復帰

「この度はご迷惑をかけて申し訳ございませんでした」

 復帰した小春は大北緑ジムで鈴に改めて頭を下げた。

「いいよ、いいよ。そんなに謝らなくて」

 鈴は困ったように言う。電話でも謝罪は受けたのだから、もう謝罪はこりごりだった。

「でも、遥の件まで任せてしまい」

「その件はもういいの! で、体はもう大丈夫なの?」

「はい。もう大丈夫です」

 元気よく小春は頷いた。

「よし。なら、頑張ってね」

「はい」


  ◯


「本日からまたよろしくお願いします」

 小春は自身が担当する遥に丁重に宣言する。

「ええ。体は大丈夫なの?」

 それは色んな人に何度も聞かれたこと。そのため小春はその問いに辟易していた。

「……皆さん、そう聞きますけど、あくまで微熱と鼻詰まり、喉だけですので」

「でもコロナじゃん」

「重体ではないので」

 昔はコロナといえば危険なもので、感染者がいるだけで大騒ぎ。

 でも、今は違う。

 インフルエンザと同程度のもの。

「さ、トレーニングを開始しましょう。今日はこれを使います」

 小春は箱からバスケットボールより大きく、バランスボールより小さいボールを取り出す。

「何これ? プライオボール?」

「メディシンボール」

「メディシンボールって、もっと小さいサイズじゃない?」

 遥は手でドッチボール大の円を作る。

「大きいのもあるんです。そしてトレーニング方は普通サイズのときとは違うから」


  ◯


 遥は両手を使ってメディシンボールを上に投げる。

 ボールはネットに当たり、床へと落ちる。

「そういえば、鈴さんに私のことを話したらしいですね」

「ん? 何のこと?」

 メディシンボールを拾いつつ、遥は聞き返す。

「現役時代のこと。それと専属トレーナーのこと」

「ああ! そのこと? 何? 言っちゃあいけないことだった?」

「……別に」

 遥は腰を屈み、両手でメディシンボールを投げる。

「てか、話してなかったの?」

「機会がなくて」

 仕事に慣れること。そして元メジャーリーガーのトレーニング問題。それらがあって、話す機会がなかったのだ。

「でもさ、本当にどうするの? 選手として戻る気はないの?」

「もう……ピークは過ぎたし」

「なら肩を壊した私もピークなのかな?」

 ぽつりと言った遥の言葉に鈴は驚く。

「何言ってるの。あんたはまだ若いじゃない。まだまだ伸びるわよ」


  ◯


 トレーニング後、小春は使用したトレーニング器具に対して念入りにアルコール除菌しながら、遥との先程の会話を思い出していた。

『もう……ピークは過ぎたし』

 人にはピークというものがある。

 人はずっと成長することはできない。

 ピークは人それぞれだが、二十代半ばから後半あたりが多い。

 そしてピークを越えるとあとは下がるのみ。

 それは仕方のないこと。生命として当然の摂理。

 抗えない事実。

 ならピークを越えたとき、選手はどうするのか。

 それは──現状維持。

 これ以上、能力が下がらないようにすること。

 しかし、長年何も変わらず。しかも少しずつ能力が下がっているなら、データを取られて終わり。

 ピッチャーなら配球とフォーム。

 バッターなら苦手なコースと変化球。

 それさえ分かれば、攻略は簡単。

 攻略されぬために、小手先の技術を得るとどこかで歪みが生まれる。

 大きく変化を加えるには時間がかかる。そして例え、変化を加えても一時的なもの。人間には限界がある。

 もしくは変化により、すべてが崩れることもある。

 大人は歳を取れば老いるだけ。子供のような成長はない。

 今、独立リーグの球団ホワイトキャットには元メジャーリーガーがNPBに復帰しようとフォームを変えてでも、頑張っている。

 最近は独立リーグでそこそこの活躍をテレビで目にする。地元ケーブルだけでなく、地上波の局で報道されている。

 でも、彼らは全盛期のような大活躍はできない。

 とっくピークは過ぎているのだから。

(……ピークを過ぎている。それでも彼らは……)

 全盛期のように活躍できないのに、どうして粘るのか。

「はあ」

 つい小春は大きな溜め息をついた。

「どうしたの?」

 ふと問われて小春は驚き、振り返る。

「鈴さん、佐々木さんのトレーニングは終わったんですか?」

「ええ。順調にね。そっちも終わったんでしょう?」

「はい。あとはアルコール除菌して終わります」

「そんな念入りにアルコール除菌しなくてもいいんじゃない?」

「一応は」

 と言って、小春は肩を竦める。

 コロナに罹患したゆえ、あとで利用者に難癖つけられぬようにと小春は念入りにアルコール除菌をする。

「で、さっきの溜め息は何? 遥さんとの件?」

「いえ、違います。ただ……色々考えて」

「色々?」

「さて、トレーナー室に戻りましょうか?」

 話を切り上げるため、小春は立ち上がる。

「……うん」

 少し不満げに鈴は答える。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る