コロナ

 小春は起きてすぐに喉に異変を感じた。

 それはまるで喉奥にシールが貼られたような感じであった。

 舌の根で撫でると小さな痛みが走る。

(口内炎?)

 歯で唇の裏を噛むことはあったが、喉の奥を噛むことは不可能。なら、魚の骨か串で喉を刺してしまったのか。

 だが、ここ数日、魚を食べたこともなく、串で喉を刺すようなこともなかった。

 なら、この口内炎はどうやって生まれたのか。

 ベッドから起き上がり、目の周りにムズムズとした違和感を感じた。

 目を閉じて、指で目端を撫でる。

 ねっとりとした目脂めやにがあった。

「うわっ、汚っ!」

 目脂は鼻くそのような黄緑色であったのだ。

 ティッシュで指を拭き、そして洗面所へ行く。

 その途中でもまた目に違和感を感じて、目脂を取るとまたねっとりとした黄緑色の目脂が取れた。

「どんだけ目脂多いのよ」

 小春は溜め息をつき、洗面所で手を洗い、そして水で顔を洗う。

 そしてタオルで顔を拭く。

 これで取れたはず。

 しかし、鏡に映る小春の目には目脂があった。

「なんで?」

 タオルで目脂を取る。

 確認のため、きっちりと確かめる。

 そして瞼を開閉すると──。

 目脂があった。

 まるで涙の代わりに目脂が生まれるように。


  ◯


 喉の痛みもあり、小春はジムにクリニックに行ってから出社する旨を告げる。

『コロナの可能性は?』

 トレーナー課の課長が聞く。

「喉が痛いだけです」

『最近、周りでコロナに罹った人とか、誰かと濃厚接触とかした?』

 少しセクハラ気味であったが、

「いいえ。ありません」

『そう。とにかく病院でしっかり検査してもらってね』

「はい。では、失礼します」

 コロナの可能性と言われたが、小春は喉が痛いだけで、熱も咳もなかった。あとは目脂めやにが多いこと。

「花粉症は……違うよね。目脂が出る花粉症なんて聞いたことないし」

 スマホで近くの内科クリニックを調べる。

 そして歩いていける距離に病院とクリニックを見つけた。

 ここからだと病院の方が近いのだが、喉が痛いだけだから、小春はクリニックを選択した。そのクリニックの受付・診察時間を調べる。今日は定休日ではないようだ。

 小春は外出用の服に着替えて、小春は保険証を財布に入れた。


  ◯


 クリニックの受付で小春は、

「初診です。喉が痛くて」

 と告げると受付は渋い顔をした。

「喉ですか?」

「ちょっと、お待ちを」

 そして受付が奥へ引っ込み、少し年配の女性が現れて、

「一旦、外を出て、裏口の方に来てもらえません」

 どういうことだろうか。

 とりあへず小春はクリニックを出て、裏口に回る。

 裏口のドアから女性が出てきて、

「コロナですか?」

「違います」

 小春は両手を振って否定する。

「でも、喉が痛いのでしょ?」

「……はい」

「でしたら、検査をしないと」

「なら──」

「うちではやっていないんですよ」

「えっ?」

「大きめの病院の方に行ってください」

 と、年配の女性は言って、中に戻り、ドアを閉めた。

 残された小春は、「ええ!」と呟き、肩を落とす。

 仕方ないので小春は病院へと向かう。

 道中、小春は憤慨していた。

 コロナではないはず。

 ただ喉が痛いだけ。

 熱もないし、咳もない。

 身近な人物でコロナになった人はいない。

 濃厚接触もなし。

 それなのににべもなく、追い返された。

(なによ! あの対応! 仮にコロナでもいいじゃん。診察しろよ。薬を出せよ! 内科が診察しないなんて終わってる!)


  ◯


 病院に辿り着き、小春は「初診です。喉が痛いんで、内科の方に」と告げる。

 すると医療事務員が眉根を寄せて、明らかに嫌そうな顔をする。

「喉……ですか?」

「はい。ですので内科に」

「まず、あちらの方で体温を測ってください」

「はい」

 カメラ型の体温計があり、マスクを取って、画面に自分の顔が写るように調整する。すると数秒で体温が表示された。

 そして受付に戻って、「36.1です」と答える。

「一応、コロナの可能性もあるのであちらの方に座って待っていてください」

 と、事務員に告げられた。

 その椅子は人通りの少ない道にぽつんと置かれていた。

 熱もないのに小春はしぶしぶ隅の方にあるその椅子に座る。

 しばらく待つと看護師が1人やってきた。手にはバインダーが。

「こちらの部屋に入ってください」

「はい」

 すぐ近くにある個室の部屋に小春は入らされた。

 机と椅子が二つ。机には体温計と血圧計が置いてあった。

「おかけください」

「はい」

 小春が椅子にかけると、対面に看護師が座る。そして、

「では、もう一度、体温を測らせもらいます」

 ペン型の電子体温計を渡され、小春は脇に挟む。

「こちらのプリントに必要事項をご記入ください」

 次にプリントとペンを渡されて、小春は必要事項を埋めていく。

 名前、生年月日、住所。そして往診の目的と体調。そこには喉の痛みと目脂を書く。

 ちょうど書き終わった時、電子体温計が鳴った。

「裏面の方もお願いします」

 紙を裏返すとアンケートみたいなものあった。

 ここ最近、手術をしたのか。ここ数日間のタバコ、アルコールの摂取量。妊娠の有無。薬を飲んで気分が悪くなったことはあるのか。常用している薬とサプリの有無。

 そういった項目を答えていく。

「終わりました」

 看護師は紙をバインダーに挟む。

「それでは血圧を測らせていただきます」

「はい」

 まだあるのかと小春は辟易していた。

 血圧計を測り終えて、部屋を移動させられた。

「コロナの可能性がありますので、隔離させていただきます」

「は、はあ」

 本気でコロナと思われているらしかった。

 そして隔離部屋というから厳かなものを想像したけど、ただの診察室だった。違うのはベッドが二つあるということ。

「こちらのベッドをお使いください」

 どうやら寝転べということらしい。

 小春がベッドに腰掛けるとパーテーションが引かれる。

 そしてパーテーションの向こうから、「少しお待ちください」と言われた。

 看護師が部屋を出ていき、小春1人となった。


  ◯


 待っている間に鈴から連絡がきた。

『今日、休みなの?』

「今、病院なんです。ちょっと喉が痛くて」

『仕事は昼からってこと?』

 今は昼の11時である。

「それが今、隔離中で」

『隔離!?』

「なんかコロナと疑わられていて……まだ診察待ちです」

 小春はまずクリニックに行ったこと。そして追い返されて病院で隔離された旨を鈴に伝えた。

『診察? 検査は?』

「まだです」

『そっか。時間かかってるの?』

「予約せず来たせいですかね。今日はもう仕事はお休みしましょうかね」

『うん。長くなりそうだからね。それがいいよ。あとコロナの可能性もあるし、休みなよ』

「はい。ただ、喉が痛いだけですからね。あと、目脂がちょっと多いくらいで」

『ん? それは夏風邪でしょ?』

「夏風邪?」

 小春は反芻した。

『うん。その目脂さ、黄緑色で粘っこくない?』

「はい。そうです」

 小春はどうして分かるんですかと驚く。

『なら夏風邪だね』

「そうなんですか。では、コロナではないんですね?」

『それはどうかな。稀にコロナとインフルが併発することもあるし。夏風邪もあるんじゃない?』

「へえ」

『とりあえず、今日は休みだね。

「はい。課長の方に連絡しておきます」


  ◯


 通話を切ってから小春はそういえば院内は通話禁止だったことに気づいた。

 スマホの電波が医療機器に影響を及ぼすとか、そういうものだったはず。

(いや、昔の話だから、大丈夫かな?)

 小春は課長にショートメールで今日はお休みをさせていただく旨を伝えた。

 それから30分後、医者がきた。

 そしてPCR検査をするとのことで細長い綿棒のようなものを鼻に突っ込まれた。

 鼻の奥が膨らみ、ツーンとした痛みを感じた。

 目からは涙と同時に目脂が流れた。

 ミニタオルで涙と目脂を拭く。

「では、検査の結果が判明するまでお待ちください」


  ◯


 検査結果は長く。さらに1時間が経って、医者と看護師がやったきた。

「すみませんね。長くて」

 医者が謝罪するが言葉だけで心はなかった。

「いいえ」

「えー、喉が痛いとおっしゃっておりましたが、それは今朝からと」

「はい。今朝からイガイガとして」

「ちょっと見てみましょうか。口を開けて」

 小春が口を開けると、医者は銀のヘラで舌を押さえ、小春の喉を見る。

「確かに紅というか白いですね。周りが紅で中心が白い」

 そして医師は、「目脂もですか?」と、聞く。

「はい。拭っても拭っても出てくるんです」

「そうですか」

 しかし、目脂に関してはそれだけであった。

 その後、医師はプリントを差し出して、

「ここに書いてある通りに手順を踏んで、登録を」

「ん?」

 受け取って、プリントを読む。

(コロナ陽性登録の案内?)

「先生、コロナということ伝えてませんよ」

「あっ、そうでしたか。これはいけない。結果は陽性でした。コロナですよ」

 医者はアハハッと笑う。

(大事なことだろ! てか、コロナ!? 私が!?)

 小春は驚いた。まさか自身が本当にコロナになるなんて微塵にも考えてなかったからだ。

「薬と代金は後で係りの者が持ってきますのでお待ちください」

 と、医者は言い、看護師と共に診察室を出る。

「……マジか」

 小春は診察室で独りごちる。

 そして係りの者が現れたのはそれからさらに1時間経ってのこと。

 小春は待っている間、課長にコロナに罹った旨を報告した。

『あー。そうか。コロナか。1週間は休んででもらおうか』

「すみません」

『いや、君が悪いわけではないよ。気にしないで』

「三浦さんの件ですが」

『まー、彼女の練習再開はすぐではないので気にしないで』

「はい」

『お大事にね』

 それだけで通話はあっさりと切れた。小春は苦言の一つや二つは覚悟していた分、どこかもやっとした終わりだと感じた。


  ◯


 帰宅中、小春はスーパーに寄った。

 コロナに罹ったため寄るかどうか迷ったが、重症ではないからいいかとスーパーに寄り、遅めの昼食と今日の晩ご飯、そして数日分の食料としてレトルト食品、冷凍食品、乾燥パスタを購入した。

 マンションの自室に着いた時、鈴から連絡がきた。

『今、大丈夫?』

「ちょっと、待ってください」

 小春は急いで冷凍食品を冷蔵庫の冷凍室に入れる。

「はい。何ですか?」

『聞いたよ。コロナだって?』

「はい。すみません」

『熱はないんでしょ?』

「喉と目脂だけでした?」

『なら、大丈夫かな。一応、苦しくなったら連絡してきてね。無理は駄目だよ』

「ありがとうございます」

『あっ、それと三浦さんの件だけど私が担当することになった』

「えっ!? ええ!?」

『一回だけね』

「そ、そうなんですか。すみません。佐々木さん達の担当もあるのに」

 小春はそこに鈴はいないのに頭を下げる。

『平気。一回だけだし。ちょっと軽く体を動かせるだけなんでしょ?』

「はい。軽くです」

『なら大丈夫』

「もし分からない点がありましたら、いつでも言ってください」

『うん。それではお大事に』

「ありがとうございます」

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