トライアウト

 NPBトライアウト、それは戦力外通告を出された選手が再起を願って、他球団にアピールして契約をこぎつける機会。

 今回のトライアウト会場は東京の球場で行われた。

 全席有料であるが、それでも例年ならちらほらと席が埋まっている程度。だけど今年は8割が埋まっていた。

「多いですね」

 鈴が観客席を見渡して言う。

「そうだな。やはり今年は佐々木さんが出るからかな」

 と、剛が答える。

 元メジャーリーガーの佐々木がトライアウト参加と報じられ注目となった。

 鈴達は関係者枠ということで優先的に座席を手に入れて、ここにいる。

 ただ、今は鈴と剛だけ。

 小春は女子プロ野球の球団ブリリアントラビッツ関係者と今後の打ち合わせでここには生憎あいにくといない。

 その代わりに先輩の剛が同席することになった。

 花も観戦したかったが、優先で手に入ったチケットは2人分だけ。

「テストはシート式でしたよね?」

「ああ。今年は打者は投手6人と対戦、投手は打者4人。……今年は打者が多いらしいな」

 これもやはり佐々木の影響だろうか。


  ◯


 戦力外通告を受けた選手にとって、このトライアウトはNPBに戻れる最後のチャンスである。

 テストが始まる前はトライアウトを受ける選手達から挨拶を受けた。

 既知の仲、憧れの者など様々。

 佐々木はお互い頑張ろうと励まし合った。

 そして今、テストが始まってからは集中のためか無言で重い空気が張り込めていた。

(この歳になってもまたこんな緊張を味わうとはね)


  ◯


「さっきから知らねーやつばかりじゃん」

 ふと鈴の耳に観客のぼやきが聞こえた。

「だよなー。やっぱ戦力外って、無名ばっか」

「でもよ、次は鶴田だぜ」

「え? 鶴田って、あの鶴田?」

 どうやら彼らの中で知っている選手がいたらしい。

「まじか。てか、まだやってたんだ。もういい歳だろ?」

「佐々木よりかは若いけどな」

「若いっていってもななー」

「だよなー」

 どこか溜め息交じりで彼らは言う。

「鶴田という選手を知ってますか?」

 鈴は小声で剛に聞く。

「俺の世代では有名なパワーバッター。歳は37だったかな」


  ◯


 佐々木は1打席目はフライ、2打席目は三振だったが3打席目でセンター前ヒット、4打席目は長打でツーベースヒット。

 これには観客もざわめいた。

「これはいけるかもしれませんね」

 鈴は意気込んで剛に聞く。

「どうかな。1、2打席目は凡打だしな」

「もう! どうしてそんなマイナス的なんですか?」

「お前は合格者が何人か知ってるのか?」

「そりゃあ、調べましたから知ってますよ。ここ数年は2、3人です」

 鈴は尻すぼみに答える。

 60近い人数で合格者は2、3人。だいたい5%。しかも合格者0人の年もある。

「でも、佐々木さんは好成績です」

 そしてネームバリューもありますしと心の中で呟く。

「とにかく、5打席目以降が重要だな」


  ◯


 3打席目が終わった頃にはベンチには落ち込む者や焦る者が現れた。

 それらの空気に当てられないように佐々木は前向き思考で打席に立ち、ヒットを出す。

 そして5打席目で内野安打。ただ悠々の内野安打ではなく、ギリギリの内野安打のため佐々木本人は苦渋を飲まされた気分だ。

 それでも観客席からは拍手が鳴る。

 その後の最終打席。

 相手は苦手な左投手。名前は一条。歳は27。持ち球が『ボディーブロー』と呼ばれる大きく曲がるスライダー。ただそれは右打者にとってのもので、左打席の佐々木からすると大きく逃げるスライダーであった。

 佐々木は一球目に『ボディーブロー』と呼ばれるスライダーを目の当たりにして驚いた。

(変化量がやばいな。確かにこれは右打者からすると腹を殴られるかのようなボディーブローだな。……しかし、これで戦力外というのだから驚きだな)

 2球目は低めのカーブ。

 3球目は高めのストレートで佐々木はバットに当てるもファールボール。

 4球目は『ボディーブロー』を見送る。ツーボール、ツーストライクとなる。

(すごいけど……やはり。あの子のおかげだな)

 トライアウト1週間前、佐々木は小春からトライアウトに参加する左投手のデータを受け取っていた。

 そこには一条のデータも含まれていた。

 今年は主に二軍での登板で一軍での登板は3回だけ。

 データは少ないが、小春自身からのアドバイスが記載されていた。

 そこには──。

(ボディーブローの時はグローブがわずかに膨らむ!)

 それはほんの些細な変化。

 しかし、佐々木は今日のため些細な変化を見逃さないため、投球フォーム時のグローブを頭に叩き込んだ。

 5球目の『ボディーブロー』も見送った。

 見極めたら『ボディーブロー』もただのボール球。

 6球目は低めのストレートで佐々木は打って、ファールボールに。

 一条は何度も首を横に降り、やっと頷いた。

 7球目は高めのストレート。

 佐々木はそれを打ち、ボールは弧を描き、三塁を越えて、レフトに落ちる。


  ◯


「やりましたよ! 最後もヒットです!」

 鈴は剛に喜んで言う。

「ああ。見事なヒットだ」

 佐々木の最終打席でのヒットに観客は沸いていた。

「いけますかね?」

「さあな。これだけではまだ分からん。それにここ近年の合格者は2、3人と言ったよな?」

「はい」

「じゃあ、彼らの雇用内容も知ってるか?」

「いいえ」

 合格者のことは知っているが、その後のことは鈴は知らなかった。

「育成だよ。近年、合格者は育成枠で契約なんだよ」

「育成!?」

 育成。それは二軍の予備。

 育成選手は二軍の試合に出て、そこから活躍して、球団から支配下登録をされて一軍もしくは二軍になる。

 だけど二軍の試合に育成選手は全員が出られるわけではない。限りがあるのだ。それゆえ数少ない二軍の試合でチャンスを掴まなくてはいけない。さらにその中にはただの練習試合に出て、腕を磨くものもいる。その過酷な条件下にいるのが育成選手。

「でも育成って、普通は若い人では? 佐々木さんのような……その……」

「言いたいことは分かる。伸び代があるわけではないからな」

「厳しいですね。佐々木さんはそのことを?」

「知ってるだろうね」

 鈴には分からなかった。知ってて、それでもトライアウトに参加するなんてどういう心境なのだろうか。

「ただ──」

「ただ?」

「やれるだけのことはやった。佐々木さんも悔いはないだろう」

 そう言った剛はどこか清々しく笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る