第32話 奪還作戦
「じゃあ……行こうか」
イーナが身支度を整えて、ヘレナとユーリアの前に立つ。
背中に額縁のケースがないという一点を除いて、いつも通りの彼女の服装だ。
額縁という最大の武器を持っていないイーナにとって、頼りの武器は腰に装備した両刃のナイフだけである。
三人は慎重に部屋を出て、ヘレナを先頭に、イーナ、ユーリアの順に階段を降りてマンフレッドのアトリエへ向かう。
ユーリアによれば、使用人もイレーネも買い出しなどで出掛けており、家にはほとんど誰もいない状態だ。
額縁奪還をするタイミングとしては好ましいわけである。
マンフレッドのアトリエの前に着くと、ユーリアはすぐに額縁を光らせ、部屋の中を確認する。
「アトリエ内、地下共に異状なし、閃光もすぐに出せるよ」
ユーリアは額縁を扉の前で構える。
「了解」
ヘレナは扉の取っ手に手をかけるが、鍵がかかっている。
「鍵です、当然といえば当然ですね」
ヘレナはユーリアとイーナの方に振り向いて言う。
「少しだけ荒っぽくなるけど、鍵破壊できるよ……やる?」
「お願いします」
ヘレナは即座に答えた。
「了解、周囲の警戒だけよろしく」
ユーリアが額縁を構えると、円形の額縁がどんどん輝きを増していく。
輝きが増していくのと同時に、額縁の中心あたりから、細い光線が出始めた。
「ちょっと時間かかるから」
ユーリアは集中して扉と柱の間に光線を当て、扉をこじ開け始める。
「私の額縁があれば、一瞬で崩せたのに」
イーナが静かにつぶやく。
なんともないように振る舞ってはいるが、熱とだるさが少なからずあるのをヘレナは見てとった。
「その額縁を取り返しに今から行くんですよ」
「あんなに役に立つ人材と額縁の能力はほとんど居ないんですから」
ユーリアがまもなく鍵を焼き切って、扉をこじ開けるのに成功する。
アトリエはユーリアの透視した通り、もぬけの殻だった。
アトリエには乱雑にものが置かれていて、まだ絵画を入れていない額縁や完成後の絵画、書きかけのもの、没にしたと思われる下書きなどがそこらじゅうに転がっている。
「収納箱、収納箱……これだ」
ユーリアが部屋の隅の方へ歩いていく。
大きめなキャビネットが置かれている。
恐らく絵画の道具などをこの中にしまっているのだろう。
ユーリアが額縁を光らせて透視し、地下を確認する。
「異状なしだね、ヘレナ、これ移動すんの手伝ってよ」
周りにものが多いにも関わらず、キャビネットは二人がかりですんなりとどかすことができる。
そこだけ動かしやすいように露骨に物が少ないのだ。
キャビネットをどけると、ぽっかりと床に穴が空いていた。
穴の壁に手を加えた後もなく、穴自体も歪なことから、後から素人が掘ったものと見て間違いはないだろう。
穴はそこまで深くはなく、梯子を降りて2、3メートルほど下に地面が見えた。
「入ろう」
イーナが独り言のように言うと、ユーリアとヘレナは黙ってうなずいて、ヘレナから片手に額縁を持ち、梯子を降りていく。
歪な形をした地下室は、下水道を利用して作ったというよりも、地下室を作っていたら下水道にぶち当たったというような構造になっている。
垂直に掘った穴とは反対の、地下室の端に下水道が通っているため、そう見えるのだろう。
地下室自体は案外広いようだが、天井が低く、照明も粗末な机の上に置かれたランプだけであるため、暗い。
ランプに火があるということは、少し前までは人がいたということになる。
「暗いね、光出すよ」
梯子から降りたユーリアは、額縁自体を強く光らせて周りを照らす。
ヘレナやイーナの額縁の光では、周りを照らすほどの強さは持たないが、ブルクナーの額縁は額縁を光らせること自体も能力として使うことができる。
ユーリアの額縁に照らされて、地下室の状況がわかるようになってきた。
粗末な机とランプのほかには家具はない。
床に紙などの物が散乱していて、見覚えのある革製のケースもその中に落ちていた。
そんな地下室の中央に、イーナの額縁は佇んでいた。
額縁は三脚のイーゼルに固定されているが、こちらからは後ろ向きで中は見えない。
「ありましたね」
その一言と同時に、ヘレナとイーナ、ユーリアがイーゼルの左右の二手に分かれ、額縁の正面に一斉に回り込もうとする。
ユーリアがヘレナとイーナに目配せをする。
ユーリアの額縁から閃光を出して、一気にイーナの額縁の中を確認するつもりだ。
イーナも腰のナイフに手をかけ、臨戦態勢を取った。
ヘレナがうなずくと、ユーリアが額縁から閃光を放つ。
すぐさまヘレナとユーリアが中を確認しようとする。
その瞬間だった。
黒い物体がイーナの額縁の中から飛び出してきて、ユーリアに飛び掛かる。
四本足のそれは「切り口」を大きく開けてユーリアを飲み込まんとした。
咄嗟にユーリアは後ろに飛び退いて、頭や額縁を守ろうとするが、身体の全てを守り切ることはできず、顔の前にかざした左手にナトゥアの「切り口」が掠る。
ナトゥアの「切り口」の闇に溶け込むようにして、たちまちユーリアの手首から先は消えてしまった。
声にならない苦痛のうめきをあげて、ユーリアはのけ反る。
ナトゥアが次の一撃を繰り出そうとしたとき、イーナが飛び出してきて、ナトゥアの脇に深くナイフを突き刺す。
急所を的確に突いた攻撃によって、ナトゥアは一瞬のうちに無力化された。
三人の視線がナトゥアに注がれた瞬間、イーナの額縁から続けてまた何かが飛び出してくる。
ユーリアが閃光を放つために額縁の照明を一瞬解除したため、周囲は薄暗い。
飛び出した影はランプの薄明かりに照らされる。
それは二足で立ち上がった。
「……マンフレッド叔父さん……ですよね」
イーナはイーゼルから自分の額縁を取り上げる。
自分の「部屋」は特に荒れた様子はないが、本棚からいくつか本が抜かれて、床に重ねられているのが見える。
イーナは身体のだるさが一気に抜けていくのを感じた。
間違いなく自分の額縁だ。
彼は服の裾についた埃を払うような素振りを見せた後、顔を上げる。
よく見た顔が薄明かりに浮かび上がった。
「そうだ。私がマンフレッド・ヴルカーンハウゼンだ」
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