蠱毒の胡蝶はどんな夢を見るのか?

鴉ぴえろ

01:まだ私は果たせない約束を追っている

『これからも私たちはずっと一緒だよ!』

『うん! 約束だよ!』


 交わした約束があった。

 共に笑い合い、共に競い合い、お互いにこの友情は変わらないと信じていた。

 同じ夢を見て、いつか肩を並べたまま叶えられると思っていた。

 その約束を裏切ったのは――私を置いて夢を叶えた姿になった彼女からだった。


『見て、この姿を。私は生まれ変わったのよ』

『貴方はまだそのままなの? それなら、いっそ諦めたら?』


『約束……? あぁ、そんなものしたかしら』

『でも――私と貴方は違ったのでしょう?』



『地を這うしかない貴方が私と友達なんてこと、ある訳ないでしょう? ――身の程を弁えなさいよ』



 憧れた姿があった。

 その憧れの姿になった親友は遠く離れていった。

 手を伸ばしても届かない。走っても追い付くことが出来ない。

 そして、私は――。



  * * *



 ――息が苦しくなる程に走っている。

 どこに向かっている訳でもない。ただ走っているだけだ。

 足が棒になりそうで、もう走れないと心は悲鳴を上げているけれど、それでもまだ。


「……あと、もう、少しッ!」


 前へと進む。最早、そんな意地だけで私は目標としていたゴールに辿り着く。

 すぐには止まらず、ゆっくりと歩きながら呼吸を整える。それから幾らでも浮いてくる汗を拭った。


「……よし! ノルマ達成! グラウンド百周出来たぁ!」


 息を整えて、頑張った自分を褒め称えるように軽くガッツポーズをする。

 私が走っているのは運動場のグラウンド。ただ一人しかいないそこで、私は両手を大きく広げて寝転んだ。

 息は整えたけれど、もうヘトヘトだ。もう少し休まないと動けそうにない。


 グラウンドに寝転びながら上を見上げる。その視線の先にあるのは空――ではなく天井だ。人工灯が眩しい光を放っていて、少しだけ目に痛い。

 暫く眩しさに目を細めながら身を起こす。視線の先、その地平線の向こうには大きな壁が聳え立っていて、天井と繋がっている。

 まるで巨大な箱の中のようだ。そして、それは実際には間違っていない。


「……次に地上に出られるのはいつかなぁ」


 そんな呟きを零しても、答えを返してくれる人はいない。

 そうしていると、遠くで学校の鐘の音が鳴り響いた。私はそれを聞きつけると、すぐさま身を起こした。


「っと! もうこんな時間だ! 学校に行かないと遅刻する!」


 タオルで汗を拭い、置いていた自分の荷物のところまで戻る。

 誰もいないことをいいことに運動着を脱ぎ捨てて、そのまま制服へと身に包む。乱雑に着替えた衣装を鞄へと突っ込みながら、私はグラウンドの先にある学校を目指す。


「おはよう、アユミ!」

「朝から体力作り? 相変わらず熱心だね」

「おはよう!」


 途中ですれ違った人たちが私に挨拶をしてくれる。それに笑顔で手を振りながら、私は教室へと向かった。

 自分の席へと座って、そっと一息を吐く。喉が渇きを訴えたので鞄の中に入れていた水筒を取り出して勢い良く飲み乾していく。


「相変わらずの努力家だねぇ、苧環おだまきアユミちゃん?」

「げほっ! 何をするのさ、イユ!」


 喉を潤していると背中を強打されて咽せてしまう。なんとか息を整えて振り返ると、そこにはイタズラっぽい笑みを浮かべた少女がいる。

 彼女は私の同期生である加密列かみつれイユだ。お洒落で知られている子であり、トレードマークは金色のツインテール、そして豊かな胸だ。皆のお姉さんとして面倒見も良く、頼りにしている人は多いことを私は知っている。


「努力家なのは良いことだけれど、身だしなみにも少しは気をつけなさい。ほら、ちょっと良い香りのするフレグランスをぷしゅー」

「うわーっ! 良い香りがー!」

「汗臭いのは乙女として減点よ?」

「うぅ……」


 ここで反論すると笑顔のまま長い説教が始まってしまうので、大人しくされるがままになる。

 でも、イユは本当に世話焼き上手で頭が下がる思いだ。正直、内心ではとても助けられていると思っている。伝えると世話焼き具合が増すから言ってあげないけれど。


「頑張るのも良いけれど、自分のこともちゃんと労ってあげるのよ?」

「……うん、ありがとう。でも足を止めていられないから」


 イユが仕方ないと言うけれど、それにだけは私も頷けなかった。

 それでイユがどこか難しそうに眉を寄せたのだとしても、それだけは譲れない一線だ。それはイユもわかっているからこれ以上は何も言ってこなかった。


「お前たち、席につけ」


 すると教室に一人の少女が入って来た。お喋りに興じたりしていた周囲の子たちも席について一切お喋りを止めた。

 少女の名前は福寿メグミさん。薄めの赤茶の瞳に淡いブロンドの髪をハーフアップに纏めて、黄色のドレスを纏っている。

 この教室で唯一、制服以外の衣装を身に纏っている彼女はそれだけで特別な存在であることを主張しているようだった。


「おはよう、候補生の諸君。それではいつものように授業と訓練を始める、と言うところなのだがな。諸君には通達がある」

「通達と言うと……」


 誰かがぽつりと呟くようにそう零すと、メグミさんは一つ頷いてから答えた。


「諸君、君たちがここで学んでいるのは何のためか? それは君たちの中に眠る力を目覚めさせるためである。そして、その力は何のために必要か? そうだな、苧環アユミ。答えてみろ」

「ひゃい!? え、えっと、私たち、ひいては人類が生き延びるためです!」


 突然、名指しをされたので慌てながらも背筋を伸ばして答える。

 それにメグミさんは満足げに頷き、更に言葉を続ける。


「その通りだ。では、我々を絶滅させんと迫っている脅威とは何だ? 加密列イユ、次はお前が答えろ」

「はい。それはかつて人類が有していた兵器、かの核兵器すらも無力だった脅威、異常な進化か突然変異をした巨大昆虫群――〝鎧蟲がいちゅう〟です」

「その通りだ。人類はかつて、鎧蟲の前に敗北した。かつて有していた生存圏を大きく失い、人類の国家群は押し寄せる鎧蟲を前にして無惨にも崩壊していった」


 改めて説明されると末恐ろしい話だと思う。

 かつては二百近い国家が存在していたけれど、今は国家という枠組みは消失してしまっているのだから。

 そんな破滅を人類に齎したのが鎧蟲だ。人よりも大きな巨体に堅牢な甲殻を持つ鎧蟲に現代兵器は何の成果も上げることが出来ず、人類はただ蹂躙されてしまった。


「幸いと言って良いか、日本は島国という環境が功を奏したのか、鎧蟲の進行が他国に比べて緩やかであった。それでも北海道や沖縄、関西地方は鎧蟲の勢力下となってしまっている。そんな我々、人類が今日も存続出来ているのは、人類存続のための最後の砦である防衛機構、通称〝ガーデン〟が今も機能していることと、そのガーデンを守る守護者たる我ら――〝蝶妃ちょうき〟の存在があってのことだ」


 〝蝶妃〟。

 その単語に私は思わずぴくりと反応してしまう。


「未だ蛹である君たちが辿り着く先であり、人類生存のための先駆けとなる選ばれた者。君たちの使命は私たちの後に続き、人類を守護することだ。故に明日、近隣に構築されつつある鎧蟲の巣に強襲を仕掛けるため、候補生たちからも何人か選出して遠征に同行して貰う。よって、これから名前を呼ばれた者たちは放課後、遠征についての説明を行うので参加するように」


 皆の間に緊張が走ったようで、息を呑む人たちが何人もいる。

 そんな中で、私は強く拳を握り締めるのだった。

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