にするような口調でトワ様は候補生たちへと告げた。

 何でもないような問いかけだったからこそ、それが逆に恐ろしいと思ってしまった。傍目から見ている私でさえそうだったのだから、実際に問いかけられている紋白の候補生たちはもっと恐怖を感じているだろう。


「わ、私たちは……」

「ここで蝶妃になれたアユミとなれなかった貴方たち、生き残るべき命を定めるならアユミこそが生き残るべきだったということになるわ。そのアユミを殺そうとしたの?」

「ち、ちが、違うんです……! あ、あの女なら一人で戦えるから、皆が生き延びるための最善を選んだのです!」

「そう。確かに最善だったね。無事にアユミは蝶妃として覚醒してこの場を生き残った。貴方たちの判断は確かに正しかった」


 淡々とトワ様は言い訳のような紋白の候補生たちの言葉を肯定する。

 けれど、それは決して優しいものなんかではない。


「でもアユミが蝶妃になれたのに、貴方たちはなれなかったのね」

「……ぁ」

「もし紋白の子だから生き延びなきゃいけないと思うなら、別の派閥に移っていいよ。――君たち、生きてる価値がないから。君たちが生きてることで他の蝶妃候補生に害を及ぼすなら死んでくれた方が良かったかな。その方が皆のためだよ?」


 わかった? と幼子に言い聞かせるようにトワ様はそう告げて、紋白の候補生たちは意識を失うように崩れ落ちた。

 けれど、それを助け起こそうとするような人たちはいない。最初から紋白の派閥ということで大きな顔をしていたし、今回のことで決定的な亀裂が生まれてしまったみたいだ。


(トワ様には見限られて、かといって他の派閥に移るとなっても誰も受け入れない。この子たちは蝶妃になるしかもう先がない。……蝶妃になれば立場は取り戻せるだろうけれど、蝶妃になれなければ死ぬだけだ)


 憐れだな、と思った。けれど、たったそれだけの感傷だった。

 もう私も彼女たちに興味をなくしてしまった。次の遠征にも暫くは選ばれないだろう。その間に蝶妃に目覚められるかどうかは彼女たち次第だ。

 せいぜい私を囮にした分の苦労は背負って貰いたいものだと思う。


(……それにしても)


 あんなに憧れていたトワ様だったけれど、蝶妃に覚醒してからは見方が変わったように思える。

 今まではこの人の目に留まりたいと思っていたけれど、トワ様の価値観は単純明快で、それ故に無慈悲とすら言える。

 つまり蝶妃として戦力になるか、ならないかだ。だからこそ単純で、その基準に満たないものは気に留めてすら貰えない。


(気分が悪い……)


 私を囮にした紋白の候補生は、もうその報いを誰よりも尊敬していたトワ様によって与えられただろう。

 けれど、そもそも彼女たちが増長したのもトワ様に原因があるとも言える。それなのに心が一切動いた様子も見せない。

 こんなに人間味がない人に執着していただなんて、過去の自分が恐ろしくて反吐が出そうになる。


「レイカ、撤収準備を。出撃していた蝶妃たちも戻ってくるでしょうし、早くガーデンに帰りましょう」

「……わかりました」


 トワ様に指示を受けて、レイカが静かに応じる。

 ふと、レイカが私に視線を向けたような気がした。けれど私は無視する。

 もうレイカに対して何かを思うのも面倒だ。彼女は私にとってもう関係のない人だから。



   * * *



 ガーデンへの帰路は特に大きな問題もなく、無事に帰り着くことが出来た。

 蝶妃として目覚めた私は蝶妃の待遇を受けられるようになったけれど、他の蝶妃も私に対しては一歩距離を置いているような、そんな壁を感じた。

 あまりにも鬱陶しすぎて、何度暴れてやろうかと思った程に苛ついた。その時間もようやく終わりだ。

 しかし、私の苦難はまだ終わりそうにはなかった。


「アユミ、遠征の汚れを落としに行きましょう」

「トワ様」

「後の処理はレイカたちに任せればいいわ。ほら、行きましょう」

「ちょ、ちょっと!?」

「レイカ、後はよろしく」

「……わかりました」


 ガーデンに戻って来ても、出撃していた人にはそれなりにやるべき事が残っている。

 装備を降ろして後片付けもしないといけないし、負傷者の手当も手配しなければならない。

 トワ様はそういった雑事を一切しないのか、さっさとレイカに任せて私の手を引っ張っていく。


「ほら、行きましょう? それにアユミ、少し臭うもの」

「……」


 なんだか抵抗するのも馬鹿らしくなってしまい、私はそのままトワ様に連れられるようにして歩くのだった。

 ……決して臭いと言われたのがショックだった訳ではないから。


 トワ様に連れられてやってきたのは、ファームでは考えられないような立派な大浴場だった。

 そしてトワ様が戻ってくるなり、お付きの方々が出てきてお世話を始めている。ガーデンに住んでいるのは蝶妃だけの筈なので、彼女たちも蝶妃の筈なのだけれど。その蝶妃にお手伝いさんなんてさせていいの?


「アユミの入浴も手伝ってあげて」

「……畏まりました」

「えっ、いや、一人で入れるけど」

「やっちゃって」

「はい」

「ちょっと!?」


 トワ様の指示で、私は流されるままに衣服を脱がされて、そのまま丹念に洗われてしまった。

 普段はそこまでしないと言うようなことまでされて、洗い終わる頃には私はぐったりとしてしまっていた。

 お風呂に浸かりながら項垂れるように淵に手をついて頭を置く。遠征の疲れもあって一気に気怠さが襲いかかってきたかのようだ。


「……トワ様って普段からこんな生活を?」

「そうだけど?」


 それが何? と当たり前のように受け止めているトワ様に戦慄してしまう。

 いや、普通の蝶妃だったらここまでの待遇は受けないのだろうけれど。流石は紋白の女王様……。

 そんなことをぼんやり考えていると、トワ様がいつのまにか距離を詰めてきて私に手を伸ばしてきた。そして彼女の手が私のお腹に触れてくる。


「ちょ、な、なんですか!?」

「やっぱり私と違う紋様だね」


 興味深そうに私のお腹を眺めているトワ様。確かに私のお腹に浮かんだ刻印と、トワ様の浮かんだ刻印は別の形をしている。

 思い出してみれば、蝶妃は派閥ごとに刻印は同じものが刻まれていたように思う。蝶妃たちは基本、刻印を隠さない服装でお腹を出しているので記憶に残る。


「……派閥のものとは別の紋様が浮かぶってこと、あるんですか?」

「ないよ。だから興味深い、きっと面白いことになるわ。――こんなに楽しみなの、何十年ぶりかしらね」


 クスクスと笑いながらそう言うトワ様。

 その顔を眺めながら、私は改めてその事実を再確認してしまう。


(――この人、もう何十年もこの姿のままなんだろう?)


 ――蝶妃は肉体の最盛期で成長が止まり、そこから不老になる。

 まだ私が幼い小さな子供だった頃から、トワ様は今の姿のままだった。

 そして何十年と当たり前に口にすること。最強の蝶妃として君臨し続ける人は、やはり普通の蝶妃とは何かが違っているのだと思い知らされるのだった。


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