第53話 異常の本質

 人類初の大穴探索が終了した。天地ら異常探索班は誰一人欠けることなく帰還し、その調査結果を十分に持って帰ることができた。しかしそれらは人類の悩みの種を、さらに大きくすることになった。

 中でも一番悩んでいる人物は、今も机で頭を抱えている千隼律で間違いないだろう。天地からの報告を受けてからというもの、ずっとこの調子である。ただ悩んでいるだけではなく、業務と並行しているのだから逆に器用なものだ。その脇では思川彩記が事務仕事に忙殺されている。地上も地上で大変な様子であった。


「はぁ゛ぁ゛ぁ゛」

「部長、そんな声を出さないでくださいよ。幸運が逃げていきます」

「そんなもん、大穴ができた時から吹っ飛んでいる」


 異常探索班からの報告は、正に常軌を逸したものであった。地下に現れた謎の空間、以前地上に現れた化物の存在確認、そしてそれを凌駕するほどの強さを持つ新たな化物。今まで生活するうえで築き上げてきた常識というものが、ガラガラと音を立てて崩れていくのを幻視しそうになる。


「物理法則が完全に無視されていることはこの際どうだっていい。問題は、現状の私たちの力ではどうにもならない存在がいるということだ」


 現在異常対策本部の中で共有されている『鬼』という化物。自衛隊が標準装備していた銃弾では、まるで歯が立たなかったという。それは、SAMFに保管及び配備されている防衛機構が機能しない可能性が浮上したということに他ならない。具体的な検証を行う必要性が出てきてしまったのだ。


「次回の大穴探索では、より高火力な装備を持たせて検証する必要があるな。程度によっては、この基地の設備を見直さなければならない」


 予算や会議のことが頭を過ぎり渋い顔をする千隼だったが、それも職務だと思いなおして気を引き締める。綺麗に整頓された書類の山を隅に退け、数枚の紙束を机に広げた。


「それは?」

「智田の新たな研究成果だ」


 そう言って千隼は資料に目を落とす。概要は『空気中に出現した異常物質と大穴内生物の関係性について』といったものになっており、グラフや表がびっしりと載っている。確かにそれも大事な要素であるが、今の千隼に必要なのは要約だ。


「大穴付近の異常物質と、化物共を構成する要素が酷似している、ってことだろう」


 結論部に目を通した千隼はそう理解した。実の所、細かい解釈が違う可能性があることは千隼も理解しているが、それは研究者同士でやってくれと思っていた。


「こればかりは異常物質とやらの詳細が分かるまではお預けだな。思川、天地らの検査はどうなっている?」

「はい、今の所健康状態に極端な異常は見られないようですよ」


 その言葉に胸を撫でおろす千隼。大穴の内部がどうなっているか分からない以上、未知の病原菌が存在する可能性も否めない。異常探索班は帰還後直ぐに精密検査を受けたが、それによる異常は見られないという。


「ですが本部長、気になることがありまして」

「何だ、厄介事は腹一杯だぞ」

「そう言わずに、聞いてくださいよ。実は班員の殆どが、体調が悪いどころか良くなった、とか言っているらしいんですよ」

「は?」


 目を丸くする千隼。そして思った通りのリアクションを得られた思川は満足そうな表情で続ける。


「体が良く動くとか、目が良く見えるとか、とにかく色々なんですって」

「......なるほど」


 体調が良くなった、と聞いた千隼は何のことかと思ったが、”身体能力の向上”であれば話は別である。千隼はそれを化物が氾濫し、撃退した時に経験しており、その時に上がった身体能力は今の今までそのままである。心当たりがありすぎた。


「検査データは智田に送ってあるのか」

「はい、本日データを送り、すぐに分析が行われるようです」

「こっちも結果待ちか......」


 机で書類に目を通し、判を押すことが主な仕事になっている二人。動こうにも動けない現状に若干の苛立ちを感じながらも、目の前の仕事を素早く片付けていった。








 精密検査を終えた天地と剛力はSAMFの一室で話し合っていた。現段階では特に異常が見つからなかった二人はすぐに解放され、今後の探索計画について詰めている。


「鬼って化物、どうすればいいんだ?」

「今の火力じゃ突破できないですねぇ」


 机にパソコンを開きながら頬杖を突く天地。それに気の抜けた返事をする剛力。慣れない環境は彼らにもストレスを与えたようだ。

 探索班が撃った銃弾は、鬼の体表に弾かれていた。金属板であっても貫通し、貫くことができなくとも傷はつけることができる現代兵器が、まるで役に立たなかった。


「流石に次はもっと火力が出せる兵器を持ち込めると良いんだけどな......」


 この辺りは千隼との応相談である。もっとも千隼も大穴探索には積極的なので、そこまで案ずることではないのだが。


「そう言えば班長、なんか体が軽くなったって感じません?」

「分かる。大穴から帰って来てから、体が今まで以上によく動くんだよな」


 椅子から立ち上がって少し動かしてみる二人。天地は軽くその場でジャンプをしたつもりだったが、直後にゴン!という音と共に頭に衝撃が来た。


「え?え?」


 呆気にとられる剛力。突然の衝撃にクラクラしている状態の天地。


「班長、そんなに跳べましたっけ。ここの天井、五メートルくらいありますよ」

「いくら俺だってそんなに跳べないっての。軽く跳んだつもりでこれか......」


 衝撃的な身体能力の向上に追いつけない二人。事前の報告書で身体能力の向上については言及されていたが、これほどの物であるとは思っていなかった。


「これ、流石に追加報告ものだよな......」

「っすね......」


 今まで開いていたウィンドウを閉じ、溜息と共に報告書のテンプレートを開く二人であった。








「はぁ、分からないわね」


 SAMFに置かれている研究施設の一室で、智田理が分析結果を見て溜息を吐く。今日は溜息を吐いている人が非常に多い日になりそうであった。


「どうですか、班長」

「どうもこうも無いわよ。現代の技術じゃ、この物質を分析することができないってことしか分からないわ」


 分析されていたのは異常探索班によって持ち帰られた『小鬼』の身体の一部である。何度分析に掛けたところで、身体を組織する物質の正体は分からず仕舞いになっていた。言い換えると、地球上で発見されている物質と全く一致しない状態となる。


「分からない物質がある、ってことは分かるのよ。最近ここら辺の空気に含まれ始めた謎の物質も同じ特徴を持っている。今はそれらが同じ系統の物質であるとして考えるしかないわ」


 智田はレポートを机に放り投げ、更なる作業に取り掛かった。


「絶対正体を暴いて見せるから」








「今日も異常なし、ね」


 治安維持班長の想田幻は、班員と共に大穴周辺の警戒に務めていた。SAMFが建設されたこともあり、大穴に無理矢理入ろうとする輩は激減した。ほんの稀に近づく者もいるが、それらも治安維持班が追い返しているため、この班は他の部署に比べて平穏であった。


「班長、こちらも異常はありません」

「よし、新宿駅の方は?」

「復旧作業は順調のようです。」


 大穴出現によって崩壊した新宿駅は、現在復旧作業が行われている。というよりはもはや新しい駅を建設するという方が正しいかもしれない。それほどまでに新宿駅は崩壊してしまった。

 元の姿に戻すことは不可能に近い。と言ってもこの駅はビッグステーションであり、列車交通の要でもある。現在も新宿駅が崩壊したことによる影響は大きい。であるからこそ、この際新しい駅を創ってしまおうという案が立ち上がったわけである。


「あと何年かかるんですかね」

「それを決めるのも私たちよ。また化物が溢れたらここは本当に復旧できなくなるわ。それを防ぐために治安維持班があるんだから」

「確かにそうですね」


 想田は平穏の中にありつつも、しっかりと危機感は持ち合わせていた。それに気づかされた班員は想田に一礼し、去ろうとする。


「では、次の持ち場がありますので失礼します!」

「頑張りなさい」


 再び一人になった想田。想田は部屋に籠って書類仕事をすることはあまり多くなく、他の班員と共に見回りに出ていることが多かった。そのため、気づくことも多くある。

 想田は近くにある鉄筋の一部に目を付ける。新宿駅の崩壊によって露出した一部であった。それを軽く握り折り曲げようとすると、針金のように曲がるどころか、耳を劈くような破裂音と共に折れてしまった。


「やっぱり、これおかしいわよね」


 身体能力の向上、それは魔物を倒した天地や千隼だけに現れたものでは無かった。


「一度、智田さんの所に行って調べてもらった方がいいのかしら」


 なんてことを考える想田。大穴はその異常の本質を見せ始めていた。

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