第116話

「後悔は…しないんだな?」

「はい。」


半年ぶりの帰り。

そんなに長く離れていたわけでもないのにここと私がいた普通な社会との距離をこんなに遠く感じるとは。

まるで別の時間が過ぎていたようにここだけはまだ淀んで全てが止まっている。

表の社会は瞬きの瞬間ですらあっという間に凄まじい発展を遂げ、進化を重ねているというのにここだけは混沌の渦巻きに飲み込まれて膿まれ、爛れている。

でも私には知ってます。

この一糸の希望の光もないこここそ自分の願いを叶うことができる「悪魔の壺」であることを。


徹底的に表の世界から引き離されて排除された否定の地。

「死んだ時間の町」、「人食いの井戸」、「悪魔の壺」などのいくつかの異名を持ったこの異常な場所の本当の名前は「伏魔殿パンデモニウム」。

私、「緑山百合」が「怪物」として生まれ変わった場所なのです。


力こそ正義。

この混濁な世界で通用されるのはただそれだけ。

散りの紛いのように絡み合っている百鬼夜行の中で生き残った者達だけがこの裏の世界で全てを手に入れる。

どのような願いであろうとも悪魔は必ず我々が支払った「魂」という代償に報いてくれる。

それがこの「伏魔殿」のたった一つの真実です。


「神樹様」の慈愛の光は決して届かない汚染された暗黒の土地。

今は「影」と呼ばれて表の世界ではその名前を口にするだけで処罰されるほど世界政府はあらゆる手を尽くしてここの存在を隠蔽しようとしています。

「神樹様」によって皆がお互いのことを愛し合う世界で住むことになりましたがここは存在だけで「神樹様」の愛の精神を否定しまいますので当然でしょう。

でも私はこの汚れた世界が大好きで仕方がなかったのです。


何故ならー…


「だってここは私の願いを叶えるにあたって最も手っ取り早くて一番確実で手段ですから。」


私は自分のせっかちな気性にこの世界が実にふさわしいと思いましたから。


私が再びこちらの住民になるために必要なのはまず今、


「でもまさかあの「怪物」が自分の足で帰ってくるとはな。」

「そうだね。」

「…」


私の目の前に集まっている8人の「ベルセルク」の許可を得ること。

彼らはこの「伏魔殿」と呼ばれる「影」の支配者でここの全てを管理する「ベルセルク」でした。


人が集まれば望まなくても規則ができる。

ここはもはや原生生物や得体の知れない生き物達だけが混ざり合う無秩序の混沌ではなく力という最も原始的な手段によってそれなりの社会が成り立った巨大な裏世界でした。

あらゆる悪が集まってその中で生き残った闘士だけが全てを手に入れる。

外の世界にも莫大な影響を及ぼすその頂点の闘士をここの住民達は「狂戦士ベルセルク」と呼んでいます。


私が離れてから誰一人抜けたり、入れ替わったりすることもなく全員が着実に自分の「ベルセルク」としての地位を維持している。

特にこの「ベルセルク」の中でも親玉役を務めているのが


「お前はまだ正式にここでの生活を精算したわけではない。よって復帰に特に問題はなさそうだが一応お前もまた我々のような「ベルセルク」の一人だ。

話は内部の審議を通ってからだ。」


この「魚人」、「海王」「クトゥルフ」さんです。


無慈悲に相手を引きちぎる苔色の8本の触手。

その中から不吉に光っている真っ赤な眼光。

彼は遠い昔「神族」や「酒呑童子」のような神話的な存在として海の全てを支配した「クラーケン」の末裔であるクトゥルフさんです。


全盛期時代には相手が誰であろうともその8本の触手と「海撃拳」という名前の古武術で完膚なきまでに叩き潰したという百戦錬磨の闘士なんですが私が来た時はもう結構歳を重ねて殆ど事務的な仕事ばかりでしたからあまり戦うところを見た時がありません。

でも未だに「ベルセルク」としてその座を守り固めているところを見ると年を取ってもここで彼に適う相手はそうそういないようです。


「まあ、いいんじゃねぇっすか、旦那。こいつ、自分で来ましたから。」


その隣で私の復帰について割りと賛同の念を示す灰色の狼「獣人ビースト」のは「悪魔」「犬神いぬがみ」さん。

「獣人解放運動」というテロリスト集団の頭領である彼は世界的に有名なお尋ね者であって今も世界政府から莫大な懸賞金が掛けられて追われている。

彼の取り巻きは自分のことを「崇高たる革命家」と呼んで崇め奉っているが私はやっぱり彼の好戦的で残忍な性格までは肯定できません。


「でも決めるのはいぬちゃんだけじゃないから。それに私はやっぱりゆりちゃんにはもうこっちに来ないで欲しかったかな。」


その横から入ってくる私の復帰への反対意見を出してくるちっちゃくて愛らしい赤いポニテールの少女。

彼女こそ神界最凶種族「魔法の一族」、その中でも「赤座一族」と言われる「赤座組」を率いている最強の「魔法少女」、「怪鳥」「赤座あかざすずめ」さん。


私とは年が近かくて私が初めてここに来た時からよく世話を焼いてくれたここでの妹さんみたいな人なんですがこう見えても彼女は可愛い見た目と違って一応筋金入りの裏側の住民。

特に「黄金の塔」の汚れ役として長い間、神界の裏世界を支配していた組織のボスなのです。

世界政府の登場以来、大分勢力が弱くなって今は過去の栄光だけが名残として残っている廃れかけるヤクザ崩れと言われていますがすずめさんは組織の存続のために色んな方法を試しているんです。


去年みもりちゃんを取り戻すという目的を果たしてここから離れた時、


「ゆりちゃん、もう行っちゃうんだ。でもここはゆりちゃんみたいな子が来てもいいところではないからこれで良かったかもね。

どうかそのみもりちゃんとお幸せにね?」


他の人よりずっと寂しそうな顔をしていたすずめさん。

彼女はそれだけ私のことを実の妹さんのように接してくれたのです。


「どうして帰ったの?ゆりちゃん。私、言ったよね?ここはゆりちゃんには似合わないって。」


だから彼女の私に対しての怒りたいという気持ちも今の私には分かります。


でも私は自分の選択を後悔していません。

私はここの力を借りてもみもりちゃんとの二人だけの楽園が欲しいだけ。

誰からの侵入も許さない不可侵の領域。

外では決して手に入れないその場所を私はどうしても欲しかったのです。


「まあまあ、せっかくゆりちゃんが帰ってきたんだから笑顔で迎えてあげようよ。

でも私も本当はすずめちゃんと同じ考えかしら。連れてきてなんだけど。」


っとこの期に及んで何を言っているのかと思わせるこちらの「ダークエルフ」の名前は「女帝」「エミリア・プラチナ」さん。

再び私をこの地の底に連れてきた彼女はかな先輩と同様の「事象能力」の使い手ですが神界ではこれを能力ではなく「権能」と呼んでいるんです。

神から与えられた選ばれた祝福の能力と神界では「権能」の持ち主をとても吉な存在として崇めているのですが残念ながらエミリアさんの待遇はそんなにいいものではなかったらしいです。

奉られるところか彼女もまた世界政府に、そして特に「ハイエルフ」の「プラチナ皇室」から直々の指名手配が出されています。

彼女の協力がなかったなら私はもうこちらには戻ることができなかったので私は彼女にすごく感謝していますがどうやら彼女もすずめさんと同じく私の復帰をあまり望まなかったらしくて少し寂しそうな気分です。


「でもまたゆりちゃんと再会できたのは確かに嬉しいわよね?そうでしょう?「ガイア」さん?「鬼丸」さん?」


っと向こうに座っている二人の「ベルセルク」に私との再会の感想を聞くエミリアさん。

褐色の肌と長い耳、何故か会長のことを思い出させるきれいなプラチナブロンドの彼女のことを私はほんの少しだけ見惚れてしまいました。


「…」

「…」


でもその二人から私の復帰に対する感想はたった一言も返ってこなかったんです。

私のことについて何も感じたことがないわけではありません。

その二人はここの「ベルセルク」の中でも特に口数が少ない無言の二人であることを私はよく知っていました。


「…ふぅ…」


っとタバコに火をつけているこちらの大きな体のどっしりした人はクトゥルフさんに次ぐ年長者である「ゴーレム」の「覇竜」「ガイア」さん。

すずめさんと同じ神界の「ゴーレム」のガイアさんは獣人の人権回復のために活動したいぬがみさんと同じく「ゴーレム」の人としての権利を取り戻すために世界政府を相手に武力を伴った抗争を繰り返したことで世界政府から指名手配された人物です。

彼のおかげで「罪の一族」と呼ばれるゴーレムの生存権は大分保証されることになりましたがその過程でたくさんの人々が犠牲になってしまってもし世界政府に捕まったら死刑を免れないと私はそう考えています。


でも彼はいつか私にそう言いました。

いつか時が来たら自分の足で出頭して今までの罪を償うつもりだと。

たとえそれが死として償うことになっても自分はその事実さえ謙虚に受け入れると。


「お…鬼丸さん?どちらへ?」


そしてただいま部屋から出て行った般若のお面を被った黒ずくめの人こそこの「伏魔殿」と呼ばれる「影」の最強「剣鬼」「鬼丸」さんです。


小さな体に一見大したことではなさそうに見えるかも知れませんが鬼丸さんはクトゥルフさんよりも遥か昔にここにたどり着いてあっという間に頂点まで上り詰めた人です。

あの獰猛な原生生物さえ彼女のところには決して近づかない。

本名、種族、年齢、何一つ知らない謎だらけの人なんですが私が初めてここに来た時、彼女は私にこう話してくれました。


「お前は強い。お前のその好きという強い気持ちはきっとこれからのお前の人生そのものを変えていくだろう。

だから絶対死ぬな。最後まで生き残れ。誰も悲しませないように強くなれ。」


そう言ってくれた彼女もまたその強い想いを抱いてここに来たんだろうと私は彼女との間に密かな絆を感じるようになりました。


でも鬼丸さんとの会話はそれっきりでそれ以来、私は一度も彼女と言葉を交わしたことがありませんでした。

彼女は普段深いところにいてあまりこっちみたいな表層までは来ないんですから。

今日は私の復帰についての議論があって特別にこっちまで来ただけですが彼女は普段大抵のことは全部クトゥルフさんに委任していてあまり誰とも関わりを持たないようにしています。

そして今回もまた彼女は私に何も言ってくれず、そうやって部屋から出てしまいました。


現在私の復帰について反対意見を出したのはすずめさんと彼女の意見に同調したエミリアさんだけ。

でもエミリアさんは直接反対する気はなさそうですしこの調子なら私の復帰は滞りなくー…


「もう着いてましたか。遅くなって申し訳ございません。」


その時、私は扉を開けて部屋に入ってくるその女のことに直感しました。


「お久しぶりです、お嬢様。」


嫌な声。

まるでムカデが耳の中に這い上がってくるような不気味な声で私に挨拶を交わしてくる官服の女。


「何でしたっけ。ああ、お嬢様の復帰の件についての話し合いでしたっけ。」


ためらいもなく私のことを「お嬢様」と呼んでくるその女こそ今回私の「影」の復帰において


「なら私に聞く必要もありません。聞くこともなく私は反対ですから。」


一番の壁となることを。


数年前、突然「影」に現れてその場で4人の「ベルセルク」を切り裂いてあっという間に新たな「ベルセルク」になった規格外の化け物。

そして目的を果たしてから何年も顔も出さずにただ名前だけでここの支配していた黒髪の仮面の女。

今この時代で生きている人間の中で最も強い人間と言われている彼女の名前は


「薬師寺さん…」


薬師寺やくしじ天真てんま」。


彼女は最も死に近いと言われているここ「影」で「死神」と呼ばれている「死の執行者」であり、


「これはここでの「大家」の全ての権限を任さられている私の命令です。」


鬼丸さんでさえ逆らうことができない後ろ盾の一人だったのです。


誰もが自分のようにそれぞれの事情と色んな望み、欲望を抱いてこっちに集まってくる。

訳アリの化け物達の中でもこの黒い死神の存在は特に異常なものだったのです。

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