03:未だ花は開かないまま
私たち、蝶妃候補生たちが住んでいる区画はガーデンの地下に存在している。
ここは〝ファーム〟と呼称されていて、私たちが生活するために必要な施設が全て揃っている。
そんなファームは外の時間に合わせて全体の暗さを調節している。だから夜ともなれば人工灯は最低限しか灯っていない。
そんな最低限の灯りに照らされたグラウンドで私は走り続けていた。
明日から遠征があるから、いつもより早めに切り上げるつもりだけれどランニングは続けたい。
蝶妃候補にとって何より大事なのが身体だ。蝶妃に覚醒していない私たちは純粋に身体能力で劣ってしまう。
蝶妃たちに付いていき、自分よりも巨大な身体を持つ鎧蟲に対抗するためには日頃の努力が大事になる。
(……でも、それが覚醒に繋がる訳でもないんだよね)
幾ら努力しても私は未だに覚醒することが出来ないでいる。
才能がないのか、それとも……。
私は服を巻くってお腹に触れた。
そこには薄らと刻印が浮かび上がっている。これこそが蝶妃候補生の証である。
「
刻華虫は、蝶妃候補たちがその身に宿している力の源となる〝寄生虫〟である。
鎧蟲とは異なる進化を辿ったとも言われている虫で、人間の少女に寄生していたことが発覚してその存在が知れ渡ることとなった。
刻華虫には段階があって、最初は相性の好い人間に寄生しているだけの状態となる。
これが蛹、蝶妃候補と言われる状態である。身体は丈夫になり、身体能力も向上させられる。けれど、それだけの効果しか得られない。
この刻華虫と完全に同化することで刻印が変化し、まるで羽化をするように蝶妃になることが出来る。
蝶妃の身体能力は蝶妃候補生を大きく凌駕していて、更には特殊な異能まで操れるようになる。
感覚器官も強化され、普通の人や蝶妃候補生では感じ取れないものまで感じ取れるようになると言われている。それだけ蝶妃と蝶妃候補生の間にも差があるのだ。
「……私が刻華虫と完全に同化出来ないのは、紋白の刻華虫とは相性が悪いからなのかな?」
現在、刻華虫には私が所属している紋白を含めた四つの派閥が存在する。
蝶妃、そして蝶妃候補生は自分と同じ派閥の中で強い力を持つ人に対して敬意や執着のような感情を覚えてしまう傾向があると言われている。
つまりは仲間意識というか、同族という認識があるのだと思う。それが最も強く向けられるのが派閥のトップに君臨する女王だ。
女王への敬意や執着が、時には別の派閥と揉めることになる原因でもあるのだけれど、時には派閥の間で蝶妃や候補生のトレードが行われることもあったりする。
「……レイカは私に紋白から別の派閥に移って欲しいんだろうな」
改めて言葉にすると深い溜息が出てしまう。ただ言うだけなら簡単だけれど、別の派閥に移るというのはそんな簡単な話では済まない。
理由は派閥を移る際には自分に宿している刻華虫を〝塗り替える〟必要があるから。
詳しい内容までは知らないけれど、蝶妃の誰もがこの塗り替えるという行為に対して強い拒否感を持つのだと言われている。
まだ候補生の時であればこの塗り替えに対しての抵抗が少ないと言われており、派閥を移るのは蝶妃として覚醒出来ずに燻っている子がトレードで移るケースが多いとされている。
そして、私はもう遠征には十回以上も参加している。早い子は最初の遠征で蝶妃に覚醒する子もいるので、その例と比べれば私の覚醒はあまりにも遅すぎる。
それなら他の派閥に移るという提案もあったのだけれど……私は塗り替えに対して応じる気持ちにはなれなかった。
「……トワ様、私に興味なさそうだったな」
最初にトワ様が自分の女王様だと教えられた時の衝撃を、私は今でも覚えている。
どこまでも真っ白で穢れなどなく、その妖しい赤い瞳に魅入られるように視線を奪われてしまった。
トワ様の眷属であることがどうしようもなく嬉しくて、幸せを感じてしまったから。だからその背中に追い付きたかった。隣に並んでみたかった。
それは、きっとレイカも同じだった。だから私たちは、お互いに同じ夢を見て一緒に夢に向かって走っていたつもりだったのに……。
「……明日だ。明日の遠征で何か掴んでみせる」
雑用扱いでも構わない。同じ紋白の派閥の子からどんなに白い目で見られたって構わない。
私は、それでも今の自分を捨てられる程に諦めきれてないのだから。
* * *
翌日、私を含めた遠征に同行する蝶妃候補生たちは巨大なエレベーターに乗り込んでいた。
エレベーター特有の浮遊感が長く続いて、その感覚に慣れてきた頃になってエレベーターが止まった。
エレベーターの扉が開くと、候補生たちの何人かが感嘆の声を上げた。私たちの目の前に広がった光景は、それこそ楽園と見間違う程に美しい光景だったからだ。
私たちが暮らしている無機質な壁によって遮られた空間とは違う、生命が息づいた美しい庭園。
これがガーデンの地上部分、蝶妃たちしか住まうことしか許されていない世界。真の意味での〝蝶妃たちの庭園〟。
候補生たちの中にはこの光景を見ることも、地上に出ることすらも初めての子もいるからこの反応は仕方ないだろう。
「時間に遅れずに来たようね。それでは、早速準備に取りかかって頂戴」
浮き足立つ候補生を諫めるように待ち構えていたレイカが目を細めながらそう声をかけてきた。
私たちがかつての軍人のような装備に着込んでいるのとは違って、レイカは普段の白いドレスに胸当てをつけた程度の防具しか身につけていない。
この服装の違いも蝶妃と候補生を隔てるものなのだと、何度目にしても実感させられてしまう。
私たちに指示を出し終えた後、レイカは少し離れた場所でどこか遠くを見つめているトワ様の方へと寄っていく。
レイカの後ろを紋白の派閥の候補生たちがついていき、二人の世話係として動き始めている。それを見て、他の派閥の候補生たちが軽く悪態を吐いていた。
「紋白は本当にお貴族様みたいな振る舞いよね……」
「候補生のあの子たちも、自分たちがお貴族様のお付きにでもなったつもりかしら?」
「まだ蝶妃にもなってないのに偉そうよね」
「こらこら、レイカに聞かれたら怒られるよ。口を動かす前に手を動かそうね」
「……こっちはこっちで、万年候補生止まり。本当に極端よね、紋白は」
ぼそりと、私に聞こえるか聞こえないか程度の声で誰かが呟いた。
それは流石に総意とは言えなかったのか、気まずそうな顔をした子たちが何人か私の顔を見た。
私は気にせずに微笑んでいると、誰かが舌打ちをしたようだった。そしてそれぞれの分担された仕事を始めている。
「あ、あの! アユミさん!」
「ん? えっと、貴方は……」
「今回、アユミさんと組むことになりました候補生の
そう言いながら、ぺこりと頭を下げたのはお下げに結んだ黒髪を元気よく揺らしている少女だった。ピンク色の瞳がキラキラとしていて、思わず仰け反ってしまう。
確か新しく入って来た候補生の中にこんな子がいた覚えがある。ちゃんと話したことはそんなになかったと思うけれど……。
「知ってると思うけれど、苧環アユミよ。改めてよろしくね」
「はい! アユミさんはベテランだと聞いてますので、色々と教えてくださると嬉しいです!」
「ベテラン……まぁ、遠征の回数だけは多いけどね。褒められたことじゃないよ」
「そんなことはありません! それだけ遠征に出ていても、ちゃんと生き残ってきたということですよね! まだ候補生なのに凄いと思います!」
「そ、そう?」
「はい! もう、私なんて遠征に指名されてから夜もちゃんと寝付けない程で……!」
ぴょこぴょこと忙しなく動いている様が、どうしても小動物のように思えてしまう。
そんな可愛らしさに少しだけ億劫だった気持ちが消えて、吹き出してしまった。
「それはダメだよ。ちゃんと夜は寝ないとね」
「はい! ごめんなさい!」
「緊張が解れるように色々とコツを教えてあげる。だからよろしくね、ヨツバちゃん」
「はい! 私、アユミさんをずっと尊敬してたので一緒に組めて嬉しいです!」
「そ、そう……」
ここまで真っ直ぐな好意を向けられるのも慣れないものだ。そんなことを思いながら、私は遠征の準備を終えるためにヨツバちゃんに指示を出すのであった。
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