第5話:生きにくい社会 ①

 個性の強い人にとって日本という社会はかなり生きにくい世界だと言われている。確かに、海外では個性は1つの長所と言われるほど大事にされている部分だ。しかし、日本は個性という概念が壊れかけているのではないかというくらい個性を大事にしないし、尊重されない。


 その結果、一般基準の正当化が進み、それらにはまらない人たちが除外されていくのだ。すると、そのような人たちは生きにくくなり、理解してもらえる人を探し続けるようになる。私自身、さまざまな人のインタビュー記事や裁判などを見てきたが、これでは公開拷問に近いと感じる部分が多かった。


 私自身、数は多くないが、さまざまな人と交流を持ってきた。ただ、世間が思っているよりもまっすぐで、素敵な考え方を持っている。だからだろうか、一般軸で考えるべきではない。そう思うこともあった。


 今の社会ではこれらの個性や表現の自由は特定の人たちや社会的影響の大きい人しか認められていないような状況に陥っているように感じる。なぜなら、多くの人たちはどのような発言をしても多角的に共感を呼ぶことは難しいが、このような人たちは何気ない会話でも多角的な共感を呼びやすい。この差は何なのか?私は少なくともその人を応援している熱量ではないだろうか?熱量や団結力が高いとそれだけ拡散するスピードは速くなる。そのため、スポンサーや広告がつきやすくなり、一般的な運営よりもさまざまな意見などを発言することや提案投稿などをやりやすくなる。


 今は少数派の意見がかき消されて、多数派の意見が尊重されていく。その結果、少数派の意見が壊れていき、何を訴えても社会に浸透していかない。私は平等性を担保しないといけないと思っている。だからこそ、国会議員などの権力のある人、メディアなどが大々的に取り上げることでそのような人たちが生きやすい社会を作ることが出来る。


 人というのは人口の数だけパーソナル・パターンがある。そのため、ごくまれに合わない人や避けたくなる人がいる。しかし、それは“個人の問題”であり、“社会全体の問題”は社会的に解決しなくてはいけない問題である。つまり、人として生きている以上問題は起きる。しかし、個人の範疇を超えてしまっている問題には個人では立ち向かうことは出来ない。そのような事態に陥らないように社会全体で考え、それらの問題から嫌でも目を背けてはいけない。


 これは、いじめや暴力も同じだ。その人の頑張りがいじめや暴力により壊されていき、次第に自己肯定感などが低下していく。その結果、未成年でも自殺などに直結する問題に発展していくのだ。


自殺に至る理由としてはさまざまな問題の積み重ねが自分のキャパシティを超えてしまうことにより、耐えられる力を失ってしまうことだと私は思っている。今は“これが当たり前”という考えが蔓延していて、“当たり前”が出来ないことで言われた本人はその基準に対する違和感で苦しむ。

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