02:変わってしまった距離
「アユミちゃん」
「イユ?」
「ちょっといいかな?」
授業の休み時間、昼食で何を食べようと思っているとイユが声をかけてきた。
「食べながらでいい?」
「えぇ、まずは食堂に行きましょう」
私はイユと一緒に教室を出て食堂へと向かう。食堂の隣にあるパン屋では我先にと女の子たちが群がっているのが見えた。
「今日も元気だね、数量限定カレーパン争奪戦」
「私はあれに参加するガッツはないわ……」
「私も毎日は無理かな。イユはサラダセット、AとBどっち食べる?」
「Aがポテトサラダ、Bがシーザーサラダ、私はBかな」
「私はお腹いっぱい食べたいからAにしておこ」
メニューの食券を食券機で買って、既に並んでいた列の後ろへと並ぶ。
一緒にイユと並んで待っていると、イユが声をかけてきた。
「今回の遠征、やっぱりアユミちゃんが選ばれたね」
「まぁね。私としてはやる気満々だけど」
「……流石、もうベテランと言ってあげるべきかしら?」
「蝶妃にもなれないまま、外に出る回数だけが増えてるなんて自慢にもならないよ」
私は思わず苦笑をしながらイユにそう返してしまう。
蝶妃候補生は、鎧蟲と戦う蝶妃を支援するために遠征に連れていかれる。候補生の仕事は現地での野営準備や、出撃する蝶妃たちの世話係だ。
候補生でも戦えないこともないけれど、鎧蟲相手には囮ぐらいの役割しか果たせない。鎧蟲と正面切って戦えるのは蝶妃だけ。
それでも候補生を遠征に同行させるのは、実際の戦場の空気と緊張感が候補生を覚醒させる実績があるからだ。
「……大丈夫なの?」
「もしかして、心配して声をかけてきたの?」
「心配するわよ。もう長い付き合いなんだから」
「まぁ、慣れてるってのは事実なんだから。そんな心配されることでもないよ」
「でも……!」
イユが何かを言いかけたタイミングで列が進んでしまい、私たちの番が来た。
それぞれのサラダセットを乗せたトレイを受け取って、私たちは空いていた席へと座った。
先程の勢いが中断されたことで削がれてしまったのか、イユは溜め息を吐きながらドレッシングをサラダにかけた。
「……アユミちゃんは蝶妃になりたいの?」
「ならなきゃいけないとは思ってるよ」
「どうして? 正直言って、候補生のままでも出来ることがあるし……」
「でも、それだと何も変わらないままでしょ? 蝶妃の数だってガーデンを守る分には足りてるって言われてるけれど、人類の生存圏を取り戻すことまでは出来てないって言われてるし」
「それは……そうなのだけど」
パンを千切って口に運び、ポテトサラダを合わせて食べる。うん、これで正解だ。
イユはしゃくしゃくとシーザーサラダを食べて、小綺麗にパンを千切って食べている。相変わらず食べ方が上品だなぁ。
「逆にイユは蝶妃にはなりたくないの?」
「……それは」
私の問いかけにイユが何かを言いかけたところで、ふと目を見開いた。
私を見て驚いたというより、私の後ろを見ている。何事かと思って私も振り返って、思わずギョッとした表情を浮かべてしまった。
私たち以外にも気付いた候補生たちがざわめき出している。
そのざわめきを作っているのは、白を纏った二人の少女だった。
一人は雪のように白い髪に血の色のような赤い瞳を持ち、清楚ながらも美しく装飾が施された白いドレスを纏った少女。ただ立っているだけなのに平伏してしまいそうな独特な空気を纏っている。
その少女に付き従うように白いドレスを纏った紫色の髪を三つ編みに纏めている少女。こちらは背筋を伸ばして、忠実な従者のように振る舞っている。
私はその二人を知っていた。そう、きっとこの場にいる誰よりも。
「――未だ候補生の蛹たち、ご機嫌よう。明日の遠征については既に聞き及んでいるでしょう。明日の遠征には〝
レイカ、と名乗った紫色の髪の少女が慇懃に一礼をしてみせた。
その隣に立っているトワ様はただ悠然と立っていて、候補生の顔を眺めているようだった。
「……流石、相変わらず紋白はやることが凄いわね」
「当然よ、蝶妃の最大派閥だもの」
ぼそぼそと、候補生たちがそんな会話をしているのが聞こえてきた。
このガーデンにおいて蝶妃とは貴種の扱いを受けているといっても過言ではない。その中でも最も強力な蝶妃であり、派閥を率いる蝶妃を女王として崇めている。
紋白とは、その蝶妃の中でも一番大きな派閥を形成している。蝶妃は自らの派閥の色に合わせた衣装を纏って見分けがつくようにしているのでわかりやすい。
その紋白の女王を務めるのが白菊トワ様である。彼女は最大の派閥を統べる女王というだけでなく、〝最強〟の蝶妃と呼ばれている。
その女王様たちがガーデンの下層、私たち候補生が暮らしている地下までやってくるのは異例ではある。他の派閥の女王なんて地下には降りてなんかこないし。
それからレイカは暫く候補生たちを鼓舞するように演説をしているようだったけれど、その態度は少し上から目線というか……。
そう思っていると、レイカの視線が私へと向いた。私を見つけた彼女はスッ、と目を細めてから私の方へと歩み寄ってきた。
「まだ生きていたのね、アユミ」
「……口を開くなりそれって、ちょっと寂しいね。久しぶり、レイカ」
「貴方の名前が同行リストにあって、大変残念な気持ちになったわ」
口を開く度に棘がちくちくと刺さるような痛みを心が感じる。
レイカが私を見る視線は、それこそゴミを見るように冷え切ったものだった。
「同じ紋白の一門として、貴方のような蝶妃になれない半端者の存在は大変恥だと考えているのだけど」
「……謝った方が良い?」
「貴方の謝罪に一体何の価値が? それで成果が出るとでも?」
「ちょっと、レイカちゃん。鼓舞をしにきたのにアユミちゃんに絡んだら逆効果なんじゃないの?」
思わず、といった様子でイユが口を挟んできた。それにレイカは私に視線を向ける時には見せない柔らかな笑みを浮かべた。
「イユ、久しぶりね。貴方ほどの人がまだここに留まっているのも不思議だわ。けれど、それは派閥の違いもあるというもの。そうよね?」
「……それは否定しないけれど」
「なら、これは紋白の問題よ。最大であり最強、それが私たち紋白が掲げる女王であるトワ様。その眷属である蝶妃もまた完璧であらなければならないの。そこに羽化も出来ない不良品が混ざってるだなんて耐えられないでしょう?」
「不良品って……! レイカちゃん、貴方ねぇ!!」
「イユ、良いよ」
声を荒らげて立ち上がりかけたイユに対して、私は落ち着くように声をかける。
イユは私とレイカを交互に見た後、悔しそうに口を閉ざした。
「私が未熟なのは事実だから。この遅れはこの先で返すつもりだよ」
「泥が落とせぬ程に名誉を落とさないことを願っているわ。まだ紋白の眷属でいるつもりなら、ね。……参りましょう、トワ様」
レイカに声をかけられて、トワ様が静かに頷く。
私はその姿をジッと見つめる。そんな私の視線に気付いたのか、トワ様の赤い瞳が私の方を見た。
「――――」
けれど、その視線は無言のまま興味なさそうに逸れてしまった。
そしてトワ様はレイカを伴って歩き出す。その背を見送ってから、大きく息を吐いた。
「……アユミちゃん」
「大丈夫、私は大丈夫だよ」
私が困ったように笑いながらそう言うと、イユは泣きそうな表情になって俯いた。
「……あんな子じゃなかった」
「……」
「蝶妃になってしまってから変わってしまった。レイカちゃんはアユミちゃんの親友だったのに。あんな態度に取るようになるなんて、それが蝶妃になるってことなら、私は……!」
「それは言っちゃダメだよ、イユ」
あんな子じゃなかった。そう言ったイユに、心の中でそうだと同意する自分がいる。
かつて同じ夢を見て、同じ道を進んでいた筈の親友だった。イユとこうしてご飯を食べていたように、レイカも一緒になって笑い合っていた。その筈だったのに。
『地を這うしかない貴方が私と友達なんてこと、ある訳ないでしょう? ――身の程を弁えなさいよ』
蝶妃になってから、レイカは人が変わってしまった。
同じ道を進んでいた筈の私たちは、こうして交わらぬまますれ違うだけだ。
それがイユを蝶妃候補生として踏み止まらせてしまった理由だと言うのなら、私は――。
「……足を止めている時間なんか、私にはないんだ」
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