第87話

私のことを昔と変わらず愛しているというあなたの話。

その愛しい唇で未だに私のことを「なな」と呼んでくれるあなたの優しさがどれだけ私を傷つけたのか多分あなたには分からないでしょう。

私との繋がりを失いたくないその気持ちは涙が出てしまうほど嬉しくて切なくて。


ですがやはり嬉しかったと思います。

心が狭い自分にはもうあなたを理解することも、許すこともできないがあなただけは依然として私のことを思い続けてくれている。

その事実がどうしようもなく嬉しくてきっとあなたから言ってくれた「愛している」という話は私にとって特別に感じられました。


二度と味わうこともできないと思った喜び。

でも私は


「あなたと話すことなんて微塵もありませんわ。」


あなたから頂いたその喜びを吟味する暇もなくそのまま部屋から出ようとしました。


そんな私の腕を


「待って…!」


あなたは慌てて強く掴みかけました。


巫女様から頼まれて最後のチェックのために入ることになった式場の裏にある倉庫。


「私はこれからシスターのところに行かなければなりません。そろそろメンテナンスも終わるところですし。」

「分かりましたわ。そういうことでしたらこのわたくしにお任せくださいませ。」


最後になった式場の最終チェックまではきちんと済ませてからそちらへ向かいたかったという巫女様。

姉思いの巫女様はよほどシスターのことがご心配のようで私は代わりに自分からやっておくと彼女を安心させたしたが


「こういう計画でしたわね…」


まさかこれが全員がグルになって仕掛けた罠だったとは思いもしませんでした。


最終チェックとはいえやることはあまりありませんでした。

PRの撮影の準備は巫女様と青葉さんが大体やっておきましたし私にやれることなんて精々衣装や小道具のチェックくらいでした。


「これはよしっと…」


リストから抜けた備品はないか、保管状態は良好なのか、私は細心の注意を払ってくまなく最終の確認を進めました。


つい最近改築が終わって割りときれいな倉庫の内部。

品達も巫女様が思いを切って新調した新品で何もかも全部ピカピカ。

吸血鬼には古いものにこだわるという習慣がありますがさすがに新品っていうのはいいものですねと私はそう思いました。

何よりこの全てがこれからたくさんの人々の未来を祝福する役目を担うと思ったら自分も知らないうちに作業に力が入ってしまいました。


「いいですわね…」


でもその羨む気持ちだけは抑えきれませんでした。


いつかあなたが言いましたよね?

私に着させてあげたいって。

私もずっと夢見てたのです。

あなたと一緒にあなたが欲しい世界一の素敵な結婚式をぜひ自分が叶えてあげることを。

そしてその傍にいるのはいつだって自分であることを。


だから先見た白無垢が今もこんなに目に焼き付けられて忘れられているのでしょう。

それこそきっと自分の憧れの一つだったから。


魔界にはこういう諺があります。

「開けるまでは望み、開けた後は呪い」。

始まりの魔神「パンドラ」が自らこの世の理の全てが詰め込まれていた箱を開けてしまった時の話です。


開けるまでは希望に満ちた彼女。その箱にはこの世の真実が入っているという話を聞いた彼女は箱を開けることで枯れて荒れた魔界を人が生きられる場所に変えようとしました。

だがその箱を開けた瞬間、そこから飛び出したのはただの混沌。

あっという間に溢れ出したそのどす黒い混沌はこの世界を飲み込み、破壊しました。


彼女は自分の行動を後悔しながら泣いていましたが箱の一番の奥側から何か光っているのを見つけました。

それは「希望」という最後の一欠片。

割れて壊れた儚くてあっけないほど弱かった光でしたが彼女はその希望をかき集めて我々を作りました。


この話が後代に使えたかったのはただの絶望ではありません。

たとえ心が挫けそうになるほど絶望してしまっても最後の希望は必ずあるはず。

その希望は私達が再び立ち上がれる力を与えてくれるということです。


あなたと別れた時、私はついに自分がパンドラの箱を開けてしまったことに気づきました。

あなたとの出会いという箱に深く関わりすぎて善かれと思ったことが逆に仇になってしまった。

全ての絶望が溢れてもう自分に何も残されていないと思った瞬間、倒れたあそこから手に握ったのはあなたとの最後の約束。

その儚い欠片だけを当てにして微弱ながらも私はもう一度立ち上がることができました。


だが自分はもう限界。

その臨界点に近づいていることに気づいた時、私はあなたとの約束のために急ぐしかありませんでした。


長年の日光での生活。

そしてあなたという支えを失ったことで負ってしまった心の傷。

私はもう身も心もぐちゃぐちゃのぼろぼろ状態なんです。

最近は頭の判断すらあやふやになってきてもう自分が何をしたいのかさえ忘れてしまって正直に言ってあまり正気ではありませんでした。


なのにいきなり私がいる倉庫にあなたが現れて


「ちょっとだけでいい…!ちょっとだけ私の話を聞いて…!」


そんな切なくて苦しそうな顔で自分の話を聞いてくれって頼むなんて…

何度思ってもあなたは本当にずるい人です。


「放しなさい…!」

「放さない…!」


当然あなたの話なんて聞く気もない私はあなたの手から離れるために暴れてそんな私とちゃんと向き合うためにあなたはより強い力で私の手を掴みました。


触れ合った感触。

一体いつぶりのあなたとの触れ合いなのか。

でもそんなことも気づけないほど興奮していた私は


「放して…!」


何も考えずただ一刻も早くあなたの手から離れるためにジタバタ暴れるだけでした。


夕方とはいえ吸血鬼とただの人間の間には圧倒的な差がある。

あなたが超能力者として目覚めたのは承知の上ですがたかが人間。

素手で車のタイヤも引きちぎれる吸血鬼には到底敵えません。


でもどうしてなんでしょう。


「お願い…!なな…!ちょっとだけでもいい…!話を聞いて…!」


あなたがそう言いながら私のことを抱きしめた時、私はこれ以上何の抵抗もできなくなってしまいました。


久々のあなたの体温。

体中を包み込む温もりに心までほぐれていく。

張り付いた寒さが一気に解けて新しい命が芽生えてくる穏やかな気分。


そしてその中で私が一気に息を吸い込むと


「あなたの匂い…」


懐かしい香りが私の今までの苦労をねぎらってくれる。


ぽかぽかとしたお日様の匂い。

日光を恐れてその温かさを全く知らない私だがこの温もり、そしてこの匂いがどれだけ人々に元気を与えるのかよく知っている。

きっとそれは私があなたからもらった元気と同じものだから。


いつの間にかどうでもよくなってきた気分。

間近のあなたの息吹があまりにも甘くて到底離れなくなったんでしょうか。

まあ、どっちでも構いません。


今はただ


「あなた…」


ずっと一人で頑張ってきた私のことを慰めてくださいませ。


不思議な気分でした。

あなたのことが憎くて恨めしくて顔を合わせることすらあんなに嫌だったのに今こうやってあなたに抱かれているだなんて。


甘酸っぱい汗の匂い。

そして触れ合ったあなたの大きな胸から伝わる激しい鼓動。

少し焦っているのでしょう。

そういうばあなただってこういうの、いつもガラじゃないって言ってましたね。

自分は王子様みたいな存在じゃない、ただの私と同い年の女の子だって。

きっと心ではぎこちなくて向いてないと思っているのでしょう。

でも私はそんなあなたが好きで好きでたまりませんでしたから。


「もうちょっとこうしようか…?」


っと少しだけこうさせて欲しいというあなたの言葉はどうしてこんなにも心地よいものなのか…


「よ…よろしくてよ…?」


そんなあなたに私は普段の「嫌」が出てこなかったのです。


***


「どうして気が変わったの?」


倉庫の裏側に隠れている巫女ルビーの方に向かってくる一人の女声の声。

彼女の質問に巫女は口に加えていたキセルを外して


「ただの気まぐれです。」


単純で自分が考えても理にかなわない答えを彼女に差し出してしまった。

その答えがあまりにも彼女らしくなかったと思った女性はただクスッという軽く笑いで言い返した。


「優しいのね。ルビーちゃんは。」

「冗談でしょう?」


優しい。

彼女は自分のことを他人からそう言われるのがあまり好きではなかった。


「私はちっとも優しくありません。」


再び加わるキセル。

「オーバーロード」は「アンドロイド」は精密機械なので喫煙は控えるように命じている特に禁止まではしていない。

故に巫女は「オーバーロード」の意思に逆らわず喫煙を楽しんでいるがアンドロイドの中で唯一の喫煙者は彼女しかなかった。


香ばしい匂い。

グッとくる吸いごたえ。

なんとしても生きている人間と似たようなアンドロイドが作りたかった「造物主」が取り付けた疑似感覚と疑似神経。

そのおかげで本物の生き物ほどではなくてもある程度の感覚が味わえるようになったアンドロイド。

だが自分達の生きる目的が戦争で勝つため人々を殺すことに変わった時、アンドロイドは自分達は決して生き物にはなれないことに気づいてしまった。


たくさんの生命を自分の手で殺してきた。

大人や男だけではなく女子供見境なく殺してきた。

繰り返す戦闘。その中で仕込まれたプログラムのせいで罪悪感というものが薄くなってきて心まで兵器になった。

だがそれでも自分の心を保つことができたのはたった一人、


「私はただちょっとだけあの子のことを思い出しただけです。」


いつも人を殺すことに苦しんでいた優しい妹、「黄玉トパーズ」が自分の傍にいてくれたおかげであった。


母たる「オーバーロード」はもう忘れるように命じた愛妹。

だがいくら時間が経っても姉妹達は末っ子のことを密かに思い描き、再会の日を待ち続けていた。

姉妹達はたった一度も生き別れの妹を忘れたことはなかった。


「いつかあの子は言いました。もし戦争が終わったら自分は聖職者になって人々の安寧と幸せのために祈りたいっと。」

「そうだね。」


怖がりで弱虫で姉達に比べたら半人前に過ぎなかった情けない妹。

だが改装以来誰よりも大勢の人を殺してきた妹。

「ブラフマーストラ」と呼ばれた自分、そして「天羽々斬あめのはばきり」と呼ばれた姉の「サファイア」。

だが敵にとって生きている恐怖と呼ばれた「グングニル」はその妹のことであった。


どこへ逃げても必ず見つけ出して仕留める邪悪な虐殺兵器。

その残酷さと凶暴さはまさにこの地に住んでいる全ての命を消し払いに来た悪神であった。


そんな妹が最後に願ったのは神に仕える聖職者になってこの世の平和と人々の安寧を祈ること。

だが妹は志半ばでこの世界から消えるようになってしまった。


そしてそれはその同時に彼女の姉達にとっても未来への道標となった。


「終戦後、私達がそれぞれ聖職者の道を選んだのは全てあの子のおかげ。

あの子のおかげで私達はようやく生きる存在として自分の心を持つことができました。」

「ええ。」


同感する女性。

彼女もまた自分達を未来へ導いてくれたこの気高い心に感謝の気持ちを抱いていた。


「だから先の赤城さんの顔を見た時、こう思ったのです。もし私ではなくあの子だったのなら今の自分のような行動をするのかと。」


ただななのことを心配した上で強行しようとした本国への強制送還。

たとえ自分のワガママで彼女から憎まれても謙虚に受け入れ、残った一生を送るつもりであった。


だがふと巫女は思った。

これが本当に妹が望んだ本当の安寧なのかと。


「そう思ったら急に自分が恥ずかしくなったんです。

このままこの子を本国へ送り返したらきっと中黄さんとの関係はそこで綺麗さっぱりおしまい。

これが本当にあの子が聖職者になって成し遂げたかった平和と安寧なのかと思ったら…」


だから巫女はななをかなと二人きりにするためにわざと倉庫の整理を頼んでそこにかなを向かわせた。

これでダメならなんて思ったことがないほどの確信もあった。


「中黄さんは強い。今日の彼女ならきっと大丈夫だと青葉さんがそう言いました。

私は彼女のことを信用していて彼女を信じて自分からも勇気を出してみようとしただけです。」


人の本質を見抜くような深い目。

その眼差しに惹かれて自分も気づけないうちに彼女のことを信じ、そして彼女が信じているななとかなを信じて勇気を絞り出した巫女はまもなくそれが初めから仕組まれていたうみの作戦ということに気がつくようになった。


「…初めから何もかも全部知っていましたね、あの人。参りました。」


まんまと騙された自分のことが滑稽で呆れそうに笑ってしまう巫女。

だが決して嫌ではなく、むしろ胸がスカッとするほど爽やかで心が軽くなる気分であった。


「彼女はとっくに分かっていましたね。私達が赤城さんのことを信じきれなかったことも、私が最後にこういう選択をすることも。」

「そうみたいね。」


再び笑ってしまう相手の女性。

彼女もまた人の心という分野で彼女を勝ることはできないことを認めているように見えた。


「結局私達が持っているのは心もどきですから。こうなるのも無理ではありませんでしょう。

私の負けです。お手上げですよ、青葉さんには。もう手のひら上で踊らされたってところです。」

「ええ。さすがだわ、本当。」

「これ、絶対お母様はご存知だったですよね?完全にグルになっちゃってずるいですよ。」


そうやってあっけなく笑い合う二人の聖職者。

うみに騙されて最後の最後には心が正しいと思っている選択肢を引き抜かれた彼女達は久々に覚えられた敗北感に笑いが止まらなくなった。


「まさかあの二人のことだけではなく私達のことまで見渡していたとは。あんな可愛い顔をして随分大胆な真似をしますね、あの人。」


しばらく笑い続けていた巫女は改めてうみの大胆な度胸とその行動力に感服し、


「これから色んなことが変わっていくような気がします。お姉様。」


自分の隣で微笑んでいる人影に向けて自分の仄かな予感を話した。


「ええ。」


まるで鏡に映った自分を眺めているような気分。

生産時期にはそれぞれの差があったが原型は同じだったゆえ顔は瓜二つのそっくり。


紺色の修道服。そして青みが漂っている長くてきれいな銀色の髪。

神に仕えるものにしては多少艶かしい雰囲気を出している彼女は妹の頭を撫で下ろして


「私もそう思うわ。ルビーちゃん。」


ただそういうだけであった。


後に巫女は姉さえグルだったことに気づき、何日も「オーバーロード」からの通信も遮断して部屋に引きこもったがこれはまた別の話。

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