第44話
俺やイヴは、ほっとしていた。ここでルーベルト王子まで授業を放棄してしまったら、数学の先生は怒り狂うだろう。
「……僕は、そんなことを望んでいない。学院の外のように、貴族と平民が争うなんて」
ルーベルト王子の言う通り、学院外では貴族と平民の仲はよくない。特に貴族は特権階級の意識が強く、俺たちの学院で平民に魔法を教えることに拒否感を持っている貴族も多い。今起こっているのは、貴族と平民の対立の縮図でもある。ルーベルト王子としては、この争いはどうしても止めたいようだった。
「やっぱり、行ってくる」
ルーベルト王子は勢いよく立ち上がり、教室を出ていった。数学の先生は、チョークを折っていた。残された俺たちは、どうするべきだろうかと考える。
とりあえず、ノートだけはしっかりとった。
もっとも、この授業の内容は俺も前に習ったことだったのでノートをとる意味はほとんどなかった。それでもノートを取っていたのは、数学の先生へと義理のようなものだった。
あと、貴族組はとにかく平民組のためにもノートを残しておかなければと思った。イヴも真面目にノートを取っているが、こっちは性格ゆえだろう。
酷く気まずい授業が、ようやく終わった。次の授業は魔法だったので、念のために他の生徒たちのことを見に行かないと。あと、ついでに運動できる服に着替えないといけない。着替えは寮にあるので、どうしても二組が争っている階段を上らなければならない。
「……行くよね」
イヴの言葉に、俺は引きつった笑いを浮かべた。
だが、着替えないと授業に参加できない。俺たちは覚悟を決めて、立ち上がった。魔法の授業にでるために。
暗い気持ちで寮の側まで行くとルーベルト王子が平民側に立って「僕は、どちらも選ぶことはない」と言っていた。
あの人は、何やっているのだろうか。火に油を注いでいるようにしか見えない。かかわると面倒くさそうなので、俺とイヴは植木の影に隠れていた。
「あっ、そうだ」
俺は、自分の頭に乗っているローを下ろした。
「なにすんのや」
「ロー……お前の力は生徒を驚かすためじゃない。だから、何言われても我慢しろよ」
俺の言葉の意味が分からず、ローは首をかしげている。
うん。大丈夫だ、可愛くは見えない。
「行くぞ、ロー……」
俺は、ローをぶん投げた。ローは、ルーベルト王子の顔にくっついた。
貴族と平民が仲良くしなければ、と必死に語っていたルーベルト王子に。
どんな時でさえ、良くも悪くも人目を惹く男の顔面に。
「きゃー!!王子の顔にカエルが!!」
女子生徒が悲鳴をあげた。彼女は思いっきりルーベルトを王子と呼んでいたので、彼の正体は誰もが分かっていたものだと知れる。
この場面、一番かわいそうなのはローなのかもしれない。彼は竜の子供なのだが、見ようによっては新種のカエルに見えなくもない。女子生徒は平民も貴族も一緒になって、ルーベルト王子から離れた。ルーベルト王子も気絶しそうになっていたが、意地で気絶しなかった。
たぶん。
俺とイヴは植木の影から離れて、ルーベルト王子の顔面からローを引き離す。まさか自分が自国の王子に竜の子供を投げるとは思わなかった。だが、仕方がない。
必要な犠牲だったのだ。
「二人とも、これはなんだったんだ?」
ルーベルト王子は、俺が捕まえたローを指さした。
「竜の子供」
俺の言葉に、ルーベルト王子は驚いた。そもそも竜は珍しいし、その子供となるともっと珍しい。
「ウチ、そんなにカエルぽいんか?」
ローは、珍しくへこんでいた。
あれだけカエル扱いされていたのだ。気持ちはわかる。生徒たちはローをカエル扱いしていたが、顔はトカゲのようにも見える気がする。
「カエルとトカゲが混ざったような感じかな」
俺の飾らない言葉に、ローは本気で傷ついていた。ローは自分が可愛いと思っていたのだろうが、現実は非情だ。
「喋ることができるのか?」
ルーベルト王子は、ローが喋れると分かると驚いていた。竜が人の言葉を理解していることは知られているが、実際に目の前にすると驚くことなのだろう。
「ウチ、しばらく引きこもる」
それは、俺の首には優しい。なにせ、ローは頭にのせるには重すぎるのだ。肩がこってしかたがなかった。
「ルーベルト、早く着替えないと魔法の授業に遅れるわ」
イヴの言葉に、ルーベルト王子と俺ははっとした。
急いで、部屋に戻って着替えなければ。
俺とルーベルト王子は、急いで自分の部屋に向かった。汚れてもいい服に着替えて、部屋を飛び出る。ローはさっそく俺の部屋に引きこもる気らしく、一度降りた俺の頭にのることはなかった。
階段でイヴと合流し、校庭を目指す。
「それにしても、彼らは授業に出るのかな……」
貴族と平民に分かれて言い合いをしていた、生徒たち。数学は全員がボイコットしていたが、魔法はどうなのか。
俺の危惧した通り、平民と貴族は半分ぐらいの出席率だった。その出席率悪さにフライニー先生は眼をむいた。
俺は、ああやっぱりと思った。
むしろ、半分も出席していることに驚く。俺はフライニー先生に何があったのかを説明した。フライニー先生の眉間の皺が増えた。
「全く、彼らは単位習得を甘く見ているようですね」
フライニー先生は、ため息をついた。
「では、今日は全員がマラソンだ」
この言葉に、全員が不満をもらした。前回は魔力がない生徒は座学をしていたが、今日は全員が走るらしい。俺はローを置いてきたことに感謝した。
ローを頭に乗せながらのマラソンは、非常に困難を極めただろう。魔力を持たない生徒は、自分たちまで走るのかとブーイングの嵐だったが、フライニー先生はマラソンを譲らなかった。
魔法は自分を律することが大事だ、とフライニー先生は思っている。そして、自分を律する方法を学ぶにはマラソンが相応しいと思っている。この点は俺も同意している。だが、授業でひたすら授業で走らせるのは何か違うのではないだろうか。
「この授業って、いつも走っているわね」
俺の隣に、イヴがいた。イヴは女子だが、ギギの教育方針で体力はかなりある。それこそ男子の俺とトップ争いをするほどに。この体力があるからギギは、あれだけ動けたのだろう。俺は、ローと戦った時のことを思いだしていた。
「そうだな。魔法には自分を律することが大事だって聞くけど、こんなふうに走り続けていいもんなのか?」
特にイヴは、幼体の竜に勝っている。もうちょっと難しい授業に参加させてもいいのでは、と思っている。だが、冷静に思い出すと竜を倒したのはギギだった。イヴはギギより魔法に慣れていないので、基本のマラソンは必要なのかもしれない。
「私は、どんな授業でもキロルと一緒なら嬉しいわ」
イヴは笑顔だった。
ずっと笑顔で、俺とトップ争いをしているイヴは本当に嬉しそうだった。イヴには、マラソンの授業は癖になってきているのかもしれない。
そんなふうにイヴのことを考えていたら、ゴールしていた。
結局、俺とイヴは二人そろってゴールした。その後に、ルーベルト王子が続いた。王子も城で走り込みをやっていたのだろうか。俺とイヴとルーベルト王子のタイムの差は、あまりなかった。
「よし、次は魔法を放つ練習をするぞ」
放つ、という意味が俺は首をかしげる。そう言えば皆で魔法を見せあったときに、魔法を放つことができない人間が結構いた。俺とイヴは自然に放つことができたので、この授業は意味があるかどうかと首を傾げた。
「あー、イヴとキロルはマラソンな」
フライニー先生は、俺とイヴには「できているから免除。代わりに体力づくり」と判断したらしい。俺は内心「もう走れない」と思ったが、イヴは乗り気だった。
「先生。体力をつければ、竜も倒せるようになりますか?」
イヴの質問に、他の生徒はざわめいた。竜はそれほどまでに強い相手なのである。ギギとローは戦っているが、ローが子供だから勝てたのだ。大人の竜だったら、ギギは死んでいたかもしれない。そんな相手に、イヴは勝てるかどうかを聞いてきた。
「鍛えれば、生き残れるかもしれないな」
フライニー先生は、勝てるとは言わなかった。竜と遭遇して撤退できるかどうかを考えて話しているように思える。とりあえず、そんな相手にギギはよくやったことである。ふと、俺のなかで疑問が浮かび合った。
俺は声を潜めて、イヴに聞いてみた。
「なぁ、イヴとギギってどっちが強いんだ?」
イヴは、即答した。
「魔法はギギの方が強いし……ギギには戦争の経験があるから、ギギのほうが強いと思うわ」
そう言えばギギは、元々は兵士だったことを思い出した。だったらギギに軍配が上がるのは、当然のことである。
「イヴも……強いしな」
俺は、ため息をついた。強い男に憧れる自分もいるが、イヴを守れるような男にはなれそうにもない。
「キロル……?」
イヴは首をかしげていた。その姿は可憐だが、この少女が幼体の竜より強いなんて誰も思わないだろう。
「キロルは、そのままでいいと思うわ」
イヴは、そう言った。
その言葉に、俺は心を読まれたと思った。
「何があっても、私がキロルを守るから」
その言葉に、俺は呆気にとられた。
それと同時に、イヴのことをこの世で一番愛しいと思った。俺は魔法も霧の発生しか使えないし、財産もない。それでも、イヴは俺を守るという。俺も何があってもイヴを守れる男でありたいと思った。
「俺もイヴのことを守るよ。なにがあっても」
そういうと、イヴは驚いたように目を大きく見開いた。ぎこちなく笑って、俺から顔をそらす。今のイヴはどんな表情をしているのか知らないが、耳まで赤くなっていた。誰かに守ってもらうなんて、言われたことがなかったのかもしれない。
あるいは自分でいう分には恥ずかしくないが、人に言われるのは恥ずかしいのかもそれない。まぁ、実際に戦ったらイヴの方が圧倒的に強いのだが。
「ほら、そこのカップル。もりあがっているところ悪いが、とにかく走れ」
フライニー先生に指定され、俺たちは慌てて走り出した。もう体力的に走れないと思ったのに、先生にからかわれたせいか俺たちは恥ずかしかった。それを振り切るように走ったら、先生に指定された以上の距離をいつの間にか走りきっていた。
俺たちが走っている間、ルーベルト王子は魔法を飛ばすことを練習していた。前回のルーベルト王子の雷の魔法は、途中の池に落っこちて魚を気絶させていた。今回も同じらしく、魔法はさまようように池に落ちて魚たちを気絶させていた。しかも、王子は何度も魔法を池に落とすので、魚たちには拷問に思えたかもしれない。
「どうして、僕のは的に当たらないのだろう」
ルーベルト王子は悩んでいたが、俺やイヴでは良いアドバイスをできなかった。俺の魔法は霧の発生だから的に狙ったことなどないし、イヴもギギの指導があったせいか初心者がありがちな問題点につっかかることもなかったようだ。
「もっと魔力を注いで、掌で魔法を吹き飛ばすように」
フライニー先生は、ルーベルト王子に色々教えている。だが、ルーベルト王子は中々コツを掴めていないようだった。
「僕は魔法に才能がないのかな」
ルーベルト王子は、しゅんとしてる。
ちなみに俺とイヴは走り終わったが、疲れて喋るどころじゃなかった。
「魔法は生まれた時に、才能のあるなしが決まるものだ。ルーベルトは十分に才能があるぞ。電撃事態は出しているじゃないか」
フライニー先生は、そう語った。
たしかに、魔法が使える使えないは生まれるときにすでに決まっている。魔法を発生させるだけでも、才能があると言えるだろう。本当に才能がない人間は、魔法をのものを使うことができない。
「先生……走り終わりました」
イヴは酷い息切れを起こしていたので、俺が先生に伝えた。先生は驚いたような顔をして「じゃあ、次の授業まで休んでいていいぞ」と言った。俺とイヴはそのまま木陰に座り込み、まだ走っている連中をみていた。
「やっぱり、ギギのほうが強いので。同じ顔なのに……」
イヴはギギのことを思い出して、ため息をついていた。イブとギギ、どちらが強いかという俺の疑問の続きだった。俺は、仕方がないじゃないかと思った。相手は戦争の記憶がある大人なのだ。イヴが勝てるわけがない。
「イヴは、そんなに強くなくていいよ」
イヴが、これからも公爵家令嬢としての人生を歩んでいくのだ。戦う必要などないだろう。それでもイヴは強くありたいと思っているのかもしれない。公爵を継ぐころには、イヴは大人になってギギは消えてしまうかもしれないのだから。
俺は、あっと声を上げた。
「もしかして……俺を守るためか?」
さっき話した冗談のような言葉をイヴは本気にしていた。
普通ならば、男が女に守られるなんてそうない。だが、イヴが言うとそうに違いないと思ってしまう。でも、やっぱり俺はイヴのことを守りたいと思った。
イヴは、だるそうに木の枝を取った。
「ギギは、生前は剣を使っていたと言っていたわ」
イヴの言葉に、俺は少し驚いた。ギギの魔法は、矢の形状をしている魔法だ。それを敵に数多く放つという戦闘スタイルを取っている。そのため、俺は彼のことをずっと生前も弓を使っていたと思い込んでいた。
「この時代に、剣は必要ないからって言っていたわ」
確かに平和の世の中に、剣は滅多なことでは手に入れられない。だから、ギギは弓を放つような魔法を使っているのかもしれない。そう考えればギギが剣を手に入れたら、イヴの魔法も剣のようなものになっていたかもしれない。それはちょっと見たいな、と思った。
「よーし、じゃあ今回はここで終わりだ」
フライニー先生は、そう叫んだ。結局、フライニー先生はルーベルト王子の魔法の腕を上げることができなかった。ルーベルト王子の魔法は、相変わらず池に落ちて魚は腹を見せて気絶していた。
俺たちは、制服に着替えるために寮へと帰る。そこの階段には、もうさすがに人は集まっていなかった。俺とイヴは急いで着替えて、教室に向かった。
イヴはイザベラの様子を気にかけていたが、彼女の部屋のドアを叩く勇気はなかったようだった。リコを突き放したと思われているイザベラは、渦中の人だった。そんな人間がしれっと授業に出てくるのは勇気がいるのかもしれない。
「イヴ、遅れるぞ」
俺は、イヴの手を握った。
初めて手を握ったせいもあって、イヴは嬉しそうだった。
「ねぇ、キロル。イザベラは明日には元気になっているかしら?」
イヴの疑問に、俺は答えることができなかった。この学院は退学させないので、引きこもりといっても寮にこもるだけである。イヴは、それを心配していた。イザベラがこのまま寮にこもり続けたら、どうしようかと。
「イザベラのことは、明日考えよう」
「うん……」
イザベラは、プライドが高い。明日になれば自分から出てくるかもしれない。俺は、そんなふうに考えていた。
「そう言えば、来週は入学を祝う舞踏会だったね」
イヴの言葉に、俺は驚いた。
そんなこと初耳だったからだ。
「フライニー先生がさっき言っていたわ」
走っている途中で言われた言葉なのだろうか。俺はまったく覚えていなかったが、イヴは覚えていたらしい。
「イザベラ、その舞踏会に出られるかしら。イザベラは舞踏会がすきなのに」
俺は「イザベラなら好きそうだな」と思った。イザベラは華やかなことが好きそうだった。彼女が来ているドレスもいつも華やかだったので、そうだと俺は思っていた。
「あの……その話は本当ですか」
俺たちの話を聞きつけたのか、イザベラの部屋の隣からリコが顔をだした。どうやらリコは保健室で休んでいれば治ると言われたので、自室に戻っていたらしい。
「どうしたの?」
リコに話しかけられたイヴは驚く。
イヴは貴族だが、貴族と平民の争いには参加していない。だからこそ、リコは少し勇気をだして話かけられたのだろう。
「あの……ドレスが」
その言葉に疑問を持ったイヴと俺は、リコに許可をもらって部屋に入ってみた。リコの部屋は机には、その上には切り裂かれた緑色のドレスがあった。
「酷い……」
一目でイヴは、そう言った。
「部屋に帰ったら、こんなふうにされていて……。私、家族に買ってもらった唯一のドレスなのに」
泣きそうなリコに、俺は同情した。ドレスなど高いものを平民が買うのは大変だ。男用も高いが、様々な飾りがついたドレスが付いた女性用はもっと高い。そんなドレスが刻まれたことは、心理的にも金銭的にも傷が痛む。
「私の部屋に来て」
イヴは硬い意思を持って、リコの手を取った。そのままイヴは端っこにある自分の部屋にリコを連れてくる。
「お嬢様!まだ授業ですよね!!」
イヴの部屋にいるメイドのニアは、イヴが部屋に戻ってきたことに驚いていた。
「ごめんなさい。ちょっとドレスを持ってきてくれる」
メイドは首をかしげながら、色とりどりのドレスを出してきた。様々な色合いのドレスが花弁にも思えて、俺の目はちかちかした。
「さぁ、好きな物を選んで」
イヴの言葉に、驚いたのはニアだった。
「お嬢様、このドレス一着がいくらするのか分かっているんですか?」
メイドの言葉に、イヴは首を振る。
メイドはため息をついた。どうやら、かなり高いらしい。俺も実は女性のドレスは高いという大雑把な知識しかない。男兄弟なので、仕方がないかもしれないが。
「私のお給料5カ月分以上ですね」
メイドの言葉に、イヴとリコは驚いていた。俺も驚いたが、二人よりはショックが小さかった。
「いつもは商人に好きな色を伝えているだけだから……」
イヴの言葉に、公爵家までになると商家が専用の御用聞きでも配置しているのかもしれないと思った。リコも驚いているので、きっとドレスは何も知らないリコに親からのプレゼントしてもらったものだろう。
それにしても公爵家のメイドの給料5カ月とは、女性のドレスは恐ろしい。しかも、ドレスには流行もあるのだ。彼女たちは、流行に合わせて何着のドレスを作るのだろうか。
「……さぁ、好きなドレスを選んで」
咳払いしたイヴの言葉に、リコはぶんぶんと首を横に振った。気持ちはわかる。俺もこんなドレスを着ているイヴをエスコートしなければならないと思うと胃が痛い。
「……私、無理です。こんなドレス……転んで汚してしまったらと思うと」
リコは、目を回しているようだった。
ニアは、うんうんと頷いている。こんな高価なものを誰かに貸し出してもらうなんて、俺でも嫌だ。
「でも、それじゃあ舞踏会に出られないわ。ねぇ、リコにはどんな服が似合うかしら」
ニアは、少し嫌そうな顔をした。主人のドレスを他人に貸し出すのが、嫌なのだろう。だが、主の邪魔をするわけにもいかない。
「そうですね。この黄緑のドレスはどうでしょう。リコさまの背丈にも合いますし」
何より一番安いですし、とメイドは小さくいう。それが一番大事だろう、俺は頷いていた。
「あの……私のことは本当にいいです。先生に舞踏会はいけないことは、説明しますから」
リコは控えめに、イヴのドレスを拒絶していた。
その頑なな様子が、俺は少し気になった。だが、どうして気になったのまでは分からなかった。
「では、試着しましょうか」
ニアは、自分の部屋にドレスとリコを連れていく。リコは試着を拒絶していたが、ニアには勝てなかった。しばらくすると、黄緑色のドレスを身にまとったリコが出来上がった。髪も簡易的に編み込まれていて、その分を差し引いても別人のような姿だった。
リコはうつ向いて「本当は……行きたくないのに」と呟いていた。イヴのお節介が、リコには辛いらしい。
「いい感じね」
イヴは納得したようだった。
リコは、今にも泣きそうだった。たぶんイヴの持っているドレスの中では安い部類なのだろうが、それでもリコの緊張は取れない。これでは舞踏会も楽しめないのではないかと思った。今からでもイヴに言い聞かせて、リコを舞踏会中は休ませるようにした方がいいのではないかと俺は考えていた。
「そう言えば、エスコートをしてもらえる。殿方は見つかったの?」
リコは、イヴの言葉に驚いたような反応をしていた。きっと今まで忘れていたのだろう。舞踏会に入場するには、異性のエスコートが必要不可欠だ。俺はイヴをエスコートしなければいけないし、他の平民たちはエスコートできるかどうか不安が残る。
恐らく、この行事は元々は貴族しか受け入れていない時に出来たのだろう。今は平民も入学しているから、この行事は似つかわしくないだけで。
「そうですよね。エスコートしてくださる方がいなければ、舞踏会には行けませんよね」
リコの顔色が明るくなった。
やはり高価なものを借りているというプレッシャーには、耐え切れなかったらしい。
「そのエスコートは僕が行こうか?」
こんな時に聞きたくない声が聞こえた。
俺が振り返ると、そこにはルーベルト王子がいた。
「すまないね。部屋から声が漏れていたから」
ルーベルト王子には、婚約者がいる。
イザベラだ。
リコを階段から突き落としたと言われている彼女でも婚約者がエスコートしないのは、プライドの高いイザベラには耐え切れないだろう。それこそ、本当に引きこもりになりかねない。
「リコのエスコートをして、イザベラのエスコートもすればいいだろう」
いや、よくない。
プライドが高いイザベラが、リコを許すとは思えない。しきたり的には問題はない行為だが、イザベラは深く傷つくだろう。そうなるとルーベルト王子とイザベラの仲が破局しかねない。
「あー……リコのエスコートは俺がやるよ。無論、イヴをエスコートしてから」
俺が手を挙げたのは、ルーベルトとイザベラの仲を心配していたからだ。イヴは不機嫌になったが、イヴを優先するので許してほしい。
リコの笑顔は枯れていた。
だが、このまま黙っていればルーベルト王子がリコのエスコートをしかねない。そうすれば、イザベラのプライドは大きく傷つくだろう。一組のカップルのために、俺はリコの笑顔を壊さなければならなかった。
「そうか、なら安心して任せられるな」
ルーベルト王子の笑顔に、俺は人間関係クラッシャーめと内心毒ついた。というか、大丈夫なのだろうか。未来の王子が、人間関係クラッシャーで。どうか優秀な補佐がつくように、と俺は願った。
「てか、時間!次の授業に遅れる!」
懐中時計を見て、俺は叫んだ。
俺たちは慌てて着替えて、次の授業に向かった。
俺たちが遅れたことと生徒の参加人数が少ないことに、教師は不機嫌だった。だが、俺たちはその不機嫌を直すことができなかった。
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