『同志少女よ、敵を撃て』のミステリー、その謎と混乱。

秋山完

01●イワノフスカヤ村の謎(1):夏なのか冬なのか。子鹿は夏の季語? 

01●イワノフスカヤ村の謎(1):夏なのか冬なのか。子鹿は夏の季語? 




 『同志少女よ、敵を撃て』(著:逢坂冬馬 氏)は、言わずもがな……

 2021年の第11回アガサ・クリスティ賞大賞と2022年本屋大賞のダブル受賞作。

 発行部数は2022年4月現在で40万部近くに達する大ヒット作です。


 題材が女性のロシアンスナイパー、しかも美少女。

 第二次大戦が舞台なので、ミリタリー本の好きなファンとしては、マストバイ。


 しかし、買ったときの印象が……

 この作品、ミステリーの大賞を受けているので、ミステリー?

 でも表紙イラストはどう見ても、ミリタリー。


 ミリタリーなミステリーなのか、ミステリーなミリタリーなのか?


 ちょっと戸惑いますが、そんな、ハイブリッド感覚の、ユニークな大作小説です。

 作品の素晴らしさは折り紙付き、ということで……


 ここでは少し変わった斜めの視点から、作品世界を楽しんでみましょう。


 じつは、ミリタリーだけどミステリーな、幾つかの謎が……

 作品中の描写に潜んでいます。

 読んでいて、「あれっ、どこか変?」と違和感を覚える、何か。

 これはおそらく、作者の意図による、謎かけなのです。

 読めば読むほどに、深まる謎。


 そこには多分、この作品の制作過程が隠されていると思われます。


 あまりにも興味深いので、

 文脈と行間に秘められた謎を探し、私なりに解いてみました。

 これはあくまで、個人的な感想文です。

 作品を批判するつもりは全くありませんが、

 作者様、失礼がありましたら、何卒お許し下さい……



       *


 本稿に引用する『同志少女よ、敵を撃て』は2021年11月25日発行の初版本を底本とします。


       *




 最初の謎は、イワノフスカヤ村の“季節”です。


 主人公の少女、17歳のセラフィマは、人口40人ばかりの閑村、イワノフスカヤ村の住人です。

 村には、裏山があります。(P8)

 猟師である母とともに、セラフィマは鹿射ちの猟に出掛けます。

 銃は狩猟用のライフル一挺、二人でかわりばんこに使うようです。

 標的は、百メートル離れた、雌鹿。

 そのとき「深い雑草の間から、そこに寝転がっていた子鹿」が起き上がります。

 「子鹿は、乳離れして間もない」と思われます。

 セラフィマは母鹿を仕留めます。(P16)

 二人は、息絶えた、体重が「八十五キロはありそう」な母鹿に「ベルトをつないで、ずるずる引っ張り」ながら村へ帰っていきます。(P18)


 さて、この第一章の最初4頁目までの内容から、読者であるあなたは、どのような風景をイメージされましたか? 季節は、いつ?

 私はいささか、混乱してしまいました。

 鹿の出産は通常、夏です。

 子鹿は一か月ほどで乳離れして草を食べ始めます。

 「深い雑草」も表現されています。

 だから夏かな、と思いました。

 しかし「木々の枝に残る雪」と書かれていますから、明らかに、冬です。


 二人は、母鹿に「ベルトをつないで、ずるずる引っ張り」ます。「ズルズル」ですから、地面を引き摺っていく印象でして、雪はほとんどなさそうです。

 それとも、地面は凍結していたのかな?

 雪の無い冬?


 しかし、この日は1942年2月7日、と明示されています。(P15)

 ドイツ軍のモスクワ攻略作戦とその敗退を描いた、小林源文先生のコミック『タイフーン作戦』(2002 学習研究社)の130頁には、ちょうどぴったりの、同年「2月7日夜」の日付があり、描かれている風景は、一面の雪景色。

 1月の気温は零下30~40度にもなったとあり(P103)、12月には「胸まである雪をかき分け戦い」(P97)とあります。

 DVDで『ドキュメント第2次世界大戦 ナチス崩壊への道 モスクワ攻防戦』(コスミック出版)も観ました。1941年12月からのソ連軍の反攻を記録した作品で、1942年のアカデミー賞でドキュメンタリー長編賞を得たとか。ここでも映る風景はひたすら、雪、雪、雪でした。


 ムチャ寒い、かつドカ雪。

 暖冬ではありません。もう“極地なみ”の恐ろしい気候だったのです。

 温暖化の進んだ21世紀現在のモスクワの平均気温は、2月で零下4~10度、日本では北海道の網走もそんなところです。

 ですので、モスクワとトゥーラの中間(モスクワから百キロ圏あたり)にあるとされるイワノフスカヤ村は、比較的温暖な地勢にあったと仮定しても、一日中、氷点下であったはず。

 つまり、降り積もった雪が解けて流れて水になることがないのです。

 12月あたりから二か月、地表の雪は、人為的に除雪しない限り、消えることはないでしょう。


 1942年2月の、少女セラフィマと母の狩猟環境は、おそらくかなりの積雪の中。

 一歩間違えば雪山遭難、命がけの危険と隣り合わせであったことと推測されます。


 冷える日は銃のメカの凍結に注意して、不用意に素手で銃にさわると皮膚が貼り付いてしまったことでしょう。手袋必携です。


 そもそも、それだけ苛烈な冬将軍が襲いかかったので、防寒装備が不足していたドイツ軍が敗退する一因になったと言われていますので。


 とすると……

 セラフィマと母親が射殺した母鹿を運ぶのに、かなり雪が積もっていたはずの地面を引き摺るのは合理的ではなさそうです。

 例えば背中にしょって運べる簡便なソリとかを用意して、雪上を引いてスルスルと運ぶ方が理屈に合っていたのではないかと。

 ズルズルと地面を引き摺ると、利用価値の高い毛皮が傷みますので、何らかの形でそりなどの運搬具を使うのが賢明ではないかと想像するのです。

 また、二人は雪上の移動を容易にするため、最初からスキーを履いていたかもしれませんね。


 もうひとつ、不思議な点が。

 体重85キロもの鹿を、山道の地面を引き摺って運ぶのは、数メートルならともかく、数百メートル以上となると、女性二人では、おそらく不可能でしょう。

 50キロほどの荷物を男性が持ち上げて数十メートル移動するだけでも、かなり大変、ヒーヒーです。

 セラフィマと母親は、雪ぞりを使うか、あるいは細めの樹を切って、地面に枝葉を寝かせてその上に鹿を載せ、人間は樹の幹を持って引っ張ってそりがわりにするとか、そういった工夫をして、運搬を容易にしたのではないかと思います。


 そうでなければ……

 セラフィマとお母さん、お二人ともランボーさん並みに、とんでもないマッチョな肉体で剛力の持ち主ということになってしまいます。


 じつは、セラフィマ嬢が超人的なほどマッチョな剛力を持っていなければ不可能と思われる場面も、物語の終わり近くで出てくることになります。ちょっと不思議。

 詳しくはずっと後の章で触れます。


 しかしともあれ、二人の鹿射ち猟には、雪の存在があまり感じられません。

 「深い雑草」と「乳離れして間もない子鹿」は、むしろ逆に夏っぽい季語ですね。

 夏と冬、双方が同居した、季節感の混乱がみられます。

 まるで時間軸の狂った異次元空間のように。

 なぜでしょうか?


 ということで……


 第一章のイワノフスカヤ村は、私の勝手な直感推理によりますと……


 “当初、1941年の夏を想定して原稿が書かれたものの、あとから、半年後の1942年2月7日に日付を変更して、部分的に冬バージョンに書き直されたのではないか?”


 ……という、仮説が浮かんでくるわけです。


 まさか、とおっしゃるかもしれませんが……

 この第一章には、ほかにも、“1942年2月7日”でなく、“1941年の夏”だと想定した方がよさそうな描写が次々と出てくるのです。


 詳しくは、次章で……





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