第8話
大学を受験する3年生にとっては、文化祭以降は、勉強尽くしになる。紫苑にとって、勉強するのは大して苦ではなかった。決まったことを学ぶだけ。方程式で答えを出すだけ。問題数をこなせば、大抵の出題傾向もわかる。そう……学校で習えるようなことなら、簡単なのに……と窓の外を見る。
「よ。何かお悩みで?」
「もー、感傷に浸る暇もないわ、あんたいると」
「お? どうした、海斗となんかあった?」
「なんもないよ」
「なんもない? あ、あっちがないから?」
「あほか」
紫苑は笑いながら優磨の足をちょっと蹴った。
「優磨さぁ、女の子好きじゃん」
「真顔で言うな。当たり前だろ」
「もし、その女の子がさ、別の女の子好きだったらどうする?」
「待て、質問がおかしくないか?」
「なんで?」
「その子、俺の彼女設定? で、は、ない? あれ?」
「あはは。ホントだわ。変なこと聞いたわ。ごめんごめん」
紫苑は笑って誤魔化した。
「もし、俺が、レズビアンの子、好きになったら……ってこと?」
「まあ、そういうことかな」
「ええー。それは厳しいわ。ないわー。わかった時点で引くわ、俺なら」
「だろうね。やらせてくれそうにないしね」
紫苑は笑った。
「え? 何? 何? お前のこと、それ??」
「あほか。じゃあ、アレは何ですか?」
隣のクラスから、「帰るぞー」と言いながら海斗が入り口をくぐるようにしてクラスに入ってきた。
「優磨、おいー。人の女に手出すなやー」
「確かに……な」
紫苑も優磨も笑った。紫苑的には複雑な気持ちだったけれど。
紫苑は、海斗のことが凄く好きだ。カッコいいからとか、そんな理由だけではない。お年寄りや子供たちにも、動物たちにまで好かれる優しいところ、ふざけて皆を笑顔にするところ、先生を手こずらせる「やんちゃな」金髪男子とも普通に喋るくらい人に信頼されているところ。
そして、紫苑の喜ばせ方をよくわかっているところ。海斗が彼氏でよかったなあと、紫苑はしみじみ思う。
だから、騙しているみたいで辛いのだが。……でも、きっと、私は女の子も好きになることは隠して生きていく。将来、結婚しても……墓の中まで持っていく。そう、紫苑は決めていた。
以前、3ヶ月ほどアメリカに語学留学していた時に、ゲイだという男の子と仲良くなった。その子に、ドミトリーで開かれたパーティの席で、彼氏を紹介された。彼は社会人で、別れた奥さんもいて、二人の間には子供もいた、と言っていた。紫苑は目を丸くした。奥さんと子供がいるということは、普通に女性も愛せるということじゃないのか?それでもゲイって公言できちゃうの?
「彼の奥さんは、彼がゲイってこと知ってたの?」
「最初は複雑だったみたいだけどね。ゲイじゃないよね、バイセクシュアルになるかな」
そりゃびっくりするだろうな。普通に夫だと思ってた人に彼氏ができたら。
「でも、彼女が愛してたのは彼なんだからさ、それも彼のアイデンティティとして受け止めてくれてはいたみたい」
そんなものなの? この国の人はそういう認識なの? 紫苑が驚いていると、彼らが特別というわけではないけれど、受け入れられない人も沢山いると思う。彼らはそう言った。
「それでも、彼の別れた奥さんは、今でも彼とも僕とも仲良いよ。勿論、友達としてだけどね」
そう言って、彼は笑った。
日本とアメリカでは、「性」についての意識がこうも違うのか……と、紫苑は複雑な気持ちになったのを覚えている。
とにかく……日本で生きていく以上、蓋をされていることは、蓋の中に「それ」を隠して生きていく方が賢明だ。そう思っていた……。
そう、あの子に会うまでは……。
複雑に絡み合う自分の気持ちを、引きちぎって放り出したいと思った。どんな方程式でも解けない、恋愛感情というものが、自分にとってこんなにややこしいなら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます