第29話 潰えていく空間

 「ほら、もう寝ようか」


 「……うん」

 父は幼いイーナを抱え上げて暖炉の前から連れ出す。

 片手でイーナを抱き、もう片方の手にはケースに入ったイーナの額縁を持っている。

 額縁を背中に負うにはイーナはまだ小さすぎた。

 

 父は玄関の階段を上っていく。

 高い天井から灯りのついた照明がぶら下がっていて、空間を明るく照らしている。

 階段の壁にはたくさんの額縁がかけられており、その全てに寝室のような部屋が描かれている。

 「なんでお父さまの額縁には入れるのに、この階段の額縁には入れないの?」

 幼いイーナが壁にかけられた絵画の一つを触りながら言う。

 

 「それはご先祖の額縁だからだな」

 

 「ご先祖?」


 「ああ、もう死んでしまったものたちの額縁だ。持ち主が生きている間は『部屋』は自由に行き来できるが、持ち主が死ぬと、遺された『部屋』は入ることができなくなって、まるで絵画のように固まってしまう」

 壁にかけられた額縁は形も色も絵もさまざまで、その数の多さはヴルカーンハウゼン家の歴史の長さを物語っている。

 

 「かなしいね」

 イーナは先祖の死というよりかは、「部屋」の中に入れないことに悲しんでいるようにみえる。


 「これでも幸運な方かもしれない」

 父は少し声を低くしてつぶやく。

 「額縁が失われたことで死ぬこともよくあるから」


 父は階段を上り終わって、イーナの部屋へと連れて行く。

 イーナを部屋に備えられたベッドへ寝かしつけ、額縁を革製のケースから出してイーナのそばへ置く。


 「イーナ、寝る前に良い知らせだよ。今日からもうこのベッドで寝なくていい」

 父が嬉しそうに言った。


 「え?」

 幼いイーナはきょとんとした表情を浮かべ、額縁の中を覗き込む。


 「君の『部屋』がついに現れたみたいだ」





 イーナは翌日も相変わらずマンフレッド邸のベッドに横たわっていた。

 額縁が盗まれて一日が経った昼頃には、体のだるさはさらに増して、上体を起こすのすら面倒に感じるようになってきて、身体も高熱を発し始めていた。


 ユーリアとヘレナが帰ってきて、昨日と同じようにイーナの寝ている部屋へ訪れると、イーナの叔父のマンフレッドがベッドの傍に立っていた。


 「帰ってきて驚いたよ。信じられない事態だ。四ツ窓の額縁が盗まれることなんて初めてだ」

 マンフレッドはベッドに横たわって寝ているイーナを見つめている。

 「額縁がこのまま帰ってこないと不味いことになる、なんとしても額縁を取り返さなければば」


 マンフレッドは部屋の入り口に立つユーリアとヘレナの方に向き直る。


 「すまなかった、こんなことになっているとは知らなかった。何か手伝えることがあるならなんでも言ってくれ」


 「……はい。なにかあればすぐに」

 ヘレナは静かに答える。

 財力があって、軍を持つ上位の貴族ならともかく、「窓持ち」でない貴族ができることは少ない。

 エドラー家の「窓持ち」であるヘレナですら役に立てているかどうかは怪しいのだ。


 「それで、解決の糸口は見つかったか?イーナの額縁は、見つけられそうだろうか?」


 「はい。情報は少しだけ、集めることができました」

 ヘレナはマンフレッドと情報交換を行う。

 マンフレッドは今日の昼に自身の絵の額縁の買い出しから戻ってきて、それからはイーナの看病をしており、マンフレッドの妻のイレーネや使用人も参加してできる限りの処置を施したようだった。


 「そうか、まだ黒幕が誰かどうかはわからないということか」

 「明日の捜索の予定は?」


 「今のところは、まだ」


 「そうか。私たちもできるだけのことはするよ、イーナのことも含めて気づいたことがあればすぐに話そう。……イーナをどうか、よろしく頼む」

 イーナの方をもう一度見て、マンフレッドは部屋を出て行った。

 ヘレナもベッドで眠るイーナに目をやる。

 イーナの額は濡れた布で冷やされている。

 高熱のせいか、イーナは深い呼吸を繰り返して胸元を静かに上下させていた。

 

 「大丈夫です、絶対に取り戻してみせますから」

 額縁の中の空間が、凝り固まってしまう前に、必ず取り戻すと、ヘレナはイーナに誓った。





 「明日は一体どうするつもり?」

 部屋から出た後、廊下でユーリアはヘレナに訊く。


 「今日得た情報を整理してから考えたいと思います。情報の分析が今のままでは足りないように思うので」

 ヘレナは下を向くことなく前を向いて歩きながら言う。

 昨日のような憔悴はもうなかった。


 ヘレナは夕食を食べるとすぐさま客人用の寝室に入って背中の革製のケースから額縁を取り出し、壁に立てかけて中に入る。

 ライティングテーブルを開いてヘレナが知っているすべての情報を書き出していく。


 (黒幕と思われる依頼人の特徴と怪しそうな人物の特徴の比較と、当日の行動を時系列順に並べて……あとは疑いのある人物の動向、事件現場の店の位置と間取りをまとめておきますか)

 ヘレナは集中して次々に情報を整理していく。

 資料作成は数時間に及び、作業が終了するころには深夜となっていた。

 

 「終わった……」

 一通りの情報をまとめ終わり、無意識にヘレナは独り言をつぶやく。

 とはいえ、これでやるべきことが終わったわけではない。

 情報を整理して資料を作ったからには、それを分析しなければ意味がない。


 (……さて)

 ヘレナは作った資料に目を通していく。

 

 (……依頼人の特徴が曖昧すぎるなぁ、服装は変えられるし、夜じゃ特徴を読み取ることも難しいよね。疑いある人物の動向も同じ、とりあえずのメモといった感じかな、継続的に動向を追えれば効果もでるんだろうけど……)

 といっても、もとからこれらの資料から良い分析結果を期待していなかった。

 ヘレナは何枚かの資料を脇に置いて、大きめの紙を広げる。

 分析で何か得られるとしたら、当日のイーナとヘレナ、二人の実行犯、依頼人の行動を一つにまとめたこの資料である。

 この資料を作成する途中にも疑問はいくつも出てきた。


 例えば、イーナとヘレナが路地の角の酒場を訪れる前、屋台の陶器をヘレナの能力で動かして、人混みで目立たず行動しようとしていたあたりなどだ。

 実行犯によれば、城門を出てすぐからつけていたという話だったから、ヘレナとイーナが騒動を起こして一気に走り去る姿も目撃しているはずだ。

 しかし、彼らはその後も問題なく尾行できている。

 彼らの尾行能力が高いのか、それとも単純に相当近い距離で尾行をしていたか不明だが、彼らは道をふさぐ人の塊をよけて追ってきたのである。


 (所詮は机上の空論ってことなのかな……?)

 予期しない考察が生まれかけて、ヘレナは首を振り、本来の目的に戻ろうとする。

 これはすべてが終わった後でもできる考察だ。

 しかし、こうした予期しないものこそがヘレナの求めているものであり、分析における良い兆候でもあった。


 ヘレナはその日の朝から時系列順に出来事を追い始める。

 まず、その日の早朝。実行犯の一人が城壁の抜け道の茂みを確認して、城門からイーナを尾行するという依頼を受ける。

 それから数時間して遅めの朝にヘレナとイーナがマンフレッド邸を出発、間もなく城壁を通り、実行犯二人による尾行開始……


 ふと、ヘレナの資料を読む手が止まった。

 

 

 

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