第17話 氾濫

 緊急地震速報の警報が鳴る。一度収まったと思われた天災は、新たにその前触れを示した。しかし、実際に起こったのは異変が起きた時ほどの地震ではなく、日本ではよく体験するような震度4程度のものだった。

 報道機関もその通りに伝える。最初はまた何か起こるのではないかという不安に満ちていたが、実際に起きてしまえばこんなもの、という楽観的な見方が広まりつつあった。正常性バイアスというものだろうか。


 しかし、その異変は、確かに人類に近づいて来ていた。


「ん?何か変な音がしないか?」


 最初に気付いたのは、大穴付近を監視していた警官の一人だった。まだ異変が起きてから一時間程度しか経っていないため、現場の近くに居た警官が集められてこの場所の監視を任されている。少しずつ応援が現場に駆けつけてきており、急ごしらえのテントや設備などが整えられてきていた。尤も、先の地震で倒れてしまったテントも多いのだが。


「どういうことだ?」

「いえ、気のせいかもしれません」


 隣にいたもう一人、先輩の警官が話しかける。異変直後は大穴の中に入っていこうとする者たちが多かったため、その対応に忙しかった。しかし現場の人数が増えてきたことで、その心配は格段に減っていた。要は少し暇になってきたということだ。


「さっき休憩中にニュースを見たんだけどよ、かなり大変なことになってるぞ」

「え、そうなんですか」

「ああ、どうやら世界中で同じ現象が起こってるらしい」


 世界中で同じ現象が起こっていることは既に周知の事実だ。海外では地震を体験する機会など、日本に比べれば非常に少ない。その結果、建物などの倒壊が相次ぎ、その対応に追われて大穴の対処どころではないという。


「それで、さっきの音の件だが」

「あ、えーと、何か少し物音?みたいなのが穴の中から聞こえてきた感じがしたんですよ」

「なるほどな、穴に落ちていった一般人が階段を上ってきているだけかもしれないが、一応警戒しておこう。何が起きてもおかしくない」

「了解です」


 先輩警官は周囲に呼びかける。他の警官も暇だったのか、一般人の大穴侵入よりも異音の方に注意を向け始めた。大穴は依然変わらない様子であった。

 しかしこの警戒が、後に英断であったと分かる。


「ん?何だ?」


 大穴を覗き込んでいた警官の一人が違和感を覚える。耳を澄ませると、子供が歩いているような足音が幾つか聞こえてくる。大穴の中で反響しているためか、何故かおどろおどろしく感じられた。


「何かが上って来てるぞ」


 そしてその音は少しずつ大きくなってくる。足音だけではない。誰かが話しているのだろうか。声のようなものも聞こえる。それらは空洞の中で反響を続け、大穴を揺らし始めた。

 ここまでくると、流石に全員が異常を感じ取る。


「総員警戒!何かが来るぞ!」


 全員が大穴の淵から離れつつ囲い込む。何かが上ってきているのは確実。一般人が戻ってきているだけであればそれでいいが、今は異常事態。何が来ても対応できるように、皆が注意を向けていた。


「な、なんだ......あれは......」


 そして遂に姿を現した。子供ほどの背丈で深緑の肌、尖った耳、手には棍棒や短剣を持ち、大きく見開いた黄色の目がいくつもこちらを見据えている。ファンタジー系に詳しい者であれば、これが所謂ゴブリンと呼ばれる化物だと思ったであろう。


「化物だあああ!」

「慌てるな!今は様子を見る」


 あくまで最初は守りに徹する。これが人間を害する存在であるとまだ決まったわけではない。現場に搬入されていた防護盾を並べ、化物を新宿駅の外へは行かせまいとしていた。攻撃性が無いのであれば、捕縛するのが一番良い。それが一番楽であるため、大人しくしていてくれと誰もが心の中で思っていた。


「何者だ!言葉が通じるのであれば、武器を下ろして止まれ!」


 しかしその願いはすぐに消え去る。化物は周囲の人間を見るなり耳障りな叫び声を上げると、それぞれが持っている得物を振りかざして襲ってきた。


「くそっ、総員反撃だ!拳銃を使用しても構わん!」


 防護盾の後ろに控える警官らが拳銃を構える。足を狙って動けなくさせようとするが、体格が子供のため足が細く狙いづらい。おまけに化物は無数におり、未だに大穴の中から這い出てくる。やりづらいことこの上なかった。

 遂に現場に発砲音が響き始める。現代日本社会とは思えない状況に、当の警官ら本人も混乱していた。銃弾は化物の肉体には無事に通用し、足を撃たれた奴らはその場で足止めされている。


「何体いやがるんだこの化物!」


 それでも化物の侵攻は止まらない。既に100体は地上に溢れており、それでもなお大穴から出てきている。足止めだけではジリ貧、やむを得ない状況になっていった。


「仕方ない、化物は殺しても構わん!責任は俺、千隼ちはやりつが取る!」


 その声と同時に今までとは違う呻き声が溢れる。脳や心臓を銃弾によって貫かれた化物が次々と地面に倒れ伏す。中にはそれでも動く固体が居たが、追い打ちによって事切れていった。

 殺害許可が出てからは状況が速かった。防護盾で侵攻を受け止め、跳ね返す。その隙に後方部隊が拳銃によって殺害する。相手が化物かつ得物持ちとはいえ、基本能力が子供並みであったのが幸いだった。


 後に『氾濫』と呼ばれる現象は、1時間程度でようやく収まった。

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