第28話

翌朝、俺はいつもよりもだいぶ早起きした。


 顔を洗って、制服に着替える。シャツと上着、ズボン。シンプルながらも生地が良かった。これが本物の上等なものかと感心する。おさがりとは肌ざわりからして違う。ちょっと感動した。全身が写る鏡を覗いてみると思った以上に似合っていた。


これでイヴと並び立つことができる、と思った。感度もイヴの家を訪れたが俺はいつもおさがりの服ばかりで、それが少し気まずかった。


だが、制服を着ていれば平等になれる気がした。同じ服を着てみれば、イヴが公爵の娘であることも忘れられる気がした。


俺がなぜ制服に着替えているかというと、今日が俺たちの入学式であるからだ。本来ならば半年後が入学式だが、王子の入学がしたせいもあって本日が入学式ということになった。つまるとこと入学式が早まったのは、王子の我儘だ。ルーベルト王子っぽくないなと俺は思った。


上流階級が集まる学院は、ルーベルト王子を贔屓にしたいらしい。誰もが王室にかりを作りたいと思っている。その判断に、俺の怒りは湧いてこなかった。大金持ちは大事だが、貧乏人には冷たい。この世の真理の一つだ。


階段を降りると、メイドが俺の分の朝ごはんを用意してくれていた。パンと目玉焼きだけの質素な食事だった。パンは硬いし、目玉焼きの卵は飼っている鶏が生んだものだ。


本来ならばここにスープもつくのだが、皆が起きてくる時間ではないので温めるのが間に合わなかったのだろう。


「キロル様は……本当に今日から学院に行ってしまうのですね」


 メイドのイシュラが、ぽつりと言った。


メイドと言っても、俺との年齢はそうかわらない。イシュラは家族を亡くした孤児だったが、家に来た当初は彼女は働ける年齢ではなかった。本来ならば、そのような子供は教会で預かり修道女として教育するのが常だ。


だが、厳しいと有名な修道女の生活をおくるのは可哀そうだったので、家でメイドをしてもらっている。彼女の作る料理は、どれも絶品だった。あと、綺麗好きなので家をいつもピカピカにしてくれていた。


イシュラは俺たちと家族同然だが、数年後にはきっと彼女もいなくなるだろう。兄たちがイシュラの勉強も見ているから、数年後にはもっと賃金が良いところ就職できるようになる。それを思うと、もしかしたら俺は彼女と会うのは最後になるかもしれないと思った。


「応援していますよ」


 イシュラは、そう言った。


 それは、口数の少ない彼女からの精いっぱいのエールだった。それを聞いた俺は、ガッツポーズで答える。制服の効果なのか、それとも美味しい朝ごはんのせいなのか、俺の心は少しだけ強くなったような気がした。


「キロル、まだ居るの?」


 階段から、女性の声が聞こえてきた。スリッパの足音からすると、起きてきたのは母だった。心配性で泣き虫の母に分からないように出発を速めたのに、と思って俺は肩を落とした。


「まだいるよ」


 そう返事をする。二階から降りてきた母は、俺の姿を見るや否やぎゅっと抱きしめてきた。昔は明るくて朗らかな人だったが、子供が独り立ちが成人し始めてから「寂しい」と言って泣いてばかりになってしまった。


「母さん……六年たてば卒業だし、手紙も書くから」


「それでも、親は心配するものなのよ」


 母は鼻をすすりながら、俺を抱きしめる。


「キロル」


 俺の名を呼んだのは長兄だった。父が死んでからは、この家の家長として、働いている兄だ。


「がんばれよ」


 兄は、泣いている母と俺を引き離す。兄は、俺に向かってウインクをした。この家は、自分が守ると言いたげであった。


「じゃあ、兄さん。行ってきます」


 俺は何か言いたそうな母を置いて、家をでた。家族との別れは悲しいが、明日からイヴと毎日会えるのだと思うと嬉しかった。


外に出ると公爵家の馬車がすでにいた。相変わらず豪華な作りの馬車だった。


「キロル!」


 馬車の中から、イヴが出てくる。イヴは嬉しいとばかりに、俺に抱き着いてきた。まるで犬のようだな、と俺は思った。


それぐらい今のイヴは、無邪気だった。


俺は、抱き着いてきたイヴから離れる。イヴは不満そうだったが、すぐに見送りのために出てきた俺の家族に気が付いて頬を赤らめていた。


 一方で、俺の家族もイヴの大胆な行動に驚いていた。


公爵家の娘だから、もっと大人しい淑女を想像していたのかもしれない。だが、実際のイヴは結構なお転婆だ。おそらく、ギギから悪い影響を受けているのだろう。


「あんたが、キロルの嫁なのか?」


「公爵家の人間には思えないぜ」


 失礼を恐れずに思ったことを言ったのは、いつの間にか二階から降りてきた俺の双子の兄たちである。きっと楽しい雰囲気を感じて起きてきたのだろう。


二番目と三番目の兄たちは目が細くて、狐に似た顔立ちをしている。二人とも見分けがつかないほどそっくりだ。顔立ちばかりではなく、心根まで似ている兄たちは長兄に大目玉をくらっていた。


二人とも一か月もすれば王都で軍隊に入ると言っていたのだが、色々と大丈夫だろうか。いらないことをやって首になるのは、止めてほしい。


 イヴは、こほんと咳をする。


俺と同い年の十歳だとは思えないほど、イヴは淑女として完璧な挨拶をする。さっきまで俺に抱き着いてきたのが、嘘のようだった。


「初めまして、イヴと申します。キロル様のご実家ですのに、顔を見せる機会を設けられず、申し訳ございません」


 イヴの丁寧な挨拶に、さっきまで文句のようなことを言っていた双子の兄たちが黙った。織女として作られた笑みに、誰もが文句の一つも言えなかったのだ。


「うちのキロルをお願いしますね」


 母は、涙をこらえてイヴの手を取った。


「はい。しっかり面倒を見させていただきます」


 何か波長でも合ったのか、それとも女同士でなにか分かることがあったのか、母とイヴが手をつないでいる時間はやたらと長かった。長兄が咳ばらいをしてなければ、もっと長く手を掴みあっていたかもしれない。結婚もまだなのに、嫁姑の戦いを今から始めないでほしい。


「うちの弟がお世話になります」


 長兄はそう言って、イヴに頭を下げた。慌てて、イヴは長兄に頭をあげるように言う。イヴの方が立場は上だが、将来的には長兄はイヴにとっての義兄になるのだ。イヴ的には、あまりかしこまらずにいてもらいたいのだろう。


「いいえ。キロルはしっかり者ですから、私の方が世話になっているぐらいです」


 イヴは、優雅に微笑んだ。だが、イヴの本性は俺に抱き着くようなお転婆である。俺がしっかりしなければ、と日々思っているのだ。


「イヴ、そろそろ行かないと遅刻になるよ」


 俺の言葉に、イヴはポケットから懐中時計を取り出した。


「大変!では、皆さま。今度はゆっくりお茶でも飲みに来てくださいね」


 イヴは、俺のエスコートを受けて馬車に乗り込んだ。いつものイヴより身軽だなと思っていると今日の服装が貴族らしいドレスではないことに気が付いた。


茶色のロングスカートに白いワイシャツ。裕福な商人の娘のような恰好であった。俺は、それが学院の制服であったことを思い出した。


「制服、似合うね」


 俺の方は休日の時の服装のようだが、女子の制服はどこか禁欲的でイヴには似合っていた。イヴは、俺の言葉に顔を赤くする。


「似合っているなんて……」


 赤くなっていたイヴを見て、思い出したことがあった。


「あっ、そうだ。イヴ、手を出して」


 俺はイヴの掌に、持ってきた指輪を落とした。新しい指輪をイヴはしげしげと見つめる。その様子が可愛くて、俺の頬が緩んだ。


「新しい指輪。前の指輪がきつくなっていたから」


新しい指輪も大きすぎるせいなのか、指に常につけているのは難しい。もっと大きくなっても使えるようにと思って選んだが、イヴは少し悲しそうだった。


俺は、それに焦った。そんな俺たちを救ったのは、イヴと共に馬車に乗っていたメイドだった。


「イヴ様。大人になったら、大きすぎる指輪を身に着ければいいんですよ。古い方は、首飾りにでも仕立て直しましょう」


 メイドのニアの淡々とした言葉に、イヴは顔を輝かせた。


「それは、いい考えね」


 さすがはニア、とイヴは言った。


 どうやら、メイドはニアという名前らしい。感情があまり動かないタイプらしく、にこにこしているイヴとは反対の性格のようだ。家のイシュラもそうだが、メイドは顔の筋肉を動かさない決まりでもあるのだろうか。


「もうしわけございません。挨拶を忘れていました。イヴ様につかえているニアと申します」


 メイドは俺の視線に気が付いて、自己紹介する。

 俺の失礼な言い分を読んだように、ニアは俺を睨みつけていた。何にもしていないのだが、どうやらニアは俺に良い感情をもっていないらしい。


「ニアは優秀なのよ。私の荷物を纏めてくれたのも彼女なの。私、荷物が多くて……」


 恥ずかしそうにイヴは微笑む。


 女性は荷物が多いというし、公爵家の娘ともなると自然に荷物が増えたのだろう。


「俺もカバンが二つになったもんな」


 俺の言葉に、イヴは驚いた。


「……私、カバンが五つほどになってしまったわ」


 イヴは何か余計なものまで持ってきてしまったのだろうか、と考えているようだった。だが、いくら考えても不要な荷物などなかったようだ。


「ニア。私は、いらなくても良いものをもってきてしまったの?」


 大真面目に悩むイヴに、ニアは「余計なものなんてないですよ」と返した。


「学院では舞踏会が開かれるそうです。毎回、同じものを着ることはできないでしょう。それに、アクセサリーも違うものをつけなければなりませんし。なにより、毎日のスキンケアにも多くの薬品を使っていますから」


 ニアの話を聞きながら、舞踏会用の服を一着しか持っていない自分を恥じた。しかも、それもおさがりである。女性よりもお洒落に気を使わないのが男という生き物だが、さすがに恥ずかしくなった。ニアは、ため息をつく。


「そもそもドレスなどは婚約者が送るものです。ドレスが買えないならアクセサリーの一つでも送るものです。それを安物の指輪一つで……」


 ニアは、俺にお説教を始めた。俺の実家は貧乏なので、ドレスやアクセサリーを定期的に送るということはできない。イヴには、それを説明していた。イヴは実家が裕福なため、贈り物はいらないと言っていた。俺は、その言葉に甘えてしまっていた。


 だが、ニアはそれが気に入らないらしい。俺自身が気にいらないのか、実家が貧乏なのが気にいらないのかは分からないが。


「ニア。キロルのお家が苦しいのは、知っているでしょう」


 イヴはニアを叱ったが、ニアには反省の色が見えなかった。たぶん、これからもネチネチと嫌味を言われることだろう。


「イヴお嬢様は、この貧乏人のどこが良かったんですか?お嬢様はもっと素敵なお話がたくさん来ていたのに」


 思ったより、素早く攻撃がきた。


 そう言えば、俺が行く前にもお見合い相手は何人かいたと話していた。それらが破談になった理由には、やはりギギが問題をからんでいるのかと思った。美少女が一瞬でおっさんになるのだから、破談にしたくなる気持ちは分かる。


俺は何となく、ギギは容姿に惹かれた人間を嫌悪しているのではないだろうかと思った。子供同士の婚約も嫌っていたが、貴族となればそれは当然のことであった。きっとギギの前世では、子供同士の婚約がない身分だったのだろう。


 ニアの言葉に、イヴは苦笑いした。


「他の人は、ギギが追い出しちゃったじゃない」


 やっぱりか、と俺は思った。


「キロルはすごい人なのよ。人を美醜で判断せずに、人を助けることができる人よ」


 イヴは、俺の腕に抱き着く。


 突然のことで、俺はびっくりしていた。


「それは当たり前のことです」


 ニアは、俺のことを睨みつける。


 確実に、ニアは俺のことを敵だと思っているのだろう。そうでなければ、こんなにも鋭くは睨まれない。


「ニアは、あのモンスターを見ていないからそう思うのよ。私を守るために魔法を使う姿は恰好よかったわ」


 イヴの抱き枕になっていながら、あの時のことを思い出していた。


見合い中にモンスターに攻撃を受けたのは初めてのことだったが、あの戦いで一番活躍したのはギギだろう。俺ができたのは、目くらましだけだ。それが、恰好よかっただろうか。


 何となくだが、ギギは自分を恐れない相手をイヴに押し付けたのではないかと思った。ギギもイヴも同一人物だから、それが悪いとは言えないが。


まぁ、一番の問題はイヴとギギが強すぎると言うところだろう。女の子が大活躍していると男子は何をしていいか、分からなくなるものだ。


「どうしたの?ぼうっとして」


 イヴに話しかけられた俺は、思わず苦笑いしていた。


「学院で頑張らないと思って」


 そうしないとイヴとギギには、すぐに追い抜かれてしまうだろう。そんな話をしていると学院についた。

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