有象無象

硝水

第1話

 手料理に指を混入させてしまったことがある。料理を出した時はミトンをしていたから気づかれなかったが、切り落とした指が元通り生えてくるはずもなく、私のからだが食べられるということはあっという間に知れ渡ってしまった。

 少しだけ味見をさせて欲しい、と何度も同じ嘆願をされ、断っても断っても、いちごの果肉と焼きメレンゲみたいな、ふにゃふにゃのからだは誰を退けることもできなかった。そして私は両の目だけになってしまったみたいで、どこかの、汚れた床に転がっていた。

「かわいそうに」

 その人は私を拾い上げて、片方(左右どちらなのかはもうわからなくなっていた)をラップに包んで冷蔵庫へ閉じ込めた。途端に世界が平面的に見えた。目は口ほどに物を言うとはいうけれど、私は、彼の手に残った方の私は、彼の濁った目をしきりに見つめたけれど、これっぽっちも何も伝わっていないようだった。彼は私を口の中に入れ、ごろごろと舐め回したからだ。くちゃくちゃと汚い音を立てながら、時々口内に差し込む光に浮き彫りになる歯は黄ばんでいるし、歯茎は爛れていて、鼻はもうないけれど、あったとしたらきっと悪臭に喘いでいたことだろう。なくてよかった、なんてこの時初めて思った。

 そしてこのまま飲み込まれてしまったら、もっと汚い内臓を通り抜けていかなくちゃならないのか。いや、そもそも噛みつぶされて仕舞えばこの思考も途絶えるのだろうか。ああどちらにせよはやく解放されたいな。しばらくして彼は私を吐き出した。マグカップに目薬を満たして、その中へ私の片方を漬ける。文字通り薬漬けだ。私は私と離れ離れのまま、時々彼の汚い口内を眺めて過ごした。そのうち冷蔵庫にいた私は腐ってしまったらしい。彼が冷蔵庫を開けても、光は見えなかった。

 目薬は苦いだろうな。一定以上の大きさの焼き魚を食べる時、多くの人は骨と頭を食べないで残す。骨も脳も無くなってしまった私は、私が右だったのか左だったのか考えている。

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有象無象 硝水 @yata3desu

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