第133話
「えへへ…」
私に向かって嬉しいような、それとも少しぎこちないようなそういう複雑な笑みを見せてくれる私だけの宝物。
その新緑の瞳に宿った優しさと爽やかさに触れた時、私は一瞬涙が出る時のように鼻の先がツーンとなってまともにその黒髪の女の子の顔を見られなかったのです。
「迎えに来たよ、ゆりちゃん。」
そんな私に何も言わず、
「お家に帰ろう?」
ただもう帰ろうとその優しい手を差し伸べてくれるその子は相変わらず愛に満ちた目で私のことを見つめていたのです。
小さくて可愛らしいお手。
細やかで色白のその手に救いのようなものを感じた私は
「み…みもりちゃん…」
その子の名前をつぶやきながら自分も知らないうちにその手を握ろうとしました。
「ダ…ダメです…!」
「ゆりちゃん…?」
でも私にその手を掴むことは決して叶わなかった。
自分の手を振り切る私の発作的な行動にその子は呆然とした目で戸惑うようになってしまったのです。
今まで私は私を説得しにきた黒木さんと長い時間を掛けて話し合いました。
その過程の中で私は黒木さんはただ純粋に私とみもりちゃんのことが大好きで私達のことを応援したいだけであることに気が付き、自分の過ちを省みることもできました。
でもそれ以上、最も大きかったのはみもりちゃんへの懐かしさだったのです。
みもりちゃんと一緒に過ごしてきた時間を思い出し、自分の気持ちを振り返る度にみもりちゃんに会いたいという気持ちがどんどん膨らんで今でも胸が張り裂けそう。
その大きな胸に抱かれて自分の痛みや苦しみも全部吐き出して癒やされたい。
私は心からそう思っていました。
「ど…どうしたの…?ゆりちゃん…」
でもだからこそ今の私にみもりちゃんの傍に帰ることはできない。
ただそう判断してみもりちゃんから差し伸べた救いの手を私は自ら振り切ったのです。
「わ…私…今までみもりちゃんに散々迷惑をかけてきましたから…だから…」
振り返れば返るほど思い知らされてしまう自分の愚かさと自分への情けなさ。
私はまた自分のせいでこの世界にみもりちゃんを再び呼び出して危険に晒したことにやっと気づいたのです。
大切で仕方がないみもりちゃんなのに、自分が守ってあげなければならない大切なみもりちゃんなのに自分のワガママでまたここに足を運ばせてしまった。
その挙げ句、
「薬師寺さん…やっぱりあなたが…」
みもりちゃんに絶対会わせてはいけないはずのあのくそったれの薬師寺にまで接続を許してしまった。
あの家でみもりちゃんがどれだけの苦しい思いをしたのか自分が一番分かっているはずなのによりによってその元凶の一人である薬師寺なんかにみもりちゃんを会わせてしまったのは一生の不覚。
私は自分の不甲斐なさに涙まで出るほど悔しむようになりましたが
「なんだ。そういうことだったんだ。」
その時、みもりちゃんはそんなこと全部どうでも良いという爽やかな表情で手を伸ばして私の手を握りしめてくれたのです。
ついに触れることができたみもりちゃんのお手。
その心が溶けてゆくような温かさに私は一瞬気を失いそうになりましたがあの時に感じた運命的なものによって前より強い確信を持つようになりました。
「迷惑なんていくらでも掛けてもいい。だって私達はもう「婦婦」なんだから。」
っと取り合った手を引っ張って一気に私の体を自分の方に引き寄せたみもりちゃん。
今の私がそうしているようにみもりちゃんもまたあの時のことをずっと大切にしていたことをあの時、私は自分の身を持って確信するようになったのです。
全身で伝わってくるみもりちゃんの体温。
その熱さに溶け込んだ私への想い。
それこそ自分が願ってやまなかった、黒木さんが話した自分だけの「楽園」であることに気づくまでそう時間は掛かりませんでした。
「みもりちゃん…」
あのくそったれの薬師寺がすぐそこにいるにも関わらずただひたすら私に自分の想いをぶつけてくるみもりちゃん。
私はやっと気づいた自分の本当の幸せを腕で抱え込みながら何度もその幸福さに浸るようになってしまったのです。
両腕から伝わってくる鼓動。そして安心感。
この再会に喜んでいるのはただ自分だけではないということを私は触れ合ったみもりちゃんの体からの合図で分かるようになったのです。
「おかえり。ゆりちゃん。」
そしてそう言ってくれる彼女に
「…はい。あなた…」
自分の帰りを知らせ、自分の過ちを許してもらった時、私は結局それまでなんとか堪えてきた涙を大好きなみもりちゃんの前で溢してしまったのです。
結局私はみもりちゃんのことを完全に自分のものにすることはできませんでした。
この地獄で生き残って自分の願いを叶え、みもりちゃんとの二人だけの「楽園」を築き上げようとした自分の野望はあっけなく打ち砕かれてしまった。
でも私は決して自分の選択が間違ったとは思いません。
「みもりちゃん…」
それ以上、私はずっと大切なものを知ることができましたから。
みもりちゃんは私に所有されていたわけではない。
こんなみっともない私のワガママすら愛しく思い、ずっとずっと受け入れていてくれた。
私はようやく黒木さんの言った言葉の意味が分かるようになっていたのです。
「私、これからもっともっとみもりちゃんのことを愛していきますから…
だからどうかいつまでもお傍に私のことをいさせてください…」
「うん。もちろん。私もずっとずっとゆりちゃんのこと、大好きだから。」
っと泣きわめく私の頭を撫で下ろしながら生涯の誓いを結んでくれるみもりちゃん。
「じゃあ…これからもみもりちゃんのパンツ、スーハースーハーしてもいいんですよね…?
おしっこ飲んでも、汗取りパッドを吸っても怒らないんですよね…?」
当然そのチャンスを決して見逃さない私はその機に乗じていくつかの保管をかけようとしましたが
「え、なにそれ。私のおしっこ飲むなんて初耳なんですけど?」
それが逆に自分の隠密な趣味をここの全員にばらまく徒になってしまうことにはまだ気が付かなかったのです。
「ゆりちゃん…それはばっちいから止めた方がいいと思います…」
っとすごく気まずいって顔でみもりちゃんの後から登場したのはどういうわけかこんなところまでみもりちゃんについてきた同好会のみらい先輩。
そんな先輩からの忠告にみもりちゃんは当然「ばっちいとか言わないで…!」って反論しましたが私は当分「聖水」摂取を止める気はなかったのでその忠告のことをあまり気に留めないようにしました。
「良かったんですね。緑山さん。」
「黒木さん…」
いつの間にか私とみもりちゃんの傍に近寄って嬉しそうな顔をしている彼女を見て
「クリスちゃん…!?なんでここに…!?」
さすがにみもりちゃんはすごく驚いてしまいましたが
「みもりちゃん、ここは後で私から説明しますから今はちょっと。」
その前に私にはどうしても彼女に言わなければならないことがあるため、その答えは後ほどこちらから改めてすることにしました。
「黒木さん。」
「はい?」
みもりちゃんの中から離れて気を取り直して彼女の前に立った時、私は既に自分のやることを知っていました。
「今まで誤解していて本当にごめんなさい。そして私達のために頑張ってくれて本当にありがとうございます。」
ただひたすら心を込めて謝って彼女の働きに感謝してお礼を言うこと。
よそから見たらなんてことでもないかも知れませんがこの私が他人に頭を下げることなんて少なくとも自分自身にはどうしても容認できないあるまじき行為。
それを承知の上で私は自ら頭を下げて誠心誠意の謝罪と感謝を彼女に表そうとしていました。
そしてその一言に込められている私の真心をただありのままで受け入れてくれた彼女は
「どうかお幸せに。」
ただ純粋に私とみもりちゃんの幸せを心から祈ってくれるだけでした。
「それでまだここに残りたいと思いますか。」
っともう一度私の意思を問う薬師寺。
彼女は自分から一本でも取れたら自分一人で上を納得させて私がここに残るようにしてくれるそういう約束をしましたが
「…もう良いですよ。見れば分かるんじゃないですか…」
自分の本当の「楽園」を手に入れることができた私にもはや彼女と戦う理由はどこにもありませんでした。
「この人…もしかしたら…」
その時、私はふとこう思うようになりました。
この一連の件全て彼女の仕組んでいたことではないかと。
でもあまりにも非現実的な、彼女が「大家」の切り札「死神」の「
「こ…これってやっぱり薬師寺さんが私達のために用意してくれたことなんですか…?」
みもりちゃんがそう言うまでには。
去年みもりちゃんがここに来た時、私はずっとそのことに大きな疑問を持っていました。
どうやってみもりちゃんがここに来られて何のトラブルもなく私に会えたのか。
あの時はみもりちゃんが私のことを探しに来てくれたのが嬉しすぎてすっかり忘れてしまいましたが一体みもりちゃんは私のところまで何の事故にも巻き込まらず無事にたどり着けたのでしょうか。
「これはいわば
その返事が聞くまで私は察することさえできませんでした。
初めてでした。
誰にも自分のことを明かさないあの死神が初めて自分の心を言ったのは。
それがただ彼女自身が未だに主として認めているみもりちゃんへの仕える者としての道理としても私は初めて見る彼女の姿に大きな驚きと戸惑いを禁じえなかったのです。
触れるだけで命を取られてしまいそうな禍々しさ。
その負のオーラを纏って死神の袖を振ってきた彼女の心のたった一人の主。
肝心なみもりちゃんは彼女のことを心から受け入れなかったんですがきっとこのことでみもりちゃんの中での彼女への考えが少し変わったかも知れないと私はふとそう感じました。
「これくらいできなければ異なる種族が交わることなんて夢のまた夢。
もしお嬢様が怯えて逃げてしまえばそれだけの意志に過ぎないということ。
だがあなた様は逃げることも、誰かに投げ出すこともなく自ら勇気を出して自分の一番大切なものを守るためにここに来た。
外道のために自ら身を投げて勇気を出あなた様はやはり我々の「大母」にはふさわしくありませんでした。」
っとみもりちゃんのことを決して「大家」の後継者として受け入れないと彼女はきっぱりそう言いましたがそれは単なる失望ではなく安心と感謝の気持ちであることを心のどこかで感じ取った自分。
薬師寺はみもりちゃんにただ「大家」の後継者に対する家臣としてではなく他に何か特別なものを抱えているのではないかと私はそう思ってしまいました。
初めてみもりちゃんがここに来た時も、ここまでの道を教えたのも、そして今回わざとみもりちゃんを再びここに誘き寄せて私に導いたのも全てが彼女の計画。
一体何のために、その真偽すら私達は計れませんでしたが
「あなた様のようなお優しい方は決してこちらの世界におられてはいけないともう一度確信しました。
こ薬師寺はそんなお嬢様のことを尊敬し、羨ましく存じております。」
きっとその時だったと思います。
「薬師寺さん…」
みもりちゃんが彼女のことをあまり怖がらなくなったのは。
それが薬師寺個人の考えなのか、それとも「大家」の親玉、みもりちゃんの祖母である「
それだけははっきりとは言えませんが私は少なくともあの時だけは彼女が嘘をついているとは感じられなかったのです。
「あ…あの薬師寺さん…」
っとみもりちゃんは震える声で彼女に何か言いたいことがあるように話を掛けましたが
「それでは私はこの辺で失礼させて頂きます。お嬢様、どうかお幸せに。」
彼女はその最後の一言を残して二度とみもりちゃんの前にも、ここにも現れなくなりました。
寂しさも、名残惜しいという気持ちの欠片も残さずそうやって彼女はまるで幽霊のようにこの世界からその姿を消してしまいました。
でも私達は決して気づきませんでした。
「私の主はこの世にたった一人、この奥におられるあの御方のみです。」
再び現れた血まみれの彼女が片手を失ってもなお命をかけてみもりちゃんのことを守ろうとすること。
そして彼女が「大家」を裏切ることも。
「私には最後までできなかったこと。それを迷いなく行動に移すことができるお嬢様のことをこの薬師寺は心から尊敬しております。」
そう言った彼女はみもりちゃんのために最後の命の炎を燃やし尽くしました。
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