第4話:個性の尊重 ②

個性は生まれてから今までのプロセスで2パターンあると思っている。1つ目は生まれてから物心が付くまでに集得する“先天的主観”だ。これは、生まれてから両親や周囲の人たちから基本的なことを教えてもらうことで習得される習慣に基づいた感性だ。ここで善悪の判断に加え、人格形成に必要な行動や思考(思想)が段階的に形成されていく。私はこの段階で虐待や怒りすぎることで脳の伝達領域や脳自体が萎縮し、子供の人格が不安定になってしまうのだ。これは、発達心理学に基づいた考え方だが、私は事実だろうと思う。理由として、子供というのは生まれたばかりに時はまだ自我が目覚めておらず、両親や兄弟などが推測して言葉を掛けることが多い。そして、その言葉を覚えていく。そのプロセスにおいて虐待などの身体的暴力や過度のしつけを行うことで子供の行動意欲や記憶などに支障が出る。これは、“~をやったら怒られるという“1つの概念が彼らの思考や行動を押さえつけてしまう可能性があるのだ。もちろん、しつけなくてはいけない部分はしつけることが重要だが、やり過ぎてしまっても、親の主観を主張しすぎてもダメなのだ。


 個性がきちんと育たないと周囲に流されやすい子供になり、その影響が大人になっても残っていく。だからこそ、子供の興味・関心と社会性を同時進行に進めていくことが大事だろう。


 今は多くの人が子供のうちからさまざまなことを子供に挑戦させている。その結果、大人になってもこれらの成功体験が仕事や趣味に活かされていき、新たな発見や体験に基づいた経験につながっていくということになる。


これらの一体的なプロセスがどのような人生形成や関係構築においてどの役割を持つかは個人によって異なるが、1番は本人たちの意思決定や交友関係の在り方を示すことにつながっていく。ただ、一般的な理論のように何かにつまずいた時に相手に対して何らかの問題点を建設的に提示することではないだろうか?もちろん、本人たちは他の人と考えが違うことも認識しているだろうが、なぜ違うのか?何に基づいた考え方なのか?という表面だけでは判断することが難しい部分がある。特に、個性が他の人たちよりも飛び抜けている場合には周囲に合わせる事でストレスを感じやすくなる場合もあり、“協調性”という部分が干渉してしまう可能性もある。


 日本では“協調性”と“団結力”を求める場合が多い。しかし、全員がこれらに応えられる訳ではないし、人によってはそれらを強要されたことで堪えられない状況に陥り、他者の理解が出来ない状態になってしまう可能性もある。だからこそ、1人の考え方も1つの個性として考えることが大事だろう。これは、いじめやハラスメントをする人にも言えることだが、相手に自分の意見を強要することは“自分の方が上だ”という自意識過剰な状態になることになる。つまり、自分の優位性を乱用したこじつけになってしまう。それらに気がつかず、継続的にそれらを行ったとすると、相手はかなり傷つき、場合によっては不登校を引き起こす要因になる場合やそのまま社会不安を引き起こすことになる。日本ではこれらの行為が正当化され、今まで積み上げてきた個性を崩す引き金を引いてしまう場合もあるのだ。そして、これらの行為に対する犯罪認識が小学生の頃から芽生えていかなくてはいじめもなくならないし、ハラスメントも無くならないだろう。

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