飲みニケーション
「何で話題の新人ちゃんを呼ばねーんだよ。せっかくの歓迎会がさー」
男性先輩トレーナーの二ノ宮剛はジョッキを片手に鈴に文句言う。
ここは駅前の居酒屋。鈴は仕事終わりに先輩トレーナー達から飲みに誘われて今、ここにいる。
「なんですかそれ。そもそも歓迎会なんて言ってなかったでしょ。いきなり飲むぞーって」
「まあ、二ノ宮の誘い方にも非があるわね。でも、声ぐらいかけときなさいよ」
「仕方ありませんよ。なぜか彼女あの後、営業一課の課長に呼ばれて、どっか行きましたし」
と鈴は口を尖らせて言う。
「怪しいな。もしかしてどっか役員の娘か? コネ入社か?」
「コネなら社員でしょ。彼女、ただのバイトですよ」
「でも、ただバイトには思えないよねー」
と菊池が言う。
「えー、どうしてです?」
「だって、アンタと2人で元メジャーリーガーの専属トレーナーでしょ?」
「な!? なぜそれを?」
元メジャーリーガーの専属トレーナーの話はまだ秘密のはず。どうして2人が知っているのか。
その鈴の反応で菊池はほくそ笑み、そして鈴はすぐに理解し、くやしそうな顔をした。
「あっ、鎌をかけましたね! ひどい!」
「鎌じゃないわよ。今日、元メジャーリーガーの2人を見かけたって聞いてね。それでアンタの話から推測したのよ」
「本当ですか?」
「で、それは置いといて、なんでお前が選ばれたんだ?」
二ノ宮が聞く。
「そりゃあ、4年目ですから」
「あの子が絡んでるのかしら?」
「前にどこかでトレーナーをやってたとか?」
「……お二人さん、私のキャリアはスルーですか。棗さんは初トレーナーですよ。でもCSCSの資格を持ってるんですよ」
「へえー」
と菊池は言って、ビールを飲む。
「反応薄くないですか? CSCSですよ?」
「CSCSなら私も持ってるわよ」
「え? あれって難関ですよね?」
「何それ? 私、見下されてるのかな? ねえ、鈴ちゃん?」
「ち、違いますよ。二ノ宮先輩が前に私がトレーナーの資格を取る時に、CSCSは無理だからNSCA-CPTにしろって言ったから」
「それは大学を出てないからだ」
二ノ宮が答える。
「え?」
「CSCSは大学出てないといけないんだよ」
鈴は短大出身。
ということはCSCS取得条件を満たしていないことになる。
「そういうことよ。スポーツ推薦で大学に入ったやつは大抵はスポーツ科学部とかに入るのよ。で、資格のための勉強をさせられるの」
「でもCSCSを持ってるからって元メジャーリーガーの専属トレーナーになれるかな? しかもバイトでしょ?」
少なくとも大北緑ジムにはバイトのトレーナーは今までいなかったはず。
「異例続きのことよね」
◯
家に帰ると、歳の離れた弟の大輔が和室のリビングで寝そべっていた。
邪魔だと鈴が目で訴えると大輔は舌打ちして座り直す。
中学の頃から反抗期で叱るたびに態度がますます悪くなる。当時は母親から今はそっとしておくようにと言われ、鈴は仕方ないと決めていた。けれども、高校になってからも相変わらずの態度であった。
時折、こちらから優しくコンタクトを取ろうにも、
「はあ?」
まるでメンチを切ったかのような態度に鈴は怒り、どつく。
「痛っ!」
「アンタ、その態度は何? 腹立つんやけど」
「だからって殴るなよ」
「アホか! 殴るわ! ボケ!」
もう一度、鈴が殴ろうとするので大輔は避難する。
「おい! 逃げんな!」
「ちょっと2人とも、何喧嘩してるのよ!」
母の聡子が仲裁に入る。
「鈴が殴ってくる」
と大輔は聡子にべそをかく。
なぜか大輔は母の聡子には反抗せず、甘える。そしてなぜか大輔に甘い。
「アンタの態度が悪いからでしょ?」
鈴は鬼形相で大輔を睨む。
「いきなり変な質問するからだろ!」
聡子の背に回って大輔は文句を言う。
「してないでしょうが。元メジャーリーガーの佐々木と梅原を知ってるかって聞いただけでしょ?」
「野球やってんだから知ってるっつーの!」
そう。大輔は野球部に入っていた。だから鈴は話を振ったのだ。これは姉としてのコミュニケーションである。
「だったら知っているなら知ってると言え! その態度はなんだ! まったく、ムカつくな」
「フン!」
大輔は鼻を鳴らし、そっぽを向く。
「で、その元メジャーリーガーがどうしたの?」
と母の聡子が鈴に聞く。
鈴は質問に答えたかったが、元メジャーリーガーの件は社長から社外秘と言われている。
「……今度、野球選手のトレーナーをバイトの子と一緒に任されてさ」
「それが元メジャーリーガー?」
当てられて鈴はどきりとした。
でも、
「なわけねーじゃん。この鈴がトレーナー?」
と大輔は即否定して、鼻で笑う。
それに鈴はいらっとした。拳に息をかけると大輔が小さい悲鳴をあげる。
「ああん? 前からトレーナーやってたけど何か?」
「もう! 2人とも止めなさいよ」
『フン!』
「それで、その元メジャーリーガーさんはどこに球団に入るのかしら、前に所属してた球団かしら?」
「戻れるわけないじゃん」
「どうして大ちゃん?」
「もうジジイでヨボヨボじゃん。辞める前の成績だって悪かったし。今更、日本の球団が欲しがるかよ」
大輔はやれやれと答える。
「そんなヤバかった?」
鈴が聞く。
「佐々木はスタメンから外されてマイナー行き。梅原も代打で時折起用されるもフライ連発。トレーナーなのに、そんなことも知らないのかよ」
そう言って大輔は舌を出す。
「海外のことなんて知らないわよ!」
(本当、一言余計ね。マジでシメよう)
その殺気に大輔は気付き、
「鈴がメンチ切るー」
と大輔は聡子に猫撫で声で助けを求める。
「鈴!」
聡子は鈴を叱る。それを知ってやったりと大輔はほくそ笑む。
「このマザコンが!」
「マザコンじゃねーし!」
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