セカンドチャンス

 夕方、棗小春は人事課の課長に呼ばれた。

 人事課の課長に呼ばれるのは珍しかった。

 さらに話というのが、小会議室で使うものではなく、外での話であった。

「ブリリアントラビッツですか?」

「そうだ」

 そして小春は車に乗せられ、前回と同じ中華料理店に連れて行かれた。

 部屋に通されて、小春は驚き、目を見張った。

 部屋にはブリリアントラビッツのGM、監督、女性投手コーチ、大北緑ジムの社長がいた。

 投手コーチがいるのは分かるが、GMと監督がいるのが驚きだった。

「さ、こちらへ」

 人事課の課長に誘われ、席に座る。

「今日、呼んだのは今後の君への進路しについてなの」

 投手コーチが話し始める。投手コーチはブリリアントラビッツの元投手であり、小春の先輩にあたる。

「進路ですか?」

 その単語を聞いて小春は教師との受験の話を思い浮かべた。

「まず、うちの専属トレーナーと考えていたのだけど、動画の件で投手として戻らないかという話になったの」

「と、投手に!? それは復帰ということですか?」

 監督が頷き、

「そうだ。動画を見て、君にはまだ見合った能力があると我々は感じたんだ」

「ぜひ戻ってみては?」

 と、GMが続いて言う。

「三浦君もぜひにと言っていたよ」

 そう言って監督が笑みを鈴に向ける。

「彼女が……」

「先発としては難しいが、君の伸びのあるストレートと変化球はタイミングを合わせてきたバッターには嫌だろう」

 その言葉に小春は太ももの上で握っていた拳が少し開くのを感じた。そして指がひきつき、さらに動機も少し早くなったのを感じ取った。

 小春はもう一度、意識的に強く拳を握る。そして唾を飲み、監督に問う。

「それは中継ぎか抑えとしてですか?」

「君は抑えとして真価を発揮できると私は思うね」

 どうやら先発では出してくれないらしい。

 監督の言うことは間違ってはない。

 同じ球速、変化球、フォームのピッチャーを入れては、目がピッチャーの球に慣れたバッターから打たれてしまう。

 だから、個体差のあるピッチャーを球団が抱えるのはおかしくはない。

 そして棗小春は先発の球に慣れたバッターを打ち取るには最適なのであろう。


  ◯


 小春は返事を後でいたしますと告げた。

 それを監督やGM達は返答は分かりきっているのに先延ばしにするのは、彼女なりのプライドか男性に対する反骨心によるものと判断した。

 けれど、その中で投手コーチだけは小春が返答を先延ばしにしたのは、彼女なりのジレンマであると理解していた。

 そして食事会の後、投手コーチは夜中に小春に連絡を入れた。

 マンションに帰ってきて、自室で先程のことを整理していたら、スマホが鳴り、その相手が投手コーチだと知り、小春は驚いた。

 通話をタップするか逡巡したが、小春は意を決して通話に出た。

『やはり不満?』

 投手コーチだけにか、直球を放つ。

「そう……ですね。先発としてまだいけると言われたら即答してましたね」

『でもね──』

「分かってます」

 小春は言葉を被せた。

「歳ですからね。先発よりも中継ぎや抑えの方が適任というのは理解しています」

『……分かっているなら、すぐに返事をしたらよかったんじゃない?』

「すみません。ビジョンが見えなかったので。それと今は大北緑ジムの仕事もありますし」

『三浦遥のトレーナーね。それが終わったら戻ってきなさい』

「……」

 返事は出来なかった。

『大丈夫。上には言わないから』

「……今言えるのは戻る予定……くらいでしょうか」

『分かった。それじゃあね。返事楽しみに待っておくから』

 通話が切れ、数秒後に小春は息を吐いた。そして一度リフレッシュしようとシャワーを浴びに脱衣所に向かう。

 シャワーの後、冷蔵庫から缶ビールを取り出して、座る前にプルタブを開ける。すぐにビールを嚥下して、立ったままぼんやりする。

 二口目を飲む前にゆっくりと床に座り、ベッドを背もたれ代わりにする。そして二口目を飲む。

 アルコールが意識をぼかして、集中力を潰す。

 何も考えることなく、ビールを飲む。

 今、この時だけは小春は何も考えたくなかった。

 過去の栄光も後悔も、現在の状況や限界も、これからの緩やかに転がる未来に対しても。

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