相談
休日の早朝、鈴はジョギングをしていた。
場所は大北緑公園外周。1周約4.3キロ。ジョギングとして人気のあるコースなのか鈴以外にもジョギングをしている人がちらほらといる。
大北緑公園外周を2周して、鈴は公園内に入った。
そして鈴は陸上競技場前の自販機で足を止め、スポーツドリンクを買い、ベンチに座り、キャップを開けた。
渇いた喉にスポーツドリンクを流し込む。
そこで一人の少年が視界に入った。
白のキャップに白いシャツ、そして黒のハーフパンツの少年。
どこかで見たことがあるようなと鈴は首を傾げる。
すると視線に気づいたのか向こうも鈴を見る。
そして少年は止まってキャップの鍔を上げ、鈴に一礼をした。
「ああ! 佐々木さんの!?」
鈴は少年の正体に気づいた。
その少年は佐々木吾郎選手の息子、佐々木慎也だった。
「どうも」
「お久しぶりです。あれ? 東京では?」
「夏休みで」
と、どこか慎也は目を逸らすように言う。
「それじゃあ」
と慎也は去ろうとする。
「あっ待って! 靴紐!」
鈴が慎也の足下を指す。
その指差す方には慎也のシューズの紐がほどけていた。
慎也は鈴の隣に座り、紐を結び直す。
「ねえ慎也君は野球やってるの?」
「……一応」
「そっか。今何年生?」
「次で高一です」
「野球部に?」
「……まだ考えていません」
慎也は少し表情が暗くなる。
この話はタブーだったのか。やはり父親が元メジャーというだけで色眼鏡であれこれ質問を受けていたのだろうか。
「野球が好きなら親とか関係なくやればいいよ。嫌いならやめればいいよ。」
そう言われて慎也は鈴へと顔を向ける。
「君の人生なんだし好きに生きなよ」
「……」
(ありゃ、臭かったかな?)
「あのう」
「何?」
「父はどうでしょうか?」
「どうとは?」
「選手としてです」
「……」
どう話そうか鈴は一瞬迷った。
「正直……歳だね。ピークは過ぎてるから全盛期のようにはいかないかな」
それでも鈴は嘘はつきたくないので、ありのままの本音を話す。
「でも、まだまだ基礎能力はプロ野球選手並みだよ。テストだっていい成績だし」
「それでトライアウトは大丈夫なんですか?」
慎也は真っ直ぐとした目で鈴に聞く。
「大丈夫」
根拠はなかった。プロ野球選手並みだからトライアウトでNPBに戻れるかというとかなり厳しい。なぜなら他のトライアウトの選手は戦力外通告されたプロ野球選手。そんな中で並みの選手が選ばれる可能性は低い。
それにNPBに戻る元メジャーのほとんどはトライアウトではなく、普通に声をかけられて球団に入るのだ。
それがないということは……。
「本当に?」
慎也は探るようにもう一度聞く。
「信じて。絶対、佐々木選手はここで終わらない」
鈴は強く返した。まるで自分に言い聞かせるために。
それを受け止めてくれたのか、流したのかは分からないが慎也は、「分かりました」とつぶやくように言った。
◯
鈴はジョギングの後、家でシャワーを浴び、キンキンに冷えた麦茶を飲んでいた。そのとき、スマホから棗小春から着信がきた。
「もしもし?」
『どうも棗です。ちょっと相談事があるですが、お時間大丈夫ですか?』
「全然大丈夫だよ」
『実は私……前の球団から戻ってこないかと……お誘いがきているんです』
小春は尻すぼみに話す。
「おー! 良かったじゃん」
『え、ええ。それで、どうしようかと悩んでいまして……』
「悩む? どうしてさ? 行きなよ」
『えっ!?』
間髪入れずに背中を押されたので小春は驚いた。
「何か不満でもあるの? 先発でないとか? 年俸とか?」
『先発ではなくて中継ぎ……もしくは抑えなんですけど。まあ、歳ゆえに妥当かとは思うのですが、……えっと、私が言いたいのは、そうではなくて、……私はジムトレーナーを辞めてもいいのですか?』
「いいんじゃない。もとは球団専属トレーナーを考えていたんでしょ?」
『はい』
「ならさ、いつかは離れるってことだし、むしろ選手に戻れるんだったら、それは良いことだよ」
『……そうですか』
「変に悩まずに、チャンスがきたら乗っかれば良いんだよ」
◯
「それでは失礼します」
そう言って、通話を切り、小春は息を吐いた。そして壁にもたれかかる。
鈴なら応援はしてくれるだろうと予想はしていた。けれど、きっぱり……いや、すっきりと言ってくれるとは考えていなかった。
まだ1年も働いていないのに急にこちらの都合で辞めるとなると引っかかるものがあるはず。
だから、少しは──。
「駄目。背中を押してくれたんだから、そんなネガティブに考えては駄目」
鈴が言ったことは本心だろう。
心から小春の復帰を喜んでの発言のはず。
「復帰か」
天井を見て、小春は言葉を漏らす。
大北緑ジムで働くことになった時、復帰するなんて想像していなかった。自分はもう限界であり、ネクストキャリアを考えて生きなければいけない。
それなのに専属トレーナーになる前の働き口が
笑ってしまう。そう小春は自嘲した。
そしたら、なんやかんやで復帰のチャンスが現れた。
完全復帰とはいかない。
全盛期のような活躍は期待されていない。
それは佐々木達と同じ。
(まさか自分も彼らと同じ立場になるなんて)
いや、違う。
同じではない。
彼らは新たな可能性を切り開こうとしている。
自分は何もしていない。そう感じた小春はノートパソコンを立ち上げ、情報を掻き集める。
中継ぎ、抑えとしての最高のパフォーマンスと問われる期待について。
そして最後にトレーニングカリキュラムを。
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