第7話

夜中の冷めた空気。

まだ春とはいえ、外は肌寒くて、日が暮れればすぐひんやりとなる。

それでも私は部屋の暖房と、


「すぴー…」


隣で心地よく寝ている栗色の髪を持った幼馴染の女の子から伝わってくる体温のぬくもりで少しでも寒さを感じませんでした。


たまに、


「みもりちゃんの腋…♥塩ラーメン…♥」

「今なんて?」


ひどい寝言を言ったりはしますが、それでも私にとってたった一人の幼馴染であり、そして私の理解者でもあるゆりちゃんのことを心から愛する私は、そっと彼女の頭を撫でるだけでした。


窓の外に広がっている帳のような夜空。

ふと星が見たくなった私は、ゆりちゃんを起こさないように気をつけながら、そっと体を起こして窓際へ向かいました。


「きれい…」


まるで宇宙の一面を切り出して張り付けたような星の海。

鏤められた星屑は燦然と輝きながら、世界を照らしている。

そして先までのモヤモヤな気持ちをすっかり忘れてしまうほど、私はその絶景に見とれてしまいました。


でも当たり前のように私達が享受しているこの平和は多くの人々の犠牲によってやっと手に入れられた大切なもの。

この平穏な生活を後代に残すために先代の人々がどれだけの犠牲を払ったのか、この時代に住んでいる私達はちゃんと知って、感謝しなければならない。

そしてその中心には、今は「神樹様」と呼ばれ、人々の支えになっている、救世主「ひかり」様がいらっしゃいました。


遥か昔、この地はかつてこの星の覇権を置いて争った3つの世界によって滅びかけました。

何百年も続いていた戦争で多くの人々が命と生きる場所を失い、世界には悲しみと絶望だけが溢れました。

たくさんの人が日常を踏みにじられ、毎日を不安の中で暮らしました。

家族を失った子供達は生き残るために何でもしました。

盗みから内戦の少年兵まで。

今の私達みたいに学校で皆と笑いながら青春を謳歌するべきだった子供たちはペンと本の代わりに銃を持って戦場へ向かいました。

その残酷な世界から少しでも長く生き延びるために絶望の淵に自ら身を投げだしたのです。


人々の腹を満たすはずの地には豊かな食べ物の代わりに人々の死体が積もってゆき、恵みの雨ではなく血の雨が何日も、何日も降り続きました。

海には川から流れ込んだ血まみれの屍が数えられないほど浮き、森と山には小鳥さん達の歌声が途絶えて、ただ苦しみの悲鳴だけが鳴り響いてたのです。


その終わりそうもなかった悲劇はある日、「ひかり」と呼ばれれる救世主によってついに幕を閉じることになりました。


3つの世界を巡りながら共存の生を説破したという神話の巫女。

彼女はいかなる危険も厭わず、ただひたすら世界の安寧を訴え続けたのです。


やがて彼女は自ら身を捧げてこの星を、全ての世界を繋ぐ「世界樹せかいじゅ」となって世界を救いました。

二度とこちらの世界には戻れないことを知っている上で、彼女はこの星を救い出すために喜んで自分の身を差し出したのです。


世界を紡ぐ大きな桃の木。

枯れることも、萎えることもなく、四季折々温かく咲き誇る、この世界の救世主。

皆が愛するその神様に私は今日も心を込めて感謝の祈りを捧げました。


その崇高な精神を称えて3つの世界はやがて平和の証として「世界政府」樹立、ついに平和の時代を迎えたのです。

このように私とゆりちゃんみたいな異なる種族が一緒に生活できるようになったのはこの星の長い歴史から見ると随分最近のことです。

いくつかの試練と苦難はありましたが、その度に世界は力を合わせてなんとかピンチを乗り越えてきて、今もちゃんと「光」様から授かった崇高な精神を受け継いでいます。


「部活か…」


夜空を見ながら少し考え込んでしまう自分。

ふと思い浮かべた昼のことで頭がごちゃごちゃになって、もう少し考えをまとめてから寝ようと決めた私は、夜空のお星様を見上げたまま、もう一度自分の心を振り返って見るようになりました。


「そういえば私ってあんなにアイドルが好きだったのに、今までろくなアイドルに関する部活なんてやってみたことがないかも。」


中学校までは水泳部。

元選手だったお母さんの影響で子供の頃からずっと泳いでいた私なんですが、高校に入ってからはなぜか部活に入ることを止めてしまいました。

ただ普通に勉強して、いい大学に行って、普通に社会に出る。

ただそれだけが今の私の目標。


その時、ふと浮かび上がる違和感。

その違和感に自分はこう問いかけました。


「あれ…?だったら私はどうして進学校の第1ではなく芸術文化系の第3の受験を受けたんだろう…」


この学校を選んだのはあくまで自分。

でもその理由が全く思いつかなかった私は今更、どうしてだったんだろうと困惑してしまいました。


この学校は確かに芸術文化系ということにもかかわらずあの第1に次ぐハイレベルの学校なんですが、自分がここを選んだのはそれだけじゃないって気がする。

だったらその理由はなに?っと何度も自分の心に聞いても全く答えが出でこない。

自分にも分からない自分の気持ちに私はただうろたえているだけでしたが、


「それはみもりちゃんにはまだ未練があるからです。」


私の大切な幼馴染の子には自分にも見えないその答えが見えていたようです。


いつの間にか起きて、窓側に立っている私のことを静かに見ているゆりちゃん。

その奥ゆかしくて静かな目に私は一瞬、なんと言ったらいいのか、言葉に詰まってしまいました。


「あ…ごめん…起こしちゃった?窓、閉めるね?」

「いえいえ。」


ベッドから起き上がって私の傍に寄り添った一緒に夜空を見上げるゆりちゃん。

透き通った瞳の中に広がる星の帳に私は一瞬、自分がいる場所が現実か、それとも夢の中かと、自分の意識をはっきりと保てませんでしたが、


「お手、取ってもいいですか。」


包んでくるゆりちゃんの手は決して幻では再現できないほど心強くて、温かったのです。

その温かさについほっとしてしまった私は、心の和みを感じながらゆりちゃんの話に耳を傾けました。


「それはまだみもりちゃんがあの時のことに未練を抱えているという証拠で、あなたは無意識にそれを解決するために行動している。

それを分かっていたから私はあなたと一緒にこの学校に来ることを決めたのです。」

「未練…?」


未練…か。


自分には見えないものが私自身より私のことをよく理解しているゆりちゃんには見えている。

それはなんだか少し恥ずかしい気分でしたが、


「そうか…」


私はなぜかそのことに疑問を抱かず、すんなりと納得してしまいました。


私は自分から見ても昔のことに結構捕らわれやすいタイプです。

もう未練なんてとっくに吹っ切れたと思いましたが、


「あはは…私ってまだまだ子供だね…」


私はあの頃から一歩も動けないままだったようです。


でもゆりちゃんが言いたかったのはそういうことではありませんでした。


「大丈夫。みもりちゃんにはみもりちゃんの速さがありますから焦らないでください。

どんなに大変なことがあったとしてもあなたは昔と変わらず私の可愛いみもりちゃんのままですから。」

「ゆりちゃん…」


そっと私の額に触れるゆりちゃんのお肌の温かさ。

自分の額を私の方に向けてそっと当てたゆりちゃんは、


「過去に悩むのも、これからの未来のための糧になります。

ゆりはあなたのこと以外、あまり昔のことにはこだわりませんが、決してあなたの個性を、性格を否定しません。」


それもまた私の個性の一部だと、目を背けず、ただありのままで受け入れてあげてと言いました。

その言葉に少し気が楽になった私は、


「ありがとう。」


今自分にできる精一杯の感謝としてお返ししました。


触れ合っている額からまるでゆりちゃんの私への気持ちが流れてくるよう。

グッと湧き上がる熱い気持ちになんだか体まで熱くなるような気がして、この調子ならいい気持ちで眠れそう。

何より向き合っているゆりちゃんのきれいな目が私に「頑張れ」って励ましてくれているような気がして…


「そういえばゆりちゃんとこんな話をするのは初めてかも…」


私達はいつも一緒。

どこへ行っても私達は必ず残りの方についていく。

そんな私達だからこそあえて言葉で言う必要はないと思っていたかも知れない。


でもゆりちゃんが私に、


「でもあなたのゆりはやはりあなたにもっと前に進んで欲しいです。」


初めてそう言ってくれた時、


「大切にしていたあの時の気持ちを忘れないでください。」


私は自分の気持ちに、私を信じてくれたゆりちゃんの気持ちに応えるために、勇気を絞り出すことにしました。


私達の大切だったあの時間。

キラキラした私達のかけがえのないあの時間は今もこんなに私の心の中で大切に残っている。

たとえ未練という形になっても、私は今も変わらずあの楽しくてキラキラとした時間を手放したくない。


あの時、同好会で自分が何を感じて、何を見てきたのか、そのすべてがゆりちゃんには全部見えていたと思います。

お互いのことを自分たちのことより大事に、大切に思っている私達だからこそ分かって、見えるものだと、私はそう感じました。

どうしてゆりちゃんがそんな話をして、急に私の背中を押す気になったのかは、今もよく分かりませんが、


「じゃ、じゃあ…入るね…?」


私はゆりちゃんのおかげでようやくスタートラインに立つ気になったのです。


午前2時。

同じ布団の中でお互いへの愛情を囁いた私達の燦然と輝く気持ちは私の心をぐんと高揚させて、私をここまで導いてくれたのです。

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