第8話
俺の兄は、らしくもなく緊張していた。
俺と公爵家の娘が、正式に婚約することになったからである。同じ貴族でも家の格は、あちらの方が明らかに上。そんな天上の人々と自分の弟が婚約するとは、夢にも思わなかったのだろう。前回のお茶会だって「どうせ、成立なんてしないだろうな」と考えていたに違いない。
なにせ、公爵家は王族の花嫁に選ばれることもあるのだ。
イヴはギギのこともあるから、やんごとなき身分の人との見合いは断っていただろうが。あの軍人のようなギギが、王族の前で粗相をしそうで怖い。
「そういう訳です。兄さん……」
書類を眺める長兄をつつき、兄はようやく我に返った。そして忙しく馬車を下りると、公爵家の立派な屋敷を見てまた茫然としていた。今日の兄で大丈夫だろうか、と俺は不安になった。いつもは有能な長兄なのだが、公爵家が立派すぎて兄の心臓が持ちそうにない。
「こちらよ、お父様」
甲高い声が響いた。
イヴである。
イヴは父親を引っ張って、やってきていた。俺の兄とは違って、イヴの父親は落ち着いていたように見えた。大事な娘の婚約だが、あちらは俺の素行に問題があれば即刻解除しても構わないと思っているのかもしれない。俺は、そう考えた。そうであってくれ、と願ってもいた。
「ようこそ、我が家へ」
イヴは、可愛らしい礼を取った。
それを見た俺の兄も慌てて正式に礼をとる。俺の家は父が早くに亡くなっているので、家督を継いだ兄が俺の保護者となっている。
それからは保護者同士の話し合いとなるため、俺とイヴは別室に用意されたお茶を飲むことになった。前回のお見合い会場となった庭は、モンスターに壊された塀がまだ直せずに修理中とのことだった。
「それにしても、俺でよかったんですか?」
俺は、イヴに尋ねた。
お見合いの結果を信じられなかったのは、兄だけではない。俺も信じられなくて、就寝前に頬をつねるという奇行を繰り返していた。全ては夢だと思っていたからだ。だが、夢ではなく今日を迎えた。
「ギギが、私の将来について口をだすのは珍しいことなの。でも、言ったことは譲らない性格で……」
我儘ではないんですけど、イヴは言葉を濁した。
ギギのいうことも、やることも、イヴには止められない。そのため、イヴもギギには手を焼いているらしい。それでも、信用には値する相手ではあるとイヴは自分の言葉を付け足した。
「それに被り物からちらっと見えたんですけど、魔法を使っているときのキロル様はかっこよかったですし」
イヴの言葉に、俺は眼を瞬いた。
自分が魔法を使っている姿なんて、意識したことがない。だが、イヴはカッコいいと言ってくれた。女の子に、そんなふうに言われるのは初めてのことだった。なんだか嬉しいような、恥ずかしいような、複雑な気分になった。
「それは……その……ありがとう」
御礼を言いながら、前回から気になっていたことを聞いてみた。実は、イヴのように前世の人格を持つ人間と直接話すのは初めてだったからだ。それぐらい前世の記憶を持っている人は珍しい。魔法使いより珍しいかもしれない。
「イヴ様、ギギが表に出ているときも意識があるのですか?」
「もちろん、あるわ。私が起きているときにギギには眠ってもらうけど。その反対もあるのよ。でも、私の方が人格の優先権は上ね」
イヴは、微笑みながら答えた。
てっきり二人は意識を共有していないと思っていたが、しっかり共有していたらしい。俺は意外だな、と思った。モンスターがでたときギギは思いっきり戦っていたが、それにイヴが恐怖を感じることはなかったようだった。
「この間のモンスターは、怖かったでしょう。ギギは結構乱暴な戦い方をしていたから」
炎が付いた弓矢が飛んでいく風景は、まるで戦場のようだった。俺の国は、今は戦争をしていない。けれども戦争をしていたら、あのような光景を毎日見るのかと考えた。
イヴは、困ったように笑う。
「ギギはいつも私を思いやってくれまし、信頼しているわ」
イヴは、しっかりとそう言った。
ギギへの信頼が、恐怖を上回っているらしい。
俺は、素直に感心した。
今回の婚約が、こんなにスムーズに進んだのもギギの信頼が大きいのだろう。つまり、ギギは家族にも信頼されているということだ。そんなギギは、俺を大いに気に入っていた。
俺は紅茶を飲みながら、そのギギについて思った。彼は、公爵家に似合わない粗暴な人格だった。そのギギが気に入ったから、俺は公爵家の婿になってしまうらしい。なんとも奇妙な話だった。
俺が少し考え事をしていたせいで、少し沈黙が生まれてしまった。そのせいか、慌ててイヴが口を開いた。
イヴのこのような気遣いが、彼女がいかにお茶会になれているかを思わせる。きっと俺との婚約がきまるまでに、他の男と何度もお茶を飲んだのだろう。
彼らは、ギギに気に入られなかったのだろうか。いや、そもそもギギはイヴのお見合い話に消極的だったと聞く。ギギは、相手の顔すら見てないかもしれない。
「ギギは、私のお見合いには何も意見を言わなかったのよ。それどころか、貴族がするような子供時代の婚約は反対派だったの。小さい頃にそんなことを決めても、大人になったら性格が変わってしまうだろうって」
ギギの意見は正しい、と俺は思った。
子供の頃の性格なんて、大人になったらいくらでも変わるだろう。
だが、貴族同士の結婚は本人同士の相性はあまり加味されない。家同士力関係ほうが、ずっと大切だ。基本的に貴族は貴族同士でしか結婚をしないので、血の濃さや財力などが大事になるのだ。
俺の家とイヴの家の血が、近いということはありえないだろう。問題なのは、家同士の格が釣り合わないということだ。
だが、そこは前例がないわけではない。
強くなりすぎた家の権力を表向きは削ぐために、わざと格下の娘などを娶ったりすることもある。俺たちの場合は、コレが理由になるだろう。
「キロル様……我が家は気に入りませんか?」
突然のイヴの言葉に、俺は驚きの余りお茶を吹き出した。
我が家では出てこない高級な茶葉だったのに、もったいない。俺の失態を見た使用人たち慌てて俺が汚した箇所を拭き、新たな紅茶を注いでくれた。
「気に入らないって、俺の家は男爵で身分がすごい下なのに……」
イヴの家と比べたら、俺の家はウサギ小屋である。比べるのもおこがましいというぐらいに、イヴの屋敷は綺麗に整えられている。それに広くて大きい。俺が公爵の屋敷を見て驚くことはあれど、気に入らないという感情を持つことがないだろう。
もしかして、イヴは男爵家の屋敷というものを見たことないのだろうか。男爵が公爵と同じような館に住んでいるわけがない。
特にうちは子供が多いので養育費が大きな負担になっており、カツカツである。俺も跡取りでもないのに教育を受けることができているのは、かなりありがたいことだろう。平民であれば、よっぽどの親が金持ちでなければ教育を受けることは珍しい。希少な魔法使いを除いて。
そんなことを考えていると、イヴが不安そうな顔をしていることに気が付いた。
今まさに、イヴと俺の将来が決まろうとしている。保護者同士が話し合って、この婚約が不利益にならないかを考えているところだろう。そんな時に、不安にならない人間なんていない。
俺も緊張してきた。
「あっ、そうだ」
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