第14話 覚醒

「おい、勘弁してくれ」


 木々をへし折りながら現れたのは、間宮がこの奈落に来て初めて遭遇した魔物。間宮にこの場所の恐ろしさを覚えさせた魔物であった。その凶悪な顔面が日に晒され、体から生えた数々の魔晶が木々を傷つけていく。先程の猪の魔物をさらに一回り大きくしたような体躯が、目の前の餌を追い詰めるように悠々と歩いてきた。


「......くそっ、動け、ないな」


 ナイアは一心不乱になって間宮を治療し続けている。それでも先の戦闘でボロボロになった体は、すぐには動かない。

 熊の魔物はそんな二人の様子は意に介さないように歩いてくる。一歩、また一歩と、終わりの足音が大きくなってくるように感じられた。


「ごめん、アタシが――」

「謝んなくて、いい......すぐ、うごけ、るように――」


 二人の声を遮るように、遂に熊の魔物は間宮の元まで到達してしまった。その目はまさに捕食者。偶然転がっていた餌があり、気が向いたから拾いに来たかのような、そんな気楽さでここに現れたのだ。

 熊の魔物が腕を大きく振りかぶり、間宮に叩きつける。間宮は死神の鎌を幻視した。その時、


「アタシが、相手よ!」

「よせ!ナイア――」


 間宮が動けないことを悟ったナイアは、熊の魔物の前に立ちふさがった。叩きつけられるはずだったその腕は、ナイアが受け止めることで僅かに軌道を逸れ、間宮の体に当たることは無かった。代わりに、


「が、はっ......」


 間宮にはそれが酷く遅い、スローモーションを見ているような感覚に陥った。当然耐えられる訳もなかったナイアは横に吹き飛ばされ、木に叩きつけられる。空気が唸り、その衝撃はナイアが無事ではないことを伝えるのには十分すぎた。


「おい......なんだよ、これ――」


 間髪入れず、二撃目をまともに食らった間宮は、ナイアと同じように木に叩きつけられた。

 無い。感覚が無い。痛みではない何かを感じる?何かがあるのかも分からない。意識が混濁し、現実と幻覚の境が曖昧になる。耳鳴りが酷くうるさい。視界が赤い。魔物がこちらを見る。歩いてくる。歩いてくる。止まる。腕を振り上げる。


(終わりか)


 走馬灯と言えるようなものは思い起こされなかった。人生を無難に生きてきたツケなのだろうか、なんてどうでも良いことを考える間宮。それでもどこか悔しいような、悲しいような感情はどこからか生まれていた。


(なんだ?)


 何かが引っかかる。そんなに見落とすような大事なことが、これまでの人生にあっただろうか。回っていないはずの頭を使って、探るように意識を深く沈める。それは、つい最近あったような、無かったような。


「ソ、ラ」


 不意に聞こえる。自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。耳鳴りがうるさいはずなのに、やけに鮮明に聞こえた。


「ご、めん......アタシが、いちば、んしたまで、いこ、うなんて、言ったから」

(違う、ナイアのせいじゃない)


 口が動かない。どうしてもそれだけは違うと伝えてやりたいのに、動かない。


「アンタは、不安......だった、はず、なのに」

(違う)


 何が違う?突然こんなところに落とされて、『試練の奈落』だなんておかしなことを言われて、地上に戻りたいと言ったら、最下層を一緒に目指してほしいと言われた。その通りではないか。


(違う)


 そんなことを思っていたのではない。確かに不安はあった。魔力などと言ってよく分からない力を手に入れ、奇妙な敵を相手にし、今はもはや死ぬ直前である。

 それでも、不安以外もあった。


(少し、楽しそうだと思った)


 未だにフィクションだと思っているのかと言われればそれまでだ。明らかに命の危険がある状態で、それを楽しそうだと思うのは、危機感が欠如していると言わざるを得ない。

 だが、何気なく漫然と生きてきた間宮の中で、何かが変わったのは事実だった。ナイアによって、と思わされた。


(なら、こんなところで終わるわけにはいかない)


 何か、カチリとピースが嵌るような感覚がした。















「ソラ!!!逃げて!!!」


 必死の叫びも届かない。熊の魔物はゆっくりと、だが確実に間宮を仕留めるために腕を振り下ろす。それは一方的な攻撃であるはずであり、まして反撃されることなど考えもしていなかった。しかし、その凶悪な爪が間宮を切り裂く直前、あり得ない現象が現れた。


「な、なに......それ」


 声を出したのはナイアだ。魔力で体が構成されているナイアからは血が流れることが無い。それでも魔力を大幅に減らし、何とか体を維持している状態である。そんなナイアが、まるで幻を見ているかのような反応をする。熊の魔物も同様、想像もしない現象に戸惑っていた。


「腕が、何かで止まっている?」


 振り下ろされた腕は、間宮の顔面直前で停止していた。まるでそこに壁があるかのように、幾ら熊の魔物が力を入れてもびくともしない。そこには何もないはずなのに、この程度の攻撃では破れないというがそこにあると感じられた。


「まだ......俺は......やれるぞ......」


 徐に間宮が立ち上がる。立つことなど不可能なほどに傷ついたはずの間宮が、ゆらりと、死から生き返るかのように、熊の魔物と対峙する。


「ナイア、約束、まだ守れそうだ」


 間宮の謎の力を脅威と判断したのか、熊の魔物はさらに首をもたげて間宮の頭ごと食いちぎろうとするが、それも壁に阻まれる。信じられないという感情が、初めて捕食者の目に現れる。目の前の脅威を、遂に敵対者として認識した。

 間宮は静かにそれを正眼に捉える。覚悟は決まった。


「最下層まで、絶対に行ってやる」

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