久野くんの結婚

teran

久野くんの結婚

私の友達の久野くん。中二の秋くらいから仲良くなったので、中三のクラス替えで離れないとよいなと思っていたけど、一学年に七組あるにもかかわらず奇跡的に私たちは同じクラスになることができた。それからずっと仲がいい。私は少し見た目が人と違っていて、それが原因かはわからないけれど小学校の時はずっといじめられていた。ただ、ぼーっとしていることが多かったので、小学校二年生のころ、職員室で担任の先生の話を聞いていたらツーっとよだれを垂らしてしまったことがあり、それで一気に変なやつだと思われた気もする。その時はお腹がとても減っていて、別のクラスの先生が自分の席で食べていたパンがとてもおいしそうに見えたのだ。すぐに袖口で拭ったつもりだったけれど、一緒に話を聞いていた子があっという間にクラス中に言いふらしてしまった。あと、家が貧乏だったのもあって同じ服ばかり着ていたから、汚いと言われたりした。「府川に触ると病気になる」とまで言われた。でも別に汚れていなかったことは私がよく知っている。自分で洗っていたから。汚いなんて言われる原因は、二層式の古い洗濯機の調子が悪いせいなんじゃないかと思い、手で洗って、洗って、干して乾かして、クンクンと匂いを嗅いでみて、洗剤の匂いがしすぎるくらいになって初めて畳んでタンスにしまった。洗濯洗剤が肌にとてもよくないなんて知らなかったから、手がすごく荒れてしまった。病院に行くということがよくわからなかったし、保険証というものも知らなかったのでそのまま耐えていたら、その手を見たクラスの子にまた嫌なことを言われるきっかけになった。いつも一人だったから昼休みはノートに絵を描いて過ごしていたけれど、手を見られたくなくてそれもやめた。そんな私は中学校に入ってからもしばらく一人でいることが多かったのだけど、中二の体育祭のフォークダンスでペアになった時から久野くんと友達になった。ペア決めはくじだった。でも、私とペアになったちょっとヤンキーっぽい男子が久野くんのところへ行ってくじを交換したので、それで私は久野くんとペアになった。体育の時間はいつも男女分かれていたけれど、体育祭の前はフォークダンスの練習をするから合同で授業を受けることがあった。初めての練習の時、私は気まずさを感じていて、そのころは誰とも目を合わせて話すことができなかったから、自分の足元を見て、そのあと向かい合って立つ久野くんの靴を見た。ボロボロだったので少し驚いた。私の靴も辛抱して使っているからだいぶくたびれていたけど、久野くんのは穴があいていた。切り込みのような穴。こんな靴を履いているのに、さらにダンスの相手が私だなんて久野くんに申し訳ないような気持ちになったので、私は覚悟を決めて口を開いた。今思えばあれは申し訳ないという気持ちではなく、私が人生で初めて感じた同情だったのだと思う。

「ごめん、久野くん、手、触らないようにするから」

男子が下から差し出した手に、女子が上から手をのせる形のダンスだった。校庭のポールに括りつけられたスピーカーから、何十年も使っているような音源が流れ始めると、私は腕を挙げた。このまま腕を浮かせているのはすごく疲れるなと思った。久野くんは返事をしなかったけれど、私の言葉に返事をする人なんて誰もいないので気にしなかった。イントロが終わると、輪になった同級生たちが一歩、また一歩と歩き出す。私の宙に浮いた手の指先が着地した感覚を覚えて、不思議な気持ちで横を見ると、久野くんの手が私の手に触れていた。クラスの誰とも会話をしない私でもなんとなく知っていた。久野くんはゲイで、それで男女問わずクラス全員からいじめられていた。これまでもいじめられっ子に出会うことはあった。そんな時、私は勇気を出して近づいてみるものの、いじめられている子にもプライドがあるようで、お前に近づかれるほど落ちぶれていない、というような目で見られたりした。なのでもうなんだか疲れてしまって、毎日ロボットになりたいなと思って過ごしていたのだけど、いつのまにかロボットみたいになんにも感じなくなって、それがとてもうれしかったのと同時になんだか焦りも感じた。後戻りできない気がした。久野くんは私の手を取ると、まるでロボットみたいに片足を前に出したりひっこめたりするダンスを踊る。あの時はロボットみたいだと思ったけど、今考えるとキックみたいだった。一瞬一瞬、気を張って、エネルギーを振り絞って体を動かしていたようなキックだった。ロボットとは全然違った。私はあの時ロボットだったけど、一緒にダンスをしているとねじがポロポロと落ちていくような感じがした。久野くんと私の動きが合わなくて、私は少し笑った。いつもだったら笑いたくなっても笑わなかったけれど、あの時は、ほんの少し自分の心から染み出した「可笑しい」という気持ちを研ぎ澄まして、結晶みたいにして、小さな声で笑った。すると久野くんも「ふふふ」と声を出した。横目で確認すると、目が優しく細くなっていたので、久野くんも笑っていたのだと思う。中学校最後の年、私はとても安心していた。久野くんは勉強が好きじゃなかったから、私とは別の高校に行った。頻繁に会うことはなくなったけれど、たまに会うと髪の色が金になったり赤になったりしていて、どんどん自分らしさを手に入れているように思えた。私は大学に進学したけど、久野くんは美容学校に行った。でも二人とも同じ街に出てきたので、馴染みのない土地の心細さもあり、高校の時よりもよく会って遊ぶようになった。恋愛の話もした。久野くんは奥手みたいで、好きな人がいても自分から告白して付き合えたことがなかった。私は恋愛をすることを諦めていたのでいつも聞き役だったのだけど、年齢を重ねるにつれて久野くんにもいい人が現れて、私に紹介してくれて三人で遊んだり、お酒を飲んだりしたこともある。今、少し寂しいような気持ちもあるけれど、フォークダンスをしていた時の姿を思い出すと、ああやって二人が寄り添って立ち、笑顔で手を振っているのは、まるで別の人の人生を見ているみたいで夢を見ているような気もする。私たち、別に恋愛とか男女とか関係なく、出会えてよかったよね、と思った。今日のヘアメイクだって久野くんにやってもらえてとびきり綺麗にしてもらえたから、今度の久野くんたちの式では最高のウェルカムボードをプレゼントしようと思う。

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