07:黒に染まる
――ふと、意識が戻った。
気が付けば私は立ち上がっていて、全身が何かに濡れていた。
それが何かと思って触れてみれば、ソルジャーアントの体液だったことに気付く。
顔を上げる。目の前には真っ二つの頭をかち割られたソルジャーアントの姿がある。
見間違いでなければ、それは私を踏み潰した奴だ。それが何かに頭を割られて死に絶えている。
まだ残っていたソルジャーアントの二体が、まるで威嚇するように顎を打ち鳴らしている。
ギチギチとした不愉快な音だ。それを聞いていると、ただ不快感が込み上げて来る。
「――耳障りね」
自分はこんな声をしていただろうか。まるで今までの自分とは何かが違うような、これが本当に自分なのかわからなくなりそうになる。
しかし、今はこの違和感を確かめている場合ではない。深く息を吸って、お腹に力を込める。呼吸をすることで私の中から湧き上がってくる力が浮かんだ疑問を掻き消していく。
今、考えるべきなのは――不愉快で耳障りな音を鳴らし続ける虫共を始末することだけ。
体液で濡れたブレードを握り直して、私はゆっくりと一歩を踏み出す。私が動いたのと同時に動き出すソルジャーアント。
挟み込むように顎を向けてくる二体のソルジャーアント、その間に挟まれる前に私は地を蹴って跳躍した。
――まるで重力を忘れてしまったかのような、そんな浮遊感。
軽く地を蹴った。私にとってはそんな力加減の筈だったのに、私の身体は天高く舞っていた。
ソルジャーアントの頭上を大きく越えて、空中で身を捻って回転する。
頭はまだ理解が追い付いていない。けれど、何をすれば良いのかだけはわかっている。だから、私は息をする。
私が吐き出した息から、何やら黒い粉のようなものが零れた。それは私に手にしていたブレードへと纏わり付いていき、その刀身を漆黒に染めていく。
漆黒の色に染まったブレードを構えながら、私は落下しながらソルジャーアントへと迫る。見上げるように顔を上げたソルジャーアントへと無造作にブレードを振った。
「――――」
冗談のようにソルジャーアントの頭が割れた。
私は無造作に振っただけ。けれど、そのたった一振りでソルジャーアントの胴体部分まで割れたように引き裂かれていく。
そのままソルジャーアントの死骸の上に降り立つ。ふと、手元を見ればブレードが根本から消失していたことに気付いた。
(……武器が)
まだソルジャーアントは残っている。私が武器を失ったことを好機と見たかのように顎を打ち鳴らしながら迫ってくる。
私には、まるで欠伸が出そうなほどにスローモーションに見えてしまう。そして武器を失ったことに焦りも沸かない。
指を揃えて手刀のように、そして弓を引くように構えを取る。先程、武器に纏わり付いていた黒い粉、それが今度は手を覆うように纏わり付いていく。
「――うるさいのよ、お前」
そして、私は噛みつこうと迫ったソルジャーアントを回避して、その頭へと手刀を突きつけて――その中にまで手を突っ込んでいく。
肘の半ばまで突っ込んだ腕を、無理やり横に引くように振り抜いた。ソルジャーアントの頭を内部から抉り取るように腕が引き抜かれて体液が飛び散った。
腕についたソルジャーアントの体液が、ただひたすらに不愉快だ。
黒く染まっていた手は、粉が拡散するように離れて元の色を取り戻している。
その手を軽く見つめた後、私はまた大きく息を吐いた。
「……よくわからないけれど、死にはしなかった」
自分に一体何が起きたのか。ソルジャーアントに踏み砕かれて骨が砕け、内蔵が幾つもダメになっていただろう記憶は鮮明だ。
それから意識が途切れたと思ったら、立ち上がっていてソルジャーアントを斬殺していた。改めて整理してみるとおかしな話だ。
「……でも、そういうことなんだろうな」
私はソルジャーアントの体液でぐちゃぐちゃになった服を引き千切るようにして脱ぎ捨てた。
そうして露わになったお腹、そこにあった刻印は形を変えていた。まるで蝶が羽を広げたかのような刻印にそっと触れて、深く息を吐く。
「――これは、一体何事ですか?」
そこに誰かの声が聞こえてきた。
振り返るとそこには僅かに薄汚れたレイカと、そのレイカとは対照的に一切の汚れがついていないトワ様が立っていた。
レイカは何か信じられない、と言ったような表情で私を見つめている。その表情が珍しいと思いながら眺めていると、レイカが声を荒らげ始めた。
「これは一体、何があったというの!? 答えなさい、アユミ!」
「……ぎゃあぎゃあうるさいな。こっちは疲れてるんだよ、そんな喚かないでくれる?」
「なっ……!?」
「それに見ての通りだけど? それ以上に何を言えって言うの? こっちは貴方たちの不始末を片付けるのに苦労してたってのに?」
「あ、貴方……! 自分が誰に向かって言っているのかわかっているの!?」
レイカが怒りと困惑を混ぜ込んだような表情で眉を吊り上げている。それを見ても私は鬱陶しいという思いしか沸いてこなかった。
どうしてこんな子を友達だと思っていたのかわからない。少し前までの自分の感情と全然一致しない。ただ声を聞いているだけでも不愉快だ。
「貴方たちが巣の鎧蟲もちゃんと片付けてくれたらこんな様になってないわよ。無駄な仕事をさせたのに労いの言葉もないの? これだから紋白はお貴族様だって言われる訳だ。本当に反吐が出るね?」
今までは気にもしていなかったレイカの振る舞いが神経を逆撫でしていく。だからつい棘が出てしまう。
神経を逆撫でされたのはレイカもだったのか、怒りが更に増したように表情を歪める。そのまま私の方へと近づこうと一歩を踏み出そうとした時だった。
「――止めなさい」
レイカを止めたのはトワ様だった。
レイカは縫い止められたようにその場に踏み止まり、トワ様へと振り返り……そして驚きの表情を浮かべた。
私も少し驚いていた。私を真っ直ぐに見つめているトワ様は――何故か、微笑を浮かべていたからだ。
「……貴方、誰?」
「はい……?」
「名前。誰だっけ?」
「……苧環アユミ」
「ッ、アユミ! 貴方、トワ様に対してもそんな態度を!」
「――レイカ、静かにしていて。私がこの子と話してるの」
私に食ってかかろうとしたレイカをトワ様は静かな声で諫めた。それに悔しそうにレイカは黙り込み、私を睨み付けている。
その一方で、トワ様はアユミ、アユミ、と私の名を繰り返すように呼んでいた。
「アユミ。そう、覚えたわ。貴方、とても興味深い」
「……そうですか。今まで名前も覚えてもらえなかったようで、改めて覚えて頂いて光栄ですとでも言っておけば良いですか?」
「えぇ。今まで興味がなかったもの。でも、今の貴方は違うわ」
「確認しますけれど――私は蝶妃に覚醒した、ということで良いんですよね?」
「――えぇ、そうよ」
やはり、と納得してしまう。
頭はまだ実感が追い付いていないのに、それでもどこか当然のように受け止めている。
まるで二人の自分がいて、それがまだ完全に重なりきっていないような不快感がある。
……何故だろう。以前の私だったら、トワ様にこんなことを言われたら喜びを感じていた筈なのに。今は、どうしようもない程に不愉快だった。
「アユミ、ガーデンに戻ったら私に付いてきなさい」
「……はい?」
「蝶妃に目覚めたのであれば、ガーデンに移るのは当然のこと。それに、貴方には確認しなければならないことがあるから」
「確認……?」
「一応聞いておくけれど、貴方……私の派閥の子だったのよね?」
質問の意味がわからない。何故、そんな質問をトワ様はしてくるのだろう。
それは隣で聞いていたレイカも同じだったようで、困惑の表情を浮かべている。
だからこそ、次に告げられたトワ様の言葉に驚きを露わにしてしまう。
「――貴方の
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