夏
朝、鈴は目が覚めてリビングで支度をしていると一向に大輔が起きてこないので母に「大輔は?」と聞く。
「夏休みだよ」
「ああ! もうそんな時期か」
テレビを点けると県内の硬式高校野球大会のニュースが流れていて、春の甲子園で優勝した履習社高等学校野球部の活躍が流れていた。
鈴は支度を中断して、テレビに視線を止める。
履習社は県大会の3回戦まで順調に進んでいた。
そして今、監督のインタビューが報じられている。
『攻守ともに最高のメンバー。これは春夏連覇期待ですね』
リポーターが履習社高等学校野球部の監督に向けて言う。
『期待に応えるよう頑張りたい所存です』
インタビュー慣れしていないのかどこかぎこちなく監督は答える。
『なんといってもあの元メジャーリーガー率いる球団ホワイトキャットに打ち勝ったチームですからね』
元メジャーリーガー、そしてホワイトキャットの名が出て、鈴は固まった。
『投手の牧谷君に野手の羽崎君にはNPBのスカウトも注目しているとかで……』
「今年の履習社はすごいのね」
と、母が感嘆の声を出す。
「そうね。県大会でも順調だし、このままなら甲子園にいけるかもね」
鈴は立ち上がり、支度を再開する。
「それじゃあ、行ってきます」
「ええ。気をつけてね」
玄関を開けるとセミの合唱が鈴を出迎えた。
「うるせえ」
鈴はセミの合唱の中、足を動かして前は進む。
◯
今日は佐々木や梅原のトレーニングがないため、午前はデスクワーク、午後は一般客のトレーナーを鈴は務めた。
夕方、仕事を終えて、鈴はトレーナー室に戻る。
トレーナー室にはエアコンが冷風を流していはいるが、それでも汗は流れた。
「暑ぅ」
席に座り、団扇で自身を煽っていると、先輩の花が声をかけてきた。
「あんた、結構汗だくね? ランニングに付き合ったの?」
「してません。今日は午後から室内トレーニングのサポートです」
「ならなぜそんなに汗をかくのさ?」
「知りません」
「シャワー浴びに行った方がいいんじゃない?」
「そこまで汗かいてませんし、汗臭くないです」
と、言いつつも鈴は自身の脇を嗅ぐ。
「臭いでしょ?」
「臭くないです!」
「棗は?」
「彼女は……まだ仕事中なのかな?」
棗小春は今日、遥を担当する日。この時間ならとっくにトレーニングは終わっているはず。
「元同僚だから何か話しているのかな?」
◯
気になるわけではなく、あくまで先輩として後輩に何か問題でもあったのではないかと心配してという言い訳を心の中で呟いて鈴はジムの投球エリアに向かう。
その途中で鈴は小春に会った。
「あっ、お疲れ様です」
「うん。お疲れ。どうしたの? 長かったけど」
「ちょっと汗をかいたのでシャワーを浴びてました」
見ると髪は湿り、身体はほんのりと赤くなっている。
「そんなに汗をかいたの?」
「夏真っ盛りですからね。ちょっと体を動かしただけで、汗が噴き出てしまいます」
「そうだったんだ。遅いから問題でもあったのかなって」
「順調ですよ」
そして二人は一緒にトレーナー室へと向かう。
「なんかすみません。心配かけてしまって」
「いいのよ。元同僚のトレーナーって大変でしょ?」
「大変というわけでもありませんよ。気心が知れた相手だから……といっても、私は彼女との面識はあまりありませんからね」
と、小春は苦笑する。
「ライバルだったんだよね?」
「そんなところですね。……でも、彼女がいた頃は私ももう落ちぶれていましたから、彼女の眼中に入っていたかは怪しいですね」
三浦遥が小春のいる球団に移籍した時、小春はトレーナーとしてCSCSの資格をとるために勉強をし始めていた。
お互いピッチャーではあるが、球団の花形と落ちぶれた元エース。
接点はなかった……というより、意識的に接点を持とうとしなかった。
「彼女は貴女にコーチではなく、投手として復帰して欲しいと思ってるんじゃない?」
鈴のその言葉に小春は眉を下げ、鈴に視線を向ける。
「復帰って、そんなの無理ですよ。絶対に」
小春は溜め息交じりに言って、視線を鈴から前方の床に向ける。歩きながら、「自分の限界は自分がよく知っています」と答える。
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