第26話 三日
幼いイーナが書斎に入ると、父はまたも本を読んでいた。
書斎は足の踏み場もないほどに本が積み上げられていて、そのほとんどがイーナの背よりも高かった。
イーナは積み上げられた本の間を慎重に進んでいくが、ふとした瞬間、イーナの肘が本に当たって、積み上げられた本の一つが崩れてしまう。
父はすぐに気づいて本の間をすり抜けながらイーナの元まで近づいてきた。
「ごめんなさい……」
イーナは自分の父親に謝る。
散乱した本は奥の方の積んだ本同士の間にまで入ってしまって、回収するのは大変そうだ。
「いや、こんなに積んでおいた私も悪い、前々からどうにかしろとは言われているからな」
父は自分の前に落ちていた本を一冊拾い上げた。
「ああ、これは額縁についての本をまとめて置いていたところだったか」
「ナトゥアのことを調べてるんじゃないの?」
幼いイーナは聞く。
父は要請に応じて戦う傍ら、ナトゥアについても研究をしていた。
「そうなんだが、額縁や四ツ窓もナトゥアと同じくらいよくわかっていない」
父はしゃがんで本を片付けながら言う。
「300年前、ナトゥアが出現し始めてから少しして、額縁を使って戦う者たちが現れ始めた。四つの家柄で構成されており、それまでなす術がなかったナトゥアの侵攻を食い止めることに成功した……わかっていることはこれだけだ。……出自がどこなのか、なぜ、そしてどのようにしてその能力を手にしたのか、なぜ四つの家柄だけなのか。そして、額縁と人間にどのような関係があるのか?全くわからないんだ、これが」
父は本を積み上げ終わり、立ち上がった。
「まあこれは……300年より前の歴史がかなり不鮮明だから、こういうことになっているともいえる。まあ結局のところ、ナトゥアも興味深いが、四ツ窓も同様に研究してみたいって思っているだけだよ」
「ほら、そろそろ夕飯の時間だ。先に行っていなさい」
イーナははっと目を覚ます。
普段とは違う天井が目に入ってくる。
(ああ……額縁がないから「部屋」もないのか)
イーナは上体を起こす。
マンフレッド邸だ。
イーナは眠る前のことを思い出そうとする。
身体は重く、頭はもやがかかったかのようにうまく働かない。
イーナはしばらく思い出したり、状況について色々考えようとしたが、諦めた。
額縁が盗まれたことに変わりはないし、今はヘレナとユーリアが自分の額縁を探し回っているだろうからだ。
来客用の寝室の窓から差し込む夕日はどんどん低くなって、暗くなってしまった。
真っ暗な部屋でイーナが何をするわけでもなくぼーっとしていると、部屋の扉が開いて、ヘレナとユーリアが入ってきた。
「体の調子は大丈夫ですか……?」
ヘレナが落ち込んだ声で言う。
部屋が暗く、廊下が明るいせいで、二人の表情はイーナからはよく見えない。
「まあ、うん。大丈夫」
「ええと、額縁が盗まれたせいでイーナが倒れて、ここまで運んだあと、私とユーリアさんで、できるだけ壁外は捜索してみたんですが、すみません、結局まだ、額縁は見つかりませんでした……」
ヘレナが肩を落としているのがイーナはわかった。
「ただ、得られたものもあるにはあって……壁外と壁内をつなぐ城壁の抜け道が一つ見つかりました……」
ヘレナは成果もあったことを強調するかのように言う。
自分自身を納得させようとするかのように。
「盗人二人組の最終目撃地点からも近いから、城内に額縁があることも否定できないと思うよ」
ユーリアが補足を付け加える。
「エドラーは諜報員を捜索に出すみたいだけど、帝国軍は動かなさそうだよ、『帝都は人員不足で手が回らない』らしいね」
「明日は、壁内も捜してみるよ……そっちも何か思い当たることがあったら教えて、できる限りのことはやるから」
「マンフレッドさんは明日の昼までは帰らないようですが、イレーネさんと使用人さんも心配しててできることならやってくれるそうです……何かあれば声をかけてください」
「……うん」
イーナはまとまらない頭で静かに返事をする。
二人は食事をベッドの隣の机に置くと、部屋から出ていく。
扉がゆっくりと閉まって、廊下からさす光はだんだんと細くなり、部屋は再び真っ暗になった。
「もう少し捜しに行ってきます」
ヘレナは部屋を出ると静かにそう言って、階段を降りて玄関へ向かおうとする。
「待った」
ユーリアが階段の途中でヘレナの裾を掴んで引き留める。
「夜に捜したって見つかりにくいし、今のうちに今後の作戦を立てた方がいい、時間を効率的に使うんだよ」
「……額縁を失った人の寿命って、どれくらいか知っていますか?」
ヘレナはユーリアに背を向けたまま、俯いている。
「平均して、三日」
四ツ窓ならだれでも知っていることだ。
額縁を失って死んだ四ツ窓は、四ツ窓以外が知らないだけで、今まで何人もいる。
「そんなに短いのに、休んでいる暇がありますか?帝都は広いです、三日じゃ捜しきれません。もしかすると帝都ではないどこか遠くに額縁が行っちゃうかもしれません、だったらできるだけ長く、今のうちに捜し続けないと……!」
ヘレナは振り返ってユーリアに訴えかける。
「三日で捜しきれないなら、なおさら考えて動いた方がいいと思うよ」
ユーリアは冷静に答えるが、その顔は曇っていた。
「ユーリアさんはイーナとまだ知り合ったばかりだから仕方がないかもしれませんが、イーナは私にとって、ヴルカーンハウゼンで助けてもらった恩人なんです。人遣いが荒くて、思い付きの無茶なことばかりするけど、恩人なんです!」
ヘレナの目には涙がたまっていた。
「だから……」
ヘレナを下を向いたまま押し黙る。
「私にも責任があるよ、あの店で早とちりをして、混乱させちゃったし。このまま最悪の事態になるのは自分としてもずっと嫌な気持ちが残るから、避けたい。それに……」
ユーリアは付け加える。
「……自分の責任は自分でとるべきだと思っているから」
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